療育にはいろいろな方法がある。一つの道が合わないなら、別の道を探そう!
このnoteでお伝えしたいことはコレ!
今回は、小学校1年生がつまずきやすい算数の計算方法を事例に、
★療育にはいろいろな方法があるよ!
★大切なのは目的地に到着すること!
★途中の道のりは、人によっていろいろ変化してOKなんですよ!
ということを書いてみます!
学校生活や社会生活がうまくいかない、と悩んでいる親御さんやご本人に、ちょっと視点を変えていただくためのお力になれれば幸いです。
さくらんぼ計算の落とし穴
小学校1年生で取り組む「さくらんぼ計算」という計算方法があります。
学ぶことの意味をいつも考えさせられる学習内容です。
さくらんぼ計算とは
さくらんぼ計算とは、10の補数をベースにした計算方法です。
たとえば 7+8 なら、さくらんぼ計算ではこんなふうに計算します。
7+8
=7+(3+5)
=10+5
=15
数をいったん分解して10を作るプロセスを視覚化するという面白い計算方法なのですが、これが実に、小学校1年生の子供たちにとってはつまずきどころが多いのです。
さくらんぼ計算の難しさ
10の合成分解
まず、数を分解して10を作るという概念を理解するのが難しい。
10の合成分解がスムーズでない子にとっては実につらく面倒な計算です。
複雑な手順
また、計算の手順が増えるので、ワーキングメモリに余裕のない子は追いつけなくなってしまいます。
なんとか手順を追っているうちに、そもそも何を計算していたのだったかわからなくなる子も。
答えが合っているのに
計算の答えが合っていても、やり方がさくらんぼ計算に沿っていないとテストでは不合格になることもあり、そのおかげで算数に苦手意識を持つようになる子もいます。
計算の選択肢の一つに過ぎない
繰り上がりを理解する一つの方法として、さくらんぼ計算は素晴らしい考え方ですが、あくまでも計算の選択肢の一つです。
繰り上がりの足し算を、数え足しなら計算できるという子もいれば、10よりも5のかたまりで数を捉えたほうがわかりやすい子もいます。
その子なりのやり方で繰り上がりを理解できれば良いのですから、さくらんぼ計算のような一つのやり方にとらわれる必要はないと思います。
目的を見失わないこと
さくらんぼ計算を学習するかどうかは学校の判断によるので、触れずに終わるお子さんもいるかもしれません。
もしさくらんぼ計算を学ぶ機会があったら、それはあくまでも繰り上がりを学ぶ方法の一つであるということを忘れず、さくらんぼ計算ができることを学習の目的にしなくても良いと思っています(^ ^)
目的地にたどり着くまでのルートはいろいろあって、その子にとって行きやすい道はきっとあるのだということを、支援する大人が諦めずにいたいものですね。
指を使って計算してはいけない?
さて、算数つながりで、もう一つ。
「指を使って計算してはいけないと先生に言われた」というご相談がありました。
先生のご指導の前後の文脈やお子さんの個別の状況がありますので、一概には言えないのですが、以下、あくまでも一般論として書いてみます。
指で計算する子の状態像
指を使って計算するということは、そのお子さんは数を「順番」として捉えていると考えられます。
たとえば6+5=11という計算をするのに、6の次の数字である7からスタートして5つ分の数を数えると、「7、8、9、10、11」となり、答えは11。
指を使うとこういう計算方法になり、数え足しとも呼ばれます。
数え足しの次のステップ
算数学習では、数を順番で捉える次のステップは、数をかたまり・量として捉えることです。
数え足しでは数が大きくなった時に対応できません。
時間もかかるし、間違いも増えます。
答えが20を越える足し算くらいからは、数え足しを卒業できたほうがスムーズです。
先生の「指を使ってはいけない」というご指導も、そのあたりを踏まえてのことではないかと想像します。
今の方法を手放すには、新しい方法を身に着けてから
ただし、指を使うなと指導するならば、代わりの方法をしっかり教えるべきです。
そのための一つの方法がくだんの「さくらんぼ計算」なのですが、前の項にも書いたように、さくらんぼ計算は向き不向きがありますし、数を順番で捉えている段階のお子さんにはさくらんぼ計算はまだ早いです。
一斉授業でさくらんぼ計算を教えただけで「指を卒業しろ」と言うのはちょっと乱暴です。
その子が理解できて実際に使いこなせる計算方法が身に着いてから、「もう指を使わなくても計算できるね」、というのが丁寧な関わりというものではないでしょうか。
大人も目的を見失いがち
さて、ここまで書いてきたのは、算数学習の課題の話ではありますが、同時に、目的と手段が入れ違ってしまいがちな事例の一つでもあります。
園や学校のように、多くの子供たちが同じことを同じようにすることを求められる場では、子供たちを導く大人の側の発想が無意識に固定化されることがあります。
最終的には、今いるところからA地点まで行けばいいだけの話で、その行き方は無数にあるのに、ある特定の道を通らないといけないと思い込んでしまったりもします。
療育にはいろいろな方法がある
療育の考え方の特徴の一つは「いろいろな方法がある」ことです。
どんなお子さんにも、その人それぞれの育ち方があって、決まった「型」のようなものはもちろん存在しません。
が、多くのお子さんが特に困らずに通れる道幅、とでも言ったものがあります。
それを大人たちは「定型発達」とか「普通の・一般的な育児」などと呼んでいるわけですが、時にその道を通れないお子さんがいたときに、
では橋をかけたらどうか?
迂回したら通れるか?
自転車に乗れば進めるか?
といったように、さまざまな方法を工夫していくのが、療育ということではないかと思っています。
行き方は無数にある
学校で先生から「あなたのお子さんは〇〇ができない」などと言われると、保護者は非常に心配になると思いますが、これは、
「〇〇が(先生が思う方法では)できない」
という意味であるかもしれません。
本当に〇〇ができないのか?
別の道を通ればできる可能性はあるのか?
そんなところも、ぜひ見てあげてほしいなと思います。
ゴールはどこなのか
学校で先生に「あなたのお子さんは〇〇ができない」と言われて心配になったとき、もう一つ考えていただきたいのは、「その〇〇ができることの優先順位」です。
道には「行き方」と同時に「ゴール」があります。
ゴールの設定が変われば、そこまでの行き方・進み方も大きく変わります。
〇〇を身につけないと社会生活で困るレベルなのか、学校を無事に卒業するためにはできていたほうがいいよね、というくらいなのか、、、
それでずいぶん判断が変わってきますよね。
目的を明確にしてから道を探そう
何度も書くようですが、療育にはいろいろな方法があります。
決まった道を通らなければいけないことは決してありません(^ ^)
わたしたちは往々にして、その道を歩くことが目的になってしまい、目的地を見失うことがあります。
目的地が明確ならば、そこにたどり着くための方法を工夫することができます。
算数学習というミクロな視点でもそうですし、大きく療育そのもの、人生そのものにおいても同じことです。
「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」と、ある詩人もうたったように、どんな人にも、自分に合う道、自分に合う進み方がきっとあるはずです。
必ず道はある
大通りを進めなければ脇道を通ったらいい、と言うのは簡単ですが、実際に育児や教育の現場で具体的な工夫を行うのは、なかなか難しいことでもあります。
現場の先生方は限られた時間の中で最大限の工夫をしてくださっていますが、うまくいかずに歯がゆい思いをされている先生方も無数にいらっしゃるものと思います。
一番つらいのはお子さんご本人ですが、周囲で関わる大人たちだってつらいもの。
あれこれと悩んでいると、親はつい学校を責めたくなったり、先生は家庭にもっと協力してほしいと恨み節が出たり、したくもなりますね。。
そんなときも、誰かを・何かを責めていては、何も解決しません。
あなたやお子さんの目的は何か?
これをまず明確にして、いろいろな方法を探すことを諦めず、一歩でも二歩でも、目的地に近づくことのできる道を見つけていただけたらと思います。
本noteは以上です!
ご覧いただき、ありがとうございました。
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