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安楽死を考えた日々の話

2016年から2018年まで僕は寝たきりだった。

モルヒネやフェントスを使っても短時間しか取れない痛み。

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ごはんもこうやって食べるのがやっとだった

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この頃はスマホを眺めるのも苦痛で仕方なかったが、調子の良い日にひたすらしていたことがあった。
それは安楽死の方法を調べることだ。


スイスに行けば安楽死ができることがわかったが、僕には精神疾患の既往があるので無理そうだということもわかった。
オランダに行けば精神疾患の既往があっても安楽死ができることがわかったけれどオランダで安楽死をするには永住権が必要だということもわかった。
残されたのはベルギー。
ちょうどその頃、ベルギーで悲惨な虐待を受けた若い女性が安楽死をした。
が、当時の僕の検索能力では日本人がベルギーで安楽死をしたという情報を得ることはできなかった。


僕は死ぬ事も許されないのか


落胆した。ただただ落胆した。


痛みというのは想像以上に人の心を蝕む。
普段は平気なことでもまわりに当たってしまったり、イライラしたり、自分が自分でない感覚に襲われる。

そうこうしている間に緩和ケアの訪問看護が入ることになった。

社長の看護師さんと僕の1つ年上の看護師さん、理学療法士さんが計週3回入って体のケアをしてくれるようになった。
当時は毎日微熱が続き、寝ているのもしんどくて、正直あまり記憶にないけれど看護師さんたちがとても親切にしてくれた記憶は残っている。


リハビリの先生は唯一今も僕の体を預けることができる先生だ。


あれから月日は流れて、治療薬が体に合い、電動車椅子で1人で出かけられるようになった。
仕事もできるようになった。

それでもたまにふと頭に安楽死の文字がよぎることがある。


僕の病気は進行性なので、もし万が一またあの時のように悪化して、今度こそ治療ができなくなったとしたら、そのときは安楽死したいと思うからだ。


きっとまたあの状態になってしまったとしたら、僕はもう耐えられない。耐えることができない。

そのときのためにも安楽死というカードを持つことができていたらきっと今をよりよく生きることができると思う。

精神疾患の既往があっても、進行性で痛みのひどい病気や苦痛が強い病気に対しては安楽死を認めてほしい。
外国に行かなくても、安心して死なせてほしい。


いつか死ぬそのときまで、今を豊かに生きるためにも。



















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