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僕が一番欲しかったもの

槇原敬之の歌う
『僕が一番欲しかったもの』
という名曲があります。
とても素敵な曲です。
聴いてみてください。本日のテーマになってます。
私はこの曲を聴くといつも泣きます。
ほんとに毎回、何度聴いても、泣いてしまうんだー。

冒頭からマッキーに丸投げかよ!!
こんにちは私です。
自分の本当に欲しいもの、なかなか見つかんないもんですよね。
「世界にひとつだけの花」が、阿弥陀経だとはよく言う話ですが
マッキーは本当に良い歌を歌ってくれます。
ライブに行きたいな。行こうかなぁ。目標にしようかしら。生で聴いたら号泣しそう。

今年の占いや、スピリチュアル界隈で
「今年は、自分が本当に欲しいものを見つけた方が良い」
という話をよく聞きます。
それも例えば「良い家に住みたい」とか「コードレス掃除機が欲しい」とか物質的な話ではなく(私のことです)
「旦那に幸せにしてほしい」とか「人間関係の良い職場に勤めたい」という他者に対しての望みでもなく(昔の私です)
「自分が、本当にどうありたいか。どうあれば幸せなのか」
という深層心理的な問題らしいです。

これって、すんんんんごく難しいですよね!
「食洗機のある家に住んでコードレス掃除機でお掃除しているわたし」
でもなく
「良い職場でしっかり働いて人様の役に立ちお金を稼ぐ私」
でもないのです。
根源的、源泉的な
「どうありたいか」
という自分像。
本当はずっと昔から持っているはずの自分の理想像。
いよいよそれを叶えていく時代なんだよ、とはよく言われますが
それがほんとうううううにむんずかしいいいいいい!!!!
だって、それって何よ!?
って話です。

閑話休題。
先日誕生日プレゼントに、紫陽花柄の石鹸を頂きました。
「まいさんは、紫陽花みたいな人だなと思って」
という素敵な言葉を添えて頂きました。
プレゼントがとても嬉しかったことの他に、私を紫陽花と思ってくれたことが本当に嬉しかったのを覚えています。

中学生のころ家族で住んでいた、小さなお家があるのですが
そこの前庭に紫陽花がたくさん咲いていました。
うちの母はその頃からフルタイム+残業マシマシで働く毎日で
決して暇な人間ではなかったのですが
その紫陽花のことは、毎年必ずきれいに手入れをして、見事に咲かせてくれていました。

「紫陽花はなぁ、枯れたら摘んだらなあかんねん。そうせな来年きれいに咲かへんねん」

そう言いながら盛りの過ぎた紫陽花を手折る母を
麦茶を飲みながら縁側で見るのが大好きでした。
父が蒸発したり、借金取りがやってきたりして、あまり良い思い出があるはずない家なのですが、
紫陽花のこともあってか、私はこの家が大好きでした。
そして
「大きくなったら紫陽花の手入れが出来るような人になりたい」
と思っていたのです。

紫陽花の石鹸は私に、忘れていたこの思い出を連れてきてくれました。

そっか。
毎年紫陽花の手入れが出来るような
そんな人になりたいんだ。
僕が忘れていた一番欲しかったもの。
紫陽花の手入れが出来るような人。
穏やかで優しい紫陽花のような人。

きっと私の辿ってきた道も
今過ごすこの時間も
決して間違ってはいなくて
だからきっと、
なりたい自分にはいつだってなれるし
こうやって時がくれば、すべてうまくいくのさ。

お風呂で紫陽花の石鹸を使いながら
そんな風に口ずさみました。

忘れていた気持ちを、ありがとう。


本日も良い日です!
支えてくれている、みなさま。
読んでくださってる、みなさま。
ありがとう!!

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