体裁といふもの(就活疲れ)


善意を強制させられる今日この頃

学校の授業で、私達が食べるチョコレートは違法労働によって支えられているものだという話を聞いた。
その話をした後、先生は、「これから私たちはどうすればいいと思いますか」と聞いた。
「フェアトレードの企業のチョコレートを買います」といった生徒が褒められていた。
「自分たちにできることをやりましょう」と先生は授業を締めくくった。
チョコレートは150円くらいで買えるかもしれない。(ものによる。)
でも私たちだって、お金に困っていないわけじゃない。
物価高に追い詰められて、何もかものを値段が上がっている中であがいている。
お金を生きていくのに必要なところに使って、ほとんどそれで終わってしまうような、穴が空いた船をだましだまし使い続けて、水の浸水が止まらないことにも気づかないふりをして、そんな感じで過ごしている。
未来のことも不安だ。
税金で給料の半分は持っていかれるらしい、と聞いて、将来労働する自分を思い浮かべて苦い顔になりながら。
少子高齢化社会でこれからも若い人の負担が増えていくと聞いてどのくらいつらいのだろうと戦々恐々としながら。
やりたくもないことに顔を引きつらせながら、
頑張っているつもりなのに。
余裕なんてない。他者を気遣えるくらいの余裕なんてあるわけがない。自分が生きていく、家族と生きていくだけで精いっぱいだ。将来のために今やりたいことを我慢して、きっと将来もあんまりやりたいことはできないんだろうなと思いながら生きているのに、違法労働の少女への気遣い、社会をよくする善意がなければいけないと突きつけられるような今日この頃。

親が、祖母が、教師がみている今日この頃

年老いていく母を見て、どこかに就職できると信じている祖母を見て、頑張りたくないとは言えない今日この頃。就職してもきっと楽しくないだろうなと思いながら仕事を探す。

遅れたくないという程度でしかない話

誰よりも先を走り抜けたいのではない。平均でいたいだけなのだ。社会でお金を稼ぐことにそこまでの魅力を感じはしない。就職しても仕事をやる気はきっとどこにもなくて、迷惑をかけないようにだけ気を遣う日々が始まるんだろう。

興味がないことは頑張りたくない話

星を眺めてほっと息をつく。ココアを飲んで頬を緩める。そんなゆったりした日常が一番欲しい。自分の心が赴くままに、春風のように生きることが出来たらどれだけ素敵だろう。
妹を頼ってありがとうと言い、妹に頼られてありがとうと言われる。
「お金を払っているから当然だ」と思うような人も、お金自体も介在しないで成立する関係性は尊い。
でも、その関係性を他人にも広げられるかというと私には無理だろう。
誰かのありがとうは心をほぐしてくれるけれど、慣れてくると、ありがとうと言われなかった回数を数えてイライラするようになってしまう。
私は、誰かがくれた感謝の温かさをいつまでも感じ続けられる人間では、きっとない。
だからこそ、自分の満足に値するものだけをそばにおいて、イライラしそうなものを遠ざけたいのだ。
そうなるためにはお金を稼がないといけないわけですね(白目)


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