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祖父母が住んでいた先祖代々からの古い屋敷を取り壊したら床の間の床下に祠が埋めてあった(1話)

眠れない夜に、ゆったんに創作のお題をおねだりしました。それで、いただいたのがこのお話のタイトルです。
これは、ゆったんに捧げるお話。

では、はじまりはじまり。



会社から真っ直ぐ家に帰っている途中だった。ふいに、どこからか、覚えのある音が聴こえてきた。

とくん、とくん

儚げで柔らかいその音は、はっきりとはしない。無音に近い振動のようなもので、私の鼓膜だけを小さく震わせているようだ。道ゆく人は特段気にもしていない様子で、私だけが、懐かしいその音に立ち止まり、ひとり耳を澄ませた。

とくん、とくん

音のする方へ誘われるままに、私は路地裏に足を踏み入れた。薄暗い場所なのに、不思議と警戒心は生まれず、むしろ安心感を抱いた。歩き進めると、えんじ色に発光する電飾看板が目に留まった。

〈スナックゆったん〉

「こんなところにお店なんてあったんだ」

店先には「祝 開店」と書かれた小さな花輪がある。どうやらオープンしたばかりらしい。

とくん、とくん

ああ、やっぱり。この店の中から聴こえてくるのだ。朧気だけれど、どこか懐かしい音。
どうしようか。入るか入るまいか。私は今までスナックなんて入ったことが無い。けれど、音の正体がどうしても気になり、勇気を出してドアを開けた。

カランコロン

ドアベルが鳴ると、「いらっしゃいませ」と可愛らしい声。カウンター奥から駆け寄ってきた若い女性が、笑顔で私を迎えてくれた。
小さな店内のカウンターには既に三人の男性客が座っていて、よく見ると、皆一様に恍惚としている。一体何があったのだろう。

「私のこと、ゆったんって呼んでくださいね」

ゆったんは私を席に案内した後、私がひとりで気まずくならないようにと気を遣って、いろいろ話しかけてくれた。

「今、黒霧一杯サービスしてるんですけど、飲めます?」
「あ、はい。大丈夫です。水割りでお願いします」

氷の入ったグラスに注がれる黒霧島を眺めながら、私は故郷を思った。ひとくち口にすると、ふわふわと思い出が溢れ出してくる。
そうだ。あの、とくんとくんという音。祖父母の家の床の間の音だ。幼い頃の私は、祖父母の家に遊びに行く度に、床の間の前に突っ立って、聴こえるその音に耳を澄ますのがとても好きだったことを思い出した。長い時間そうしていると、祖父母からも親からも不思議がられて「りなちゃん、何してるの?そんなとこにいないでこっちに来なさい」なんて言われたものだった。

「ふふ。お客さん、口にご飯粒ついてますよ」
ゆったんは脈絡もなくそう言って、思い出に耽っている私の口元に細い指を伸ばしてきた。そしてエアでご飯粒をぱくっと食べると、「おいしい」と妖しくささやいた。

不意打ちすぎる。しかもエアだ。まだ黒霧島しか飲んでいない。ついてるはずのないご飯粒。それなのに、満更嫌でもない。抗えなかった。ああ、なんて可愛いの。胸キュンである。私はされるがままに、ただただうっとりとエアでご飯粒を食べる彼女に見惚れる他なかった。
男性客達もきっと同じことをされたのだろう。私ももはやゆったんの虜である。

エアご飯粒のおかげで、ゆったんと急に距離が縮まった私は、ゆったん特製だし巻き卵を食べながら、きっとまた、ここに来ると思った。ゆったんにもっともっと近づきたいという気持ちを抑えられそうにないからだ。私は静かに、口の中のだし巻き卵と一緒に欲望を飲み込んだ。
あのとくんとくんという懐かしい音はというと、店に入った途端に聴こえなくなったままだった。でも、あの音と同じ懐かしさをゆったんから感じとっていた。黒霧島を飲みながら彼女を見つめると、ますますノスタルジーな気持ちになった。なんだか、故郷に帰るべき気がした。呼ばれている、そう思った。

「りなさん、心のままに、よ。時には素直になるのが一番なの」

ゆったんは私の何かを見透かしたようにそう言って、私のグラスの黒霧島をひと口飲んだ。私の口紅の跡に少し重なるように、ピンクベージュの口紅がうっすら残るグラスにドキドキしながら私は冷静さを装って言った。
「そうだね、ゆったん。そうするよ」


つづく


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