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昆虫採集、20のバイト。「真面目」な私の不真面目慶應論

「大学生のとき、何してた?」 各業界で活躍される方の、大学時代を振り返っていただく連載「ただいまキャンパス」。今回は昆虫研究家・篠原かをりさんにご寄稿いただき、慶應義塾大学でのエピソードをご紹介します。

よく真面目だと思われる。昔からこの真面目そうな顔つき一本で誤魔化してきた。カトラリーを使ってご飯を食べることすら、ままならなかったのに、この真面目そうな顔つきと母親お手製の「手で食べてもセーフなものだけ弁当」でうっかり私を入学させた私立小学校には本当に同情している。体育に出席しなかったという理由で学部を留年し、大学院の内部推薦の手続きを忘れたせいで進学が遅れたことを知られると驚かれる。

慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科先端生命科学コース修了。実に勤勉で真面目そうな経歴である。
でも、真面目であるか不真面目であるかは見た人が好きに決めてくれればいいと思っている。結局、経歴や見た目や振る舞いによって人が人を分類するために貼るラベルにすぎない。
他人の生き方は自分ではない誰かの生き方にすぎない。人生はn=1でアドバイスにエビデンスはない。
でも、いろんな生き方があると分かるだけで救われるものもある。私は大学で救われる生き方に出会った。
生物が好きでどうしても生物の研究がしたかったけれど、数学が致命的に苦手だったので、慶應義塾大学環境情報学部を選んだ。文理の境なく好きな学問をいつでも手に取れるのが魅力的だった。もし、どんなに憧れても生物学分野の研究者になる力がないと入学後に分かった時に分野を変えられるという保険も兼ねていた。
子供の時から生き物が大好きで、大学は生物分野しか考えられなくて、今も生き物の本を書いて、いろんな生き物に会うために各地を飛び回る仕事をしている。生物一筋で突き進んでいるように見えるかもしれないけれど、逃げ道を残すためにこの学部に進んだ。好きなものをずっと好きでいるためにそう決めたのだ。
そんな積極性にひと匙の消極性を足して選んだ大学で、学問以上の学びを私に残したのは、修士課程までお世話になる教授との出会いだった。
標準的であるかというとそうではない、はっきり言ってかなり変わった人だった。
どこでも野宿できるように大根の柄の布団を積んだバイク、ゴミ捨て場から拾ってきた座面の抜けた椅子、柱に結んだハンモック、きのこの原木、何かの畑、勝手に作って大学に怒られた煉瓦造りの釜戸。研究室の周りはざっとこんな感じで、その中心にいる本人はその全部を煮出して作った結晶見たいな人だった。
何かに分類したいとも理解できるとも思わせないような、迫力があって、たとえ誰かがラベルを貼ろうとしてもすぐにハラリと落ちてしまうだろうと思うような強烈さがあった。
世界的な研究者であったけれど、自らの軸は「研究」「スキー」「海外放浪」の三本であると語り、いろんなことに興味を持つことを肯定してくれた。
いろんなことに興味があって研究に一途になりきれなかった私が他の優秀な学生と自分を比べる苦しさに負けなかったのは教授のおおらかさのおかげだと感謝している。

学部時代はよく昆虫採集をしていた。ヒラタクワガタを採集できたり、アミガサタケが自生していたり、近隣を野生のキジが散歩しているような自然に恵まれたキャンパスであったが、目当ての関係で主に遠征で採集をしていた。名前を言ってもピンとくる人が少ない地味な虫に会うために何度も新幹線に乗った。いつか昆虫の論文を書きたいと思い、生態学の研究室を見に行ったり、授業をとったりしていたが、結局、昆虫そのものの研究はすることがなかった。でも、いつの日かという希望は持ち続けている。
修士論文は「一世代及び次世代のマウスの接餌中のタンパク質の量・質の違いが代謝に与える影響の検討」のようなテーマで、タンパク質のバリエーションとしてハチノコのタンパク質を使ったのみであるが、日本大学大学院博士後期課程に進学し、最近、昆虫表象の論文を投稿し、ドキドキしながら結果を待っているところだ。論文審査は告白の返事待ちよりもはるかにときめく。
私の最大の不真面目さは二足も三足も草鞋を履いて、二兎も三兎も狙うところである。色々なことに時間を割いているので、研究も全力で頑張っていますとは言えない。研究に人生を捧げている人を何人も見てきた。それを見て、私も全力で頑張っていますなんて言えない。
私の最大の真面目さは何足も履いた草鞋で本当に歩こうとすることである。専門家風味の文化人タレントとしてやっていくなら、S F C研究所上席所員という肩書きを大袈裟に見せておけば十分だし、同じような条件の人に相談されたら東大の修士課程を目指すことを勧めると思う。仕事をしていて今の大学院の名前を挙げてもらえることは少ない。何故か私はずっと慶應生だ。博士号より大学名の方が遥かに重んじられるタレント業でこの先も食べていくのだろうなと思いながら、私は、私を納得させるためだけに研究を続けている。

大学時代は、昆虫採集遠征の新幹線代のためにとにかくたくさんバイトをしていた。10や20では足りないかもしれない。労働は好きだった。でも、労働は私のことがあまり好きではなかったようで、長く続いたバイトはフィッティングモデルと男装喫茶と塾講師だけだった。フィッティングモデルとは、新しい洋服を作るときに試着する生きたマネキンのような存在である。モデルと言ってもチャーミングだったりスタイルがよかったりする必要はない。フィッティングモデルは普通であればあるほど良いのだ。大きくも小さくもなければ、細くも太くもない、中肉中背を極めた肉体で、その日、その場所にいれば良いというシンプルな仕事であった。それすらも日付や時間を間違えて達成されない日もあったが、この非凡なほど平凡な肉体に免じて許してもらっていた。
バイトはとにかくたくさん失敗をして、めちゃくちゃ落ちたし、めちゃくちゃ首になったし、めちゃくちゃ辞めた。そこで私でなくてもできる仕事ならば、多くの場合、私でないに越したことがないのだと学んだ。
割合にすると、失敗9割の成功1割だったけれど、結果的にはこの試みは成功だったと思う。私である必要がある仕事ならば、かなり大きな欠落も埋められること知った。
カルボナーラにチーズを入れ忘れて提供してしまっても、目の前の人を笑顔にできればギリギリセーフな仕事があり、火曜日と木曜日を間違えてしまうけれども、生徒の可能性の煌めきをめざとくみつけられる講師が求められる場合があるのだ。
とにかく沢山できないことがあるのをこの身で知って、こんなに色んなことができない私にもできることがあるという確かな手触りの事実は今もずっと私を支えている。
ちなみに文章を書くのは得意だと思っていたのでライターもやってみたのだが、ライターのバイトは二カ所でやって、二カ所とも記事を一本上げただけでフェードアウトした。フェードアウトというのは正しくないかもしれない。何故か、飲み会や合宿にだけ参加していた。教えられてないことは何一つできないので、9割がた飛んでいるようなバイト先の行事だけ参加することはかなり好ましくないということを知らず、人一倍楽しんでその場を後にした。
私は減点のない生活を送れない。いい加減な人間に見えてしまうことが多い。だから「真面目」とは言えないような気がしていた。「真面目」に生きたいと心から思っていても、「真面目」だと思ってくれる人の期待を裏切ってしまうと思っていた。
でも、改めて「真面目」の意味を調べてみたら「真剣であること。本気であること。」らしい。一つの側面を切り取ると自分が「真面目」である自信がなくなることがある。研究に一途になれないこととか、夢の学問に真っ直ぐ挑めなかったこととか、失敗しないこととか、不真面目だと断罪してくれた方が幾分か楽なことがある。しかし、研究も仕事も続けているのは事実である。私は、不真面目という穴ぼこを許容しながらでなければ、いずれも1年も続けられなかったと思う。自分が本気で生きていることにその不真面目さが必要ならば、それもまた真面目さを構成する要素なのだと思う。

文・篠原かをり
1995年2月20日生まれ。動物作家・昆虫研究家。
慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科先端生命科学コース修了。日本大学大学院 芸術学研究科博士後期課程在籍中。2015年『恋する昆虫図鑑 ムシとヒトの恋愛戦略』(文藝春秋)でデビュー以降、執筆のみならず図鑑監修も行っている。TBS「世界ふしぎ発見!」のミステリーハンター、NTV「嗚呼!!みんなの動物園」動物調査員としても活動中。Twitter:@koyomi54334


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