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『CODA』

「CODA」と名付けられた二つの映画を観ました。

❶ゴッドファーザーⅢの再編集版と、
❷仏映画「エール」の米国リメイク版。

CODAの意味はそれぞれ違うようで、
❶では「最終楽章」
❷では「聴覚障害の両親をもつ家庭の子ども」を意味するそうです。

ふたつのCODAは、どちらも家族を描きます。
どちらもきついなぁ。
前者のマフィアのボスの家も嫌だし、後者の助け合わなきゃ生きていけない家族の圧力も嫌だ。

違いは家族の権威である、父親や、両親が最後に子どもたちを手放せるかどうか?圧力を感じている子どもたちが反抗できるか?だろうなぁ。

どちらの映画も子どもは家族から離れ救いを音楽に求める。オペラに、そして音大に。
そこには家族を離れても大事な「音楽がある」という確信が家族圧力から彼らを解放して、反抗する力を与える。
どちらの親もそれを許すことでようやく理解と赦しがある。

ま、前者の場合は手遅れ。
父親のしでかしてきた罪を一身に娘が背負うことになるのだが。

家族は映画の中でほぼ100%テーマとして描かれている。
人間社会の最小単位で、人類再生産現場だから無理からぬところだけど、問題は生産現場と消費の現場を一致させようとしてるのがそもそも無理があり、その葛藤が多いのかもしれませんね。

子どもを家族という圧力鍋から開放してあげよう。家庭という生産現場から、社会という消費市場に解き放ってあげよう。つまらない喩えだね。
言いたいのはつまり子離れだよね。

子離れが済んだら、親同士も自由になった方がいいと思うな。

ゴットファーザーCODA
CODA愛の歌

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