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夏休みの自由研究

お盆休みに入って、夏休みの自由研究を続けています。
今年のテーマは「縄文遺跡」ということで、縄文時代の遺跡や貝塚めぐりをしています。近辺の愛知県内三河地方の三河湾に近いあたりに点在する縄文後期から晩期に成立した遺跡や貝塚。

1)真宮遺跡(岡崎)

岡崎市の真宮町から六名町にかけての40,000平方メートルの遺跡だけど、発掘調査されたのはその1割ていど。
昭和五十三年の第何次かの発掘調査で、高校二年の時に少し手伝わせてもらった。縄文の甕棺や遺体が出土して話題になっていた。

ここは縄文晩期から、弥生、古墳時代と続く集落が継続的に作られてきた場所。近くを三河平野を作ってきた矢作川(御河)が蛇行。対岸には鎌倉時代の池田遺跡があり、古代から中世までの人の暮らしの拠点だった地域。
真宮遺跡は埋め戻されて、今は遺跡公園としてなんとなくそれらしく設えてあるが、資料館や案内は足りないと思う。

真宮遺跡公園。
縄文人の住居あと、全て埋め戻し。
竪穴式住居遺構

2)平井稲荷山貝塚(豊川)


豊川市の小坂井町の文化センター内の図書館で場所を教えていただいた。図書館から車で4分。近くを東海道新幹線が走っている。豊川放水路の河口近くである。
行ってみて驚いた、いろんな縄文遺跡を紹介する書籍にも登場する三河を代表する貝塚だが、剥き出しでほぼそのまま。地域は稲荷神社の山である。
貝塚の保存てこんなものなんですね。
その石段を上がっていくと石鳥居があって、境内は一面のかいの残骸。まさに貝塚。
ここで三千年前野縄文人が座って貝の殻をむいていたか、貝殻を捨てに来ていたかと思うと万感胸に迫るものがある。

三河縄文人の遺体の特徴である、抜歯されている貴重な資料が発掘されているとか。
小坂井町もちょっと予算をさいて保存展示にかけていただきたいなあ。

「石器時代遺跡」の石碑も時代がついてる。
菟足神社の境内一面が貝塚の頂上。
古代人の触れたかいが目の前に。

3)菟足神社貝塚(豊川)

菟足神社は国道1号線で豊橋から名古屋方面に向けて走り、豊川放水路の端を渡って数分の左側。
菟足神社の境内と隣接する民間の私有地にかけてある貝塚である。
菟足神社さんはとても古い神社で、かつては猪を生贄にしていて、今は雀十羽を奉納しているとのこと。
友人の話では「菟足」という名前もアイヌの言葉からだそうだ。
縄文とアイヌ。
古代からつながる文化の系譜をそれとなく感じさせてくれる話である。

貝塚は長方形に貼られた縄の中で、プレートがある。

菟足神社本殿
剥き出しでここも遺跡が近い。
変哲もない空き地が古代の貝塚なのだ
貝がら

4)吉胡貝塚(田原)


ご存知、渥美半島の蔵王山の麓の吉胡貝塚。ここからは大量の人骨が出土され、犬の埋葬も記録されている。
貝塚のあとは屋根が付けられ人骨の埋葬された状態が再現され、レプリカ展示もある。
なにしろ三〇〇体を超える人骨が出たのだからすごい。

ここにはちゃんとした資料館があり、そんなに大きくはないけど、とてもよく作られていてみていてたのしい。何度もお邪魔しています。
子どもさん用のクイズもあるし、興味を持つ大人の好奇心を満たしてくれる展示になっている。
縄文文化に触れるための、さまざまワークショップもある。かつて娘と古代の織物ワークショップに参加したことがあるが、楽しいお話もあって、好印象。
近くで行っていない方はぜひおいでください。

木陰で涼んでいたら狐が通り過ぎていった
吉胡貝塚の石碑
人骨レプリカ
人骨レプリカ
縄文人頭蓋骨レプリカ
資料館

5)堀内貝塚(安城)

隣町の安城の貝塚。
まずは安城市歴史博物館に立ち寄り、ショップで歴博の図録購入。埋蔵文化財センターの展示を見学しつつ、貝塚の場所をチェック。

安城市の桜井町の堀内公園の駐車場の斜面に「堀内貝塚」は露出していた。
アルミサッシの窓が二箇所に取り付けてあり、「貝塚の内部」が見学できるようになっている。
低予算ながら心のこもったアイデアである。
ここからも土坑に埋められた女性や甕葬のもの、再葬されたものなど、人骨が発掘されているとのこと。

安城歴史博物館図録 
堀内遺跡石碑
案内パネル
窓から覗いた貝塚内部
貝殻

6)東端貝塚(安城)


堀内貝塚から車で十七分。
碧南までもう少しの、油ヶ淵に近いところ。
八劍神社の鳥居横の神社林の下に眠っている貝塚。
黒っぽい表土に覆われているけど、ところどころに白い貝殻が浮かび上がっている。誰かが来て掘り出したものかもしれない。
ここも保存というよりはそのままにしてある感じである。あちこち貝塚巡りしている間にそんなラフな感じでいいんだと思うようになってきた。

この一帯は旧日本海軍の「明治航空基地」のあった場所でもあるらしい。
一九四三年に作られた航空基地で、練習生の教育する場であったようだが、戦況芳しくなくなり本土の来襲する敵B二九を迎撃するために戦闘機は飛び立っていったという。

縄文貝塚と海軍基地が同じ場所にある。それも感慨深いものがある。

八劍神社本殿も重要文化財
東端貝塚案内板
神社林の土の下
露出していた貝
蛤かな?
明治航空基地石碑


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