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だいたい大森靖子

主題:だいたい大森靖子(さんは何もかもやっている)


はじめに

●ファンです

こんにちは、大森靖子さんのファンです。この記事では全体的に、大森靖子さんが好きor無理orどうでもいい人に向けた話をしています。つまりは全員に向けて話しているということです。

「さすがにここまでやっている人(大森靖子さん)の存在を素通りはねえだろ」と思うタイミングが私にはしばしばある。あるので、「私が受け取っている大森靖子さん」について、失礼して記事にさせていただきます。(好き歴10年〜ぐらいの現場回数ゆるふわファンです)

Q.なんでいま書いたの?
A.新譜が出るし、その関係でPARCOでライブしていらっしゃるから。

『超天獄』CD予約者を優先した案内になるようなので、これを機にCDを予約したり、ライブを観ると楽しいのではないでしょうか。と私は思います。
ワンチャン、フリー観覧ができる可能性もある。遠征して観に行っている人の存在を多数観測しているので、「ない」可能性のほうが高いのではないかと私は勝手に思っているが、それは私がPARCOさんのキャパを見誤っているのかもしれない。

●新譜のリンクがいっぱいあってべんり

楽しみ&わくわく

●前提

前提の話ですが、これは「大森靖子さん(実存)」そのものの話ではありません。それが良いとか悪いとかの話ではなく、全ての文章や作品については、原則的にそうです。

好きなアーティストさんや芸能の方「そのもの」への理解を深めたいときは、曲を聴いたりライブに行ったり、作品を見たりしましょう。ここには私と、「私の見た大森靖子さん」(以降これを大森靖子さん・大森さんとする)しか存在しません。

先に貼ったYoutubeの「シンガーソングライター」ですが、この曲が私は大好きです。「もっとわかりやすく喋れるようになりてえなあ」って思う。「わかりやすく喋れるようになりてえなあ」の結果としてこの記事を書きました。「💖大森さんってかわいいしすごいし好き💖」という話をやっています。

歌詞とかセトリとかライブの様子とか、具象の話はあまり書いていません。「曲の歌詞とかセトリとか引用してないし、隙あらば自語りじゃん。うぜえ。」という見解になる予感のする方は読まないで下さい。ライブに行くしかない。

大森さん(実存)自身が見て、「この好かれ方は…うぜえ!」となった場合は、すみません。「邪魔」という感じがある場合には「邪魔」をしたくなさすぎるため、サッと削除します。愛にも好みはある。お気軽に宜しくお願いします。


●だいたい大森靖子

私は「一生大森靖子」ではなく、「だいたい大森靖子(さんは何もかもやっているという理解を現状している)」。私は「一生のことはわからない」ため、「一生大森靖子」と断言することはできない

「一生大森靖子」と言っている人については、超かわいい・大好き・LOVEと思っています。ただ、私は「だいたい大森靖子」(さんは何もかもやっているという理解を現状している)です。

私は残念ながら作家(食人鬼)っぽく、隙あらば人の魂を美味しくいただいて勝手に再成型し、「ねえきれいでしょ?このモチーフもこの絵の具も最高><きれい><きれい」と言いたがる性質がある。ここには「私の見た大森靖子さん」しか存在しません。大森さん自体が気になっている人は、ちゃんとMVを観たりCDを買ったりライブに行ったりしてください。

私は「何かについてのわかりやすい説明」をしようとすると、

①「めちゃくちゃわかりやすい」
②「全く意味がわからないしキモい」
③「なんかよくわかんないけどすごい」

このどれかに票が寄ります。
ですので、この記事もそのようなものになると思います。

どうでもいいので、とりあえず大森靖子さんの曲を聴いてください。
なるべくライブに行って下さい。私もそんなガツンガツンに通っていない身で本当にアレなんですけども。ガツンガツンに通っている人は、ありがたいです。ガツンガツンに通ってくれている人がいると、聴ける機会が増える可能性が上がる&大森さんが楽しいと思うのでうれしい。

METAMUSEさんのライブも素敵だから、そちらでもいいと思う。両方行くと非常に楽しいと思う。tiffany tiffanyかなりキラキラ。海と空の紗に抱かれた命、命、その瞬き。きれいだなあと思います。

1 「わかり」の提供

●明るくて責任感がある

大森靖子さんは、聴いた人が「楽しく暮らす」「人生をやりきる」ために「当たり前」かつ「前提として必要な話」を至極丁寧に行い続けているアーティストさんだと私は認識しています。

ありとあらゆる「わかり」を渡しにいくことによって、それぞれの人がそれぞれに、いい時間を持つための種を植えている。ポップミュージックの体をとってそれが行われているというのは、とても素敵なことではないでしょうか。

例えば、「ゴミまみれの国で虫のように生き、虫のように漂って死のう。何もかもおしまいだ。」みたいな視野を持ったところで誰も得しないし、相互的にゴミ虫扱いしあう羽目になってしんどい感じがあると思います。それが必要なターンがあることもわかるけれど、そこからどう「なんとかやるしかねえ」という方向に持っていくかが、生きる上では重要。

大森靖子さんは激鬱・死スレスレの話を曲にしているときも「なんとかやるしかねえ」という結論や態度をすっぱ抜かさずに話をしているので、偉い。責任感がある。明るい。

「死にたいような気持ちを動的に肯定する」という営みは、超ピンポイントな「生きろ」というメッセージだと私は考えておりますので、そのあたりは常にきちんと頭に留めておきたい。

友達のTwitterで引用されていて見たこちらのツイート、「大嫌いこの顔での人生ゲーム」も良く、偉い。と私は考えているが、そこから「ハンデ緩すぎ余裕の大勝利」に持っていくところはマジで本当に偉い。全部偉いけど。


●芸術

作品を「芸術的」と言われたければ、「激鬱」や「死」を「生きるために使える結論」や「他人の人生の愛したいディティール」と紐付けしないほうが話が早い。「激鬱」「死」のそのまま置いておいて、余裕のある人を泣かせたり・舌なめずりさせておいたり・自我の膜に覆われた殺し屋に仕立て上げていったほうが、金稼ぎなどの効率も良い。これは「人形を作っておくと人の感情の器になれる」「殺戮をしまくるタイプの神様になっておいたほうが崇められやすい」みたいな話です。

感情の器・殺戮をしまくる神様。それはそれで必要な場合もあるのだが、そればかりが「人間存在の真実に迫っていてえらい」とか言われているのを見ると、私は「死んだらおしまいなんだが」と思ってしまう。

「食」以外の芸術分野においては、コアになればなるほど、生を軽視される傾向があるように思う。

「生きている人」はパっと見たくさんいるので、「そこに呼びかける意味があるのだろうか」と考える人がいるのはわかる。ただ、冷静に考えると、この世には生者よりも死者のほうがたくさんいる。「海」とか、「土」とか、死体で構成されているのでかなりすごい。そんな中で「死」をわざわざ重宝して「死」に活路を見出しても、埋まる・回収されていくだけだと私は思う。そんなことはどうせ死んだら全自動で行われていくので、あえてそこに注力する必要はない。我々は死体によって生かされているので、死が尊いのは当たり前のことだ。おしまいではあるけど。
5秒後に生きている保障なんてないから、わたしは不可逆的な「私の終わり」を尊ばないし、活路にもしない。

「今・ここ以降の未来」(5秒後など可)に向かって言葉や実存を投げるためには「今・ここにある生」をちゃんとやりきる必要がある。それは、死にたくなるほど大変なことかもしれないけれど。大森靖子さんは、「生のやりきり」を毎回第1回的に行い、またそのやりきりの手口について提示しているため、偉いし、かわいい。

●元気があればいろいろできる

「主体的に生きるための道筋を立てているか、示しているか」。ここに着目していくと、いろいろな作品から「生きる」上で助かりを得たいときには便利かもしれません。そのへんが放棄されている「死」「激鬱」を見聞きするのは、すごく元気なときがオススメ!対応策が「無」の状態で放り投げられた「死」を見ると、「ではそれをどう回避していくべきか」みたいな気力と発想力が問われてくるので、元気じゃないときは大変だと思う。

大森靖子さんは「やっていくしかねえ」という話を都度丁寧に楽曲によって行っているように思いますので、元気を出したいとき・元気を感じたいときに聴くとかなりよいのではないかと私は思っています。ライブを観たあとのご飯がかなりおいしい!オススメ!


●「虫」から考える大森靖子さんの楽曲構造

「ゴミまみれの国で虫のように生き、虫のように漂って死のう。何もかもおしまいだ、俺もお前も死ぬしかない。」

そういう話がこの世にあったとき、大森靖子さんが曲でどうアンサーしていることが多いように感じるかというと、以下です。

①そうなんだ(「それが「ある」のだな」という形での「肯定」)
②漂っているっちゃ漂っているかもしれない(理解)
③虫の生態って調べると面白いときあるよ!(提案)
④私はこの虫のことは嫌いだが、この虫は好き(「虫」の個体差に対する例示)
⑤ゴミまみれの国、そうか。そういう風に見えることもあるよね(受容)
⑥ゴミってやだよね(共感)
死にならない方法考えて動く!ありがと(生存への熱意)
⑧「①〜⑦」をふまえた結果がこちらです。こちらはおしまいではなく、かっこいい・楽しいのでオススメ!「生きる・生かす」ってアゲだよ(ルートと結果の提示)

①〜⑧の一切が受け入れられない場合
⑨なんなんだよ(防衛戦)

何もかも私が勝手にそう思っているだけの話

つまりどういうことか、私が何を言いたいかというと、大森靖子さんの曲はかなり平和主義者だということです。
生存への熱意・⑧ルートと結果の提示がなんかされた場合にはじめて「⑨なんなんだよ(防衛戦)」と話していることはある。のような印象。

、⑧では基本的に「生きろ・生きる」という話しかしていないため、それに何かされた場合、大森さん(曲)的には「生きるのも生かすのもやめて死ね」という話を突然される感じにはなるのかなと思う。「生きるのも生かすのもやめて死ね」という話を命に対して行うのは普通に失礼なので、そら「⑨なんなんだよ(防衛戦)」にもなるよな。という受け取り方をしています。

●保育園を破壊するな

来た人の生を丁寧に肯定し、眼差しを肯定し、楽しく遊んだり育ったりできるように歌や踊りを考えて、素敵な例を提示していくという営み

これはもはや保育園ではなかろうか。保育園は、偉い。

人の作った作品が「保育園」をやっているからといって、「自分は幼児としてバカにされているのではないか」と思う必要はありません。この世の「生」を肯定する親切な作品やパフォーマンスは、大抵が保育園だからです。オペラ座でやっているバレエとかも、「生」を肯定している作品については、保育園だと思う。※私の解釈です

人は皆、保育園で楽しく過ごしてスクスク育つか、「合わねえな」と判断して離れるかしかない。幼稚園のほうが向いているやつは幼稚園へ行け、大学がいいやつは大学へ行け。殺し合いがしたいやつは戦場へ行け。そもそも現実が戦場なので、フィクションでまでわざわざ出しっぱなしの銃弾を受けに行くのはやめた方がいいと私は思うけれど。少なくとも、「自分は保育園の世話にはならない」と考えているからと言って、気に入らない保育園を爆破したり、「俺は大人だから、保育園はいらねえ」とか言って保育園を攻撃している場合ではないと私は思う。

子供達のことを考えろ、保育園は必要。大人達のことを考えろ、保育園は必要。
「自分は完璧な大人だから保育園なんていらない」と思っている奴は、大人のことも子供のことも知らなすぎる。
保育園の前で「園児の声がうるさい」と言って集団で抗議活動している人はヤバい。保育が必要である。自分にも保育が必要なのだと気づいて、好きな保育園(自分にとって親切な作品)を見つけてくれ。

人の情緒には凹凸がある。人がそれぞれ、凹をなんとかしつつ凸を伸ばしていくためには、ありとあらゆるタイプの保育園が必要。
現在の日本で最も受け入れ児童の幅が広く、在籍した園児の個性を守った状態で、楽しく暮らせるように育てる気がある保育園は、現在、大森靖子さんの楽曲群ではなかろうかと私は考えている。

※あくまで私の解釈です

●星座をなぞれるのは生きてるから

「虫の例文」「保育園としての解釈」だけだとしっくりこない方もいるかもしれないので、もう一つの解釈を提示します。曲=星座説です。

大森靖子さんは、人生に付随するありとあらゆる感情を見て感じて、それらを結晶化させている。結晶化させた感情に命をあげて、それらを等しくきらめかせながら無数の星にする。それらを空に返して星座に替えて、感情の持ち主やそれに共鳴できる人が、自分の帰る星や眺める星を辿れるようにしておいている感じ。

映像的な話すぎてピンと来ない人がいたらすみませんが、脳内で映像化してください。できなければ大森靖子さんのライブを観に行って下さい。大森靖子さんは親切なので、私がたまに見る限り、毎回そういう感じでライブをやっています。ライブに行って下さい。私は不親切なので、ここで図などにはしません。

あくまでこれは私の反応と解釈ですので、反応も解釈も人の自由だと思います。あくまで私の捉え方としてお納め下さい。

大森靖子さんは、あの手この手で人を「生きる派」、つまり、星や星座を「見る」「生産する」側に回らせようとする人だという認識をしています。

自身の命を手放していない故に、一方的に「見られる」側に回ることを自分にも他人にも許していないというか。「見る」のであれば、これぐらいやれよという話をしているというか。「あなたはどの眼差しに助けられてきて・どの眼差しに殺されてきたんですか」という問いを立てていくことを諦めていないというか。

●芸能と「見る」 「見られる」

一方的に「見られる」側に回るというのがどういうことかというと、それは「完全な死体になる」ということだと私は考えています。死ねば、「見られる」だけ。

「死ぬ」ということは、「細胞が機能を停止して大きな循環の中に回収される」ということだと私は考えていますが、もうひとつ。「死ぬ」ということは、「その魂に対する一方的な解釈を無限に押しつけられる」ということでもあります。死人に口なし。

“芸能人は「見られる」ことが仕事”だと考える人もいらっしゃるかもしれないのですが、私はその考えを採用していません。芸能は「見る」ことを第一義として「見る」「生きる」側の悦楽に人を引っ張り込んでいく仕事だと私は考えています。

一流の芸能を行う方は「見て」います。何もかもを。ポップミュージックの体をとってそれを行ってくれるのって、ありがたいことですよね。なんてったって手に取りやすいから。

私は長いこと、彼女をオリコン1位の常連だと勝手に誤認していました。
作品によって「なるべく丁寧にわかろう」としている試みがすごいので、おそらく人口の半数を超えるであろう「なるべく丁寧にわかられたい」と思ってる人たちは彼女の作品を大事にするだろうなと。

これだけちゃんと作品をやっているし、現場もハチャメチャに多いし、CDの発売と連動した企画とかも多いし、出したらオリコン1位は取るだろう。みたいな。人から「えっ違うよ」と言われてはじめて「そうなの!?マジかよ」と思いました。常連ではなかった。嘘だろ。オリコンにどれほどの意味があるかは置いておいて、マジかよ。この世って私が知らないことまみれでヤバい。


2 「わかられたくない」と「奴隷の悦び」


1「わかり」の提供にて、大森靖子さんは「わかろう」としている試みがすごい。と話しました。これは「わかられる」ための試みがすごいということでもある。

しかし、この世には「わかられたくない」という欲望、「奴隷の悦び」を得たいという欲望も存在しますよね。それらが「存在する」と理解している人は読み飛ばしていただいて問題ないのですが、「存在しているか?」と思った方は、この章もお読み下さい。

以降を無料公開としたとき・有料公開にしたときそれぞれで「大森靖子さんの曲を大事に聴く人が増えた結果として、全員元気がモリモリになり得をする可能性」と「私の「好き」の感染が成功する可能性」について考えました。
一旦「有料」とします。
なるべくこう、モリモリになれる人がモリモリになってほしい。

※大森さん(実存)に「無料で公開しろ」と言われたら無料で公開するので、本人が見てそう思った場合などはお気軽によろしくお願い致します。私のラブレターは基本的に、固有名詞を伴ってまな板の上にぶちあげられた人から「金とるな」と言われたら金とるのやめます。(返金は行わないので注意して下さい)「消せ」と言われたら消すスタンスです。おそらく固有名詞を挙げない形で織り直します。どちらがよいかは、場合によると思う。

大森さんのCDを買うことやライブに行くことを優先した上で、余力・興味のある人は金をください。


●「わかられたくない」

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