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地元で新たな”輪”を作り出すということ(1)

元々、生まれも育ちも、そして今も地元である

東京の大田区千束エリアで暮らしている。

彼此50年ちょっとか。

うわぁ半世紀だって、歳とったな〜(苦笑)

って、そんなことはさておいて。。。

ここには洗足池という都心では珍しく緑と水辺が豊かなエリアがあり、

池ではボートやスワンボートでお子さん連れのファミリーが

楽しそうに長閑なひと時を過ごす風景を目にする。

桜のシーズンには、洗足池の周りに桜が咲き誇り、

水辺越しに桜を眺めることができたりする。

地元住民の憩いの場であり、子供たちの貴重な遊び場。

地元民からしたらちょっとした自慢だったりする。

ちなみに、、、

久世光彦著「卑弥呼」という小説の冒頭では、

池のすぐ脇を通る中原街道を走る車からの描写で物語が始まる。

って、それもここでは置いておいて、、、

洗足池から程なく歩くと東急線の大岡山という駅に辿り着く。

大岡山という地名は目黒区の住所となるのだが、

実は大岡山駅の住所は大田区北千束。

このあたりは、大田区と目黒区の境界線にあたるエリアで、

昔から大田区側でも商店街名には大岡山の名を付けている。

だから目黒区民はもちろん、大田区側の住民も

大岡山っていう地名には生まれた時から生活の場としての

名称として馴染んでいたりする。


こういう場所に生まれ育ち、

幼稚園、小学校、中学校と地元の学校に通い、

気付けば未だにその頃からの人間関係、

あるいはご近所付き合い(?)というしがらみの中で生きてきた。

東京なんだけど良くも悪くも "村社会” なんだよね(笑)

おそらく東京の下町って言われるところは、

多かれ少なかれどこでもそうだと思いますよ、はい。


そういった地域に、

ここ最近で(少なくとも俺よりはってことで)移り住まわれた

様々なキャリアを持ち、それぞれの人生を歩んできた方々と

知り合うことなったのですが。

それは昨年2021年の春のこと。

やはり地元の友人である女性から

数年ぶり、且つ唐突にメッセージが送られてきたのです。

そして、それこそがこの大岡山という地域で

新たな "輪” を作り出し、生み出すという活動への入り口

となっていたのでした。

それからの地元のしがらみの中で過ごしてきた自分が

しがらみのない新たな地域住民の方々と

どんなことを話し、

どんなことを想ってきたのか。

これまでの自分自身の振り返りを含め、

徒然なるままに書き留めていこうかと、

そんなことを考えた次第。

次に続く、、、はず(笑)