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人の振り見て

自分の根底に『被害妄想』の信念belief をはっきり認められるようになったら、これまでの数多の躓きの元がわかってスッキリ。
何かのせいにして嘆いてばかりいて、その構図をキープするため必要以上に加害者をつくっていたようです。
私の場合は両親の困った所を拡大化してキープし続けたから、そのせいで現実が苦行になっていたんだと。
自分で地獄をつくったくせに過剰防衛にもなり過ぎて、そりゃあ生きにくかろう、と呆れ半分、お疲れさま半分です。

こうやって納得できると脳内の「躓きシーンの再放送」が無くなってきて、少しは落ち着いて周りを見渡せるようにもなりました。
そういえば、ここ数日気になってたのが息子の「ボクのせいじゃない!」発言。些細な事でも何かとすぐそう言うので諭したたところでした。
それからここしばらくやたらと「病気自慢」「大変自慢」の人たちが多かったなぁ。


難病指定自慢が何人もあって、難しい現代病が増えたんだななんて思っていたけど、本音の本心は病気を気に入っていると視えたので困っていました。
いくら働きかけても真の力は本人次第、気づいてその気になるまで見守るしかないし、会う度ぐったり寝込むことになるから。
忙しい大変自慢も、好きでと言ったら語弊あるかも知れないけど選んでいるのは本人です。
なんて度々想ってたけど、全然ヒトゴトじゃなかったんです、全部わたし自身の投影として見せてくれてたんです。

周りの人の発言も態度や行動も、全部わたしと同じ「被害者意識」がキーワードでした。
通知ランプのようにお知らせしてくれていたんだと、やっと気づけました。
たぶんこれをずっと見逃してると、何かしらで強制停止させられる事象にどんどん強くなっていく仕組みなんですね、きっと。
やっと気づけたことで、周りの人も見せてくれる面が変わってくるし、健康に転じたり状況変わるかも知れません。若しくはお互いのお役目果たしたので別の人生ステージで再会するまでサヨウナラになるのかも。
次の私の課題は即気づけるように、ほんとにほんとに気を付けて、少しでも引っ掛かることはその真意を汲み取りたい、と改めて感じました。


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