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【短編】サザンカンフォート

瞼に突き刺さる日差しで目が覚めた。
ぼんやりと辺りを見渡す。
12月のくせに馬鹿みたいに晴れた青空が窓から覗いている。

枕元には、空になったサザンカンフォートの酒瓶がゴロンと転がっていて、部屋中酒臭い。
一体どれほど飲んだのか、ひとりで飲んだのか、それとも誰か一緒だったのか。
考えたくもないし、思い出したくもない。
どのみちロクなことはないのだけれど、せめて人として道を踏み外していなければ、と思った。

ふらふらと台所に行って蛇口をひねり、水を飲んだ。
冬の朝の冷たい水が喉を流れて心地よい。
冷蔵庫に貼られたカレンダーを見る。
「おめでとう」
自分で自分につぶやいた。
30歳の誕生日は強烈な二日酔いで始まった。

ジャニス・ジョプリンは酒に溺れて死んだ。
亡骸が横たわるベッドの周りに、彼女が愛してやまなかったサザンカンフォートの酒瓶が何本も転がっていたという。
今際の際まで酒に溺れる感覚はどんなものだろう。
想像してみたけれど、分からない。酔いどれている時の自分とさして変わらないような気もする。
彼女は死の延長線上に生きて死んだ。そして英雄になった。
私は強烈に死に憧れ続け、それでも30歳の今日もまだ、生にしがみついている。

ジャニスのように一瞬の輝きを放ち死んだ人を天才と言うのだろう。
私はジャニスではない。
だからジャニスのようなふりをしたって、死の延長線上に生きることも許されないし、私が例えば酔いどれて死んだとしても、それはただただお間抜けさんなだけだと思う。
私は死に憧れ続けて、それでも生きていつかは幸せになっていくのだと知っていて、
そしていつかの未来で幸せになるのが、死ぬほど怖いのだった。

ニットワンピにコート、ブーツを突っ掛けて12月の街中へ繰り出す。
吐く息は白く、クリスマス前の街は鮮やかだった。
ジングルベルが聴こえてきて、クソッタレだと思った。
駅前通りを斜めに歩く。
ジンジャークッキー。
ブッシュドノエル。
シュトーレンにグリュワイン。
金銀の包装紙、赤のリボン。
間抜けな顔のトナカイ。
目が笑っていないサンタの置物。
それでも今日は私の誕生日なのだ。

駅前を見渡すカフェに入る。
お寒いですが、と制する店員を逆に制して、テラス席に座った。
「ハートランド。グラスなしで」
こうなりゃ迎え酒だと、ビールを注文する。
運ばれてきた酒瓶に口をつけ、爽やかな液体を胃に落とし込んでしまうと、平静を取り戻していくように思った。
酒を飲んで平静か。
ひょっとしてこのまま、幸せにもなれないまま、死ぬにも死ねないまま、ただのダメな人間として終わるんじゃないだろうか。

向かいの通りを、幸せそうなカップルが歩いて行く。
私は泣いた。
泣いても泣いても、ボロボロと涙がこぼれ落ちてきた。
涙さえ酒臭いような気がした。

幸せになりたい。

向こうに見える駅前の広場を、親子連れが横切っていく。走る子供を叱る母親と、遠くから見守る父親。
私の幸せって、なんだろうか。
素敵な恋人と過ごすこと?
幸せな結婚をして、家庭を持つこと?

30歳の平凡な女は、サザンカンフォートの瓶を一晩で丸一本空けてもなお、生きている。
残酷なほど平凡に生きていて、だから、幸せにならなければならない。

結局ハートランドを2本開けて、通いの居酒屋に行って、ワインをラッパ飲みして帰路に着いた。
朝から何も食べていなかった。
酒を飲むより何か食べればいいのに。
玄関の鍵を開ける。
ベッドに倒れ込んで見上げると、掛け時計が0時を告げていた。
「これもまた、幸せだよ」
そう、きっとこれも幸せ。長くは続かなくても。

・・・

空になったサザンカンフォートの瓶に、バラの花が一輪。
冬の晴れ間のあったかい日差しが、リビングを包んでいる。
お昼のニュースでは、水族館の白クマが誕生日に氷のケーキをもらった話をしていた。
「誕生日おめでとう」
呟いて笑った。白クマとおんなじ誕生日かぁ。

今日、私は40歳になった。

結婚はしていない。恋人は居る。
少し風変わりな彼氏はカレー屋を営んでいる。今日はランチ営業で仕舞いにして、私の誕生日を祝うんだと張り切っていた。
仕事は楽しい。海外の雑貨を扱うネットショップで働いている。人間関係も良好だ。
ばかみたいに酒を飲むのは、やめた。
その代わりに、月に一度だけ、恋人と酔っ払う日を作っている。

私はジャニスにはなれなかった。
だけど最近は、そんなことも考えなくなった。

これを、幸せと言うのかしら。

答えはわからなかった。
わからなくていいのだ、と思った。
幸せが何かなんて考えるものじゃあないだろう。

テーブルに置きっぱなしのスマホが鳴った。彼からだった。
「今仕事終わったよ。外食する?それとも家でワイン開けようか」

そうだねぇ……。

サザンカンフォートの空き瓶に、彼にもらったバラの花が一輪。
幸せってたぶん、こういうことだ。

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