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ショートショート「薄浅葱色と向日葵色」


 毎年、夏が来る。
 私が歳を重ねても、私の中の夏は変わらずにいる。ベランダから見下ろした地面は熱でうなされるように揺れている。私は、それを冷房のつかないこの部屋でぼ一っと見つめながら寝そべっている。
背中が熱く、ちりちりと痛むような気がした。
そんな熱を吸収しようとするように、通り雨が降る。私はそんな夏が嫌いだ。
 そうして、空を眺めていると、目を閉じていても眼球が溶けてしまいそうだ。私は熱から逃れようと、手足をうごうごと動かした。
 私がいるのはベットの上だが、畳の上の水練とはこんな感じだろうか、などと考えながらシーツで泳いだ。寝具の表面をなぞりながら、自分の手足を滑らせていると、私が摩擦で削れていくような心地がした。洗濯用の固形石鹸のごとく私も徐々に削れて無くなっていきたいと思った。阿呆なことを考えながら、下手くそな地上での泳ぎを披露していた時、右手に何かが当たった。上体だけ半分ほど起こし、手にとってそれを確かめた。

日傘だった。
異様に太陽光を反射する日傘だった。



 私は人間で、人間は生き物だから、食事を摂らねばならない。いくら暑くても食べ物のために、買い物に行かねばならない。
 出かける間際にあの日傘のことを思い出し、乱雑に置かれ、机から転がったそれを床から拾い上げた。
 玄関の錆びた鍵を締め、家の戸締まりをする。
鉄骨階段持有のけたたましい足音をならしながら一階まで降り、ようやく外へ出た。
 日傘をさそうと、柄をもって空へ向けた。
その瞬間、私はこの日傘の傘下に入った。 

 視界が暗くなり、私の頭の中で10歳の夏が蘇っていた。空気も池の水も、見渡す限り薄浅葱色の世界が広がる林の中で、小さい頃の私が彷徨っている。 

 「置いて行かないで!」
 「もうわがまま言わないから!」
 「私はまだお母さんと居たい!」

 泣きじゃくりながら、そう叫んでいる。
しんと静まり返り、荒涼とした林の中で、私だけがわめいている。
 私は、私のことを心底うるさいと思った。

 頭の中で小さい私の泣き声が響く。
脳みそが揺れて、頭が破裂しそうだ。
思考も視界もぐるぐるなりながら苦しんでいると、
 「大丈夫ですか?」
という人の声ではっとなった。

 おそらくご近所の方であろうおばあさんが声をかけてくれた。それに首の角度だけで応え、立ち上がった。その時私は、心配の声にも返事できないくらいに暗い気持ちでいた。

 どこかへ行きたくて、ふらふら歩いた。
買い物に行こうとしていたはずなのに、私が向かった先は公園だった。


 気がついたら、私はひまわりの丘公園にいた。
いくら家から近い場所とはいえ、知らぬ間に自分が移動していることは恐ろしかった。
戸惑いながら顔を上げると、目の前は夕焼けに照らされながらそそり立つひまわりでいっぱいだった。
 先程までの暗い気持ちは、鮮やかな向日葵色に勢いよく払拭された。

 思い出してしまった苦しい夏を、夏の象徴のようなひまわりに拭い去られてしまった。煌やかなひまわりに目を奪われる。
 私は感涙にむせいだ。

 こんな簡単なことで私の中の夏が揺らぐとは思わなかったが、それでも私は救われたし、それだけで、私は夏を愛そうと思った。
 そうしているうちに、力無く握られていた日傘は風に煽られ、未だ涙を流し続ける私をなだめるかのように、一度だけ私に弱くぶつかって、それから空へ舞った。私はそれを追いかけなかった。

 涙で滲んだ視界のまま、ふわりと浮かんで流れていくそれをただ眺めていた。いっぱいの涙で歪んだ視界には、タ焼け色の空と白い日傘と向日葵色のひまわりが眩しかった。夏が眩しかった。


あとがき
あとがきと書けるようなものでもないのですが、記念として一応。
学校の授業でショートショートを書いたので、それに少し付け足して投稿しました。放課後にたまたま校内ですれ違った文学国語の先生が、これを褒めてくれました。初めて書き上げた話を、初めて人に褒めてもらってすごく嬉しかったです。先生は今現在、体調不良でお仕事をお休みされています。詳しくどんなところが良かったか、どうすれば面白くなるのか、いろいろ伺いたいことがありました。授業でお会いすることができず、寂しく感じています。敬愛なる先生、早くお元気になられることを願っています。


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