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愛玩の君 ─2─

   同窓会から1週間が過ぎた頃だった。仲の良いクラスメイトだった望美のぞみからLINEが送られてきた。
綾香あやか元気?この前の同窓会楽しかったねー!今度の日曜日空いてる?良かったらランチ行かない?』

   望美とはお互い大学進学で上京してからもたまに会ったりしていたが、大学卒業後すぐに望美が結婚してからは疎遠になっていた。同窓会で久しぶりに再会した私たちは、お互いの近況報告で話に花を咲かせた。現在1児の母の望美は、私の住む街の大型書店でパートで働いていると教えてくれた。日曜日は午後勤務らしく、その前にランチを、と私を誘ってくれたのだった。私はもちろん快諾した。

   日曜日。望美の行きつけだという小洒落た喫茶店で、席に座りメニュー表を見ながら待っていると、カランコロンとドアベルが鳴って、望美が店内に入ってきた。
「ごめんねー!お待たせしちゃった!夫に子供任せる準備に手こずっちゃってさー」
「私もさっき来たばかりだから大丈夫だよ。てか、またすぐに会えて嬉しい」
私たちはキャッキャしながら再会を喜んだ。
   この喫茶店の名物だというナポリタンをふたりとも注文して、待っている間に、私はああ、そうだったと思い出して望美に尋ねた。
「そういえばさ、私に話したいことがあるって言ってたけど、何かあったの?」
少しの沈黙のあと、顔を曇らせた望美はお冷をひとくち飲むと、意を決したように口を開いた。
「あのね、実はちょっと綾香のこと心配になっちゃってさ」
「心配?え、なんで?」
「うん。この前の同窓会お開きした後さ、望美ひとりでタクシー乗って家帰ったじゃん?」
そんなはずは無い。私は電車で帰ろうと歩いて駅まで行った。そう訂正する隙もなく、望美は話続ける。
「私もタクシー拾おうとしてたんだけど、なかなかつかまんなかったから、その間に勝手に綾香を見送ってたんだけどさ。そしたら、綾香が乗ったタクシーが出発した後に、道路の向かいの歩道でも、綾香の乗ったタクシーをずっと見てる男がいてさ。私、その男のことなんとなく見覚えあるなーって思ったんだけど、家に帰ってから思い出したの。そういえば、結婚する前に綾香と会ってた時も、別れ際に何回かその男見たよなって。容姿と格好が同じだったから、妙に印象に残ってて。偶然ってこともあるでしょ?だからその時は気にしてなかったの。でも、またその男を見たってことが、ちょっと気持ち悪いなって思って。まさかとは思ったし、言っても不安にさせるだけだからすぐにはそのことで連絡できなかったんだけど……。もしかして、綾香、誰かからストーカーされてるんじゃないかと思って心配になったの。心当たりとかある?」
私は困惑してすぐには言葉が出なかった。記憶にあるのは、終電を逃して駅構内をふらついていた時に、あの名前のわからない同級生の男に声をかけられて、あの男のアパートまでふたりで歩いたこと。あれ?でも、なんであの男は駅なんかに居たんだろう?店から歩いてそのままアパートに帰れたはずなのに。
    曖昧な記憶。私はそんなに酔っ払っていたのだろうか?それなのに、あの男に抱かれた感触ははっきりと思い出される。望美の記憶との食い違いも、望美が見たという男のことも、いろいろとなんだか気味悪くなって、頭の中を整理できなかった。
   望美が私に嘘をついているなんて到底思えない。私はとりあえず「何も心配することは無いよ。私は大丈夫」と言って、望美が見たという男のことをもっと詳しく聞いてみることにした。
「その男ってどんな見た目してたの?」
「えーっとね、確か、茶髪のマッシュボブで、眼鏡かけてた。顔ははっきりしないけど、背が高くてシュッとしてたと思う。白いTシャツにジーパン姿で……あと、黄色い大きなリュック背負ってた。」
知らない男だった。それとなく、私と寝た同級生の男のことも聞いてみた。
「ねえ、望美。同窓会でさ、私たちと同じテーブルに座った男の人のことわかる?私の斜め向かいの席に座ってた、細身で色白の、黒髪短髪で目が細くて、なんかちょっとチャラい感じの人。同じクラスだったくせに、実は私、その人のことあんまり覚えてなかったんだよね。名前聞いたはずなのにすぐに忘れちゃって。なんて名前だったかなーと思って。」
望美は不思議そうな顔で私を見て言った。
「え?誰それ?綾香の斜め向かいは永田君だったよ。金髪で日焼けしたゴリマッチョの。今、ジムでインストラクターやってるって言ってたじゃん。覚えてないの?えー?一体誰を見たのよ!あはは、笑っちゃう。綾香、顔には出ないけど相当酔ってたんだね!幻見過ぎだわ!」
望美はけらけら笑いながら私をからかった。私は背筋が凍った。私自身、何が本当なのかわからなくなって、それ以上何も話すことができなくなった。
   注文していたナポリタンがテーブルに届く。食欲をそそるはずの鉄板で焦げたケチャップの匂いは、私に吐き気を催した。とても気分が悪かった。
「ねえ、大丈夫?さっきから顔色悪いよ?」
「大丈夫、平気。心配してくれてありがとね」
私は平静を装い、無理してナポリタンをひとくち食べてみせた。美味しいはずなのに、味がしなかった。フォークを持つ手が小さく震えた。

   会計を済ませ、喫茶店を出てから職場に行く望美を見送ると、家路を急いだ。もしかすると、望美が見たと言うマッシュボブの男が、近くにいるんじゃないかと不安になったからだ。そして、私と一夜を過ごしたあの男は誰なのか?正体不明のふたりの男の存在に怯えるしかなかった。


   その夜、不思議な夢を見た。
   私は、どこか遠くから聴こえてくるピアノの音色に導かれて何も見えない真っ暗な世界を彷徨っていた。歩いて、歩いて、歩き続けると、明かりのついた大きな屋敷の前に辿り着いた。ボロボロに壊れた門は開かれたままだった。庭にあるのは萎びた薔薇ばかり。重厚な扉を押し開けると、ピアノの音が止んだ。
   館の中には壁一面に人形が飾られていた。近くで見ると、どの人形も幼い子供のように丸みを帯びていて、瞳も髪の色も様々だった。手前の人形から順番に服を着せているのか、奥の方に並ぶ人形はまだ裸のままだった。胸には〈ハナエ〉〈マコト〉と、それぞれに名前が刻まれていた。
   後ろから足音。ゆっくりと近づいてくるのがわかる。振り返ると、頭から黒いマントを被った背の高い何者かがそこにはいた。マントの中は暗くて顔がはっきりとしなかった。その何者かは何かわけのわからない言葉を呟いた。私はそれを聞いて体が震えだした。

   そこで目が覚めた。
   思わず起き上がると体中に汗をかいていた。胸にズキズキとした痛みを覚えて、鏡で見てみると、まだ消えていなかったキスマークの痣が赤く爛れていた。

   私はこれから何かとんでもないことが起こりそうな予感がした。不安で、再び眠りにつくことができず、そのまま朝をむかえた。



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