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【詩】波打つ雲

その日
よりにもよって
携帯を忘れて出掛けた
家に帰ると6件以上の着信が入っていた
私は無我夢中で市の医療センターへタクシーを走らせた
父はもう息をしていなかった
美しい横顔にほんの少し
歯を食いしばった痕があった
担当の医師は簡明に
「オミクロン株がどこからか口へ入ったのです」
と説明した
私は階下の食堂で3時間ほど
関西から新幹線に飛び乗った弟を待っていた
二人して父の荷物を整理した
夕刻に葬儀社の車が到着した
黒いスーツの担当者が
だまって深くお辞儀をした
車の窓硝子は少し暗くしてあり
布に包まれた父からは
朝方突然事切れたのにもかかわらず
生きているときとは違う匂いがつんとした
私はやりきれなくなって
外に目を向けると
大きな雲が
空をおおうように波打っていた
前の席にいる弟に
「雲が見えるよ」
と声を掛けた
私たちはずっと
まぶしい雲が
まだ仄明るい空全体に津波のようにひろがってゆくのを
走ってゆく車から見ていた




              初出「びーぐる」第57号
                2022月10月20日

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