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金沢まち歩きの「おもてなし」-浅野川界隈編-


第1章:浅野川界隈

“男に見えて女に見えないもの”

浅野川界隈を歩くと、その穏やかな流れと共に、風情ある風景が広がります。このエリアの魅力の一つは卯辰山社です。深い緑に包まれたこの場所に一歩踏み入れると、鳥居が迎えてくれます。その奥に忽然と姿を現すのが、「卯辰天満宮」「豊国神社」「愛宕神社」の三つの神社、卯辰三神社です。これらは寄り添うように建てられており、訪れる人々を静かに迎え入れます。

慶応三年(1867年)、加賀藩最後の十四代藩主・前田慶寧は、この卯辰山の開拓に着手しました。彼の手によって、この地域には病院、医学校、薬草園、芝居小屋、寄席、物産店、大浴場、茶屋、料理屋など、町民のための福祉・娯楽施設が建設されました。これにより、卯辰山はただの山ではなく、町民の生活と娯楽の中心地となりました。この地域を散策すると、過去の人々の生活や楽しみが現在でも感じられ、金沢の歴史と文化に触れることができます。


第2章:臥龍返照(卯辰山)

卯辰山は、その峰々が重なり合い、あたかも伏せた龍のように見えることから、「臥龍山」とも呼ばれています。この山は、「向い山」「夢香山」などと呼ばれることもあり、その名前にはそれぞれの魅力が込められています。愛宕山や観音山などの稜線はなだらかな起伏を持ち、その風景は訪れる人々の心を癒します。

卯辰山には、文学碑や顕彰碑、功労碑などが数多く存在します。これらの碑は、日本一の「碑林公園」として知られ、多くの人々がその歴史と文化に触れることができます。卯辰山を歩いていると、過去の偉人たちの功績や思いに触れることができ、深い感動を覚えます。また、この公園は四季折々の美しい風景を楽しむことができ、特に秋には紅葉が見事に色づきます。卯辰山の自然と歴史が融合したこの場所は、訪れる人々にとって特別な体験となることでしょう。


第3章:愛宕加登長のうどん屋さん

浅野川の近くには、「愛宕加登長」の角にあるうどん屋さんが軒を連ねています。このうどん屋さんは、地元の人々だけでなく観光客にも人気で、昼時には多くの人々が行列を作ります。その温かい雰囲気と、美味しい料理は、金沢の食文化を体験する絶好の場所です。

桜の季節になると、浅野川では園遊会が開かれます。このイベントには多くの人々が訪れ、桜の美しさを楽しみながら、友人や家族と楽しいひと時を過ごします。また、この地域には「卯辰山相撲場」があり、石川県出身の力士たちが大相撲で活躍した歴史があります。輪島、若乃花、高見盛、出島など、多くの力士たちがこの場所で鍛錬を積み、その後大きな舞台で活躍しました。相撲場を訪れると、彼らの努力と栄光の軌跡を感じることができます。


第4章:ハッタロウ伝説の帰厚坂

ハッタロウ伝説は、卯辰山に住む仙人の物語です。ハッタロウとは、卯辰山の洞穴に住み着いた仙人で、時折ひがし茶屋に現れては、手伝いや使い走りをしていたと言われています。彼は「卯辰山の仙人」と呼ばれ、人々に親しまれていました。

この伝説によれば、ハッタロウは二十年余り後の昭和15年頃、忽然と姿を消しました。その後、彼の姿を見た者はいませんが、彼の存在は今もなお語り継がれています。帰厚坂を歩くと、彼がこの坂を行き来した姿が目に浮かぶようです。坂道の風景と共に、彼の伝説が鮮やかに蘇ります。この坂道は、過去と現在を繋ぐ場所であり、訪れる人々に金沢の歴史と文化を感じさせてくれます。


第5章:トウキビと四万六千日の観音院

観音院は、本尊十一面観音菩薩を祀る寺院であり、金沢の名の由来にも関わる「芋ほり籐吾郎」によって創建されたと言われています。この寺院は、四万六千日の行事で有名です。この行事は、年に一度行われ、六百巻ある経典の読経、本尊の後開帳、護摩法会などが行われます。これにより、多くの人々が参拝に訪れます。

四万六千日を迎えると、境内には御払いされたトウモロコシが並びます。このトウモロコシは、玄関に吊るすと悪魔が退散し、福が来るとされています。また、「息災延命」「商売繁盛」のご利益があると信じられており、多くの参拝者が訪れます。観音院の境内を歩くと、参拝者たちの真剣な祈りや、その信仰心が感じられます。金沢の歴史と文化を感じることができるこの場所は、訪れる人々にとって特別な体験となるでしょう。


金沢のまち歩きは、歴史と伝統、自然の美しさが調和した「おもてなし」の心が随所に感じられる。このエッセイで紹介した場所を巡りながら、金沢の豊かな文化と温かい人々の心に触れてみてはいかがでしょうか。金沢のまち歩きは、訪れる人々にとって忘れられない体験となることでしょう。

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