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立ち上がる銀色の巨人の身体が全て。シン・ウルトラマン。出オチとも言えるけど

予告が公開になって動画をみた。あの銀色の巨体が砂煙をあげてゆっくりとあたまをもたげ、立ち上がる姿が流れた時、ぞわぞわとさせられた。あのぬぼ〜とした立姿の得体のしれなさ、初代マンの猫背を彷彿とさせる立姿がこの映画の期待値をMAXまで上げた。

美しかった。
長澤まさみ演じる浅見弘子も思わず呟いた「美しい」。
段々と正義の味方みたいになっていったウルトラマンじゃなくて最初の頃の所在なさげな様子がパワーアップしてそこにいた。
デザインした成田さんの初期コンセプトに近付けたということで、それが功を奏したようだ。初期デザインは口元が造形の未熟さでガチャガチャだった。シーズン放映途中からなおされてスッキリしたが、本来は最初から口角をあげた微笑みを表現したかったのだろう。さらに今回のバトルシーンはどれも美しく特に夜景の都市を背景にしたバトルは綺麗であった。スペシウム光線の描写は満足だったし、なによりウルトラマンの背中の曲線から身体が美しく、技も含め全て美しかった。

ネタバレ⚠️
いつも楽しみにしている山田五郎さんのYouTube番組のゲストで仏像の話をしに、みうらじゅんさんがみえた。その中でウルトラマンの造形に仏像が影響していたという話をしておられた。「お、もうすぐ観に行くしな」と興味深く聞いていた。元々仏像好きだからこそウルトラマンの造形にも興味があるのかもしれない。
みうらじゅんさん解説の中で、ウルトラマンの口元の笑みについてアルカイックスマイルを表現している、という指摘があった。スペシウム光線に関する半跏思惟像の動作から来ているのでは、という考察も、光の国は弥勒菩薩が待機中である兜率天がモデルという、仏教的世界観の話に、さもありなんと納得しかなく、観る前にこの動画で予習出来て良かった。神永が微かに微笑み、ヒントを渡すシーンはたしかにアルカイックスマイルを思い起こさせる。
動画での指摘で、フィギュアと信仰心について言及があるけれども、私たちは信仰の対象をこの手におさめたい欲望があるのかもしれない。ヒトガタをとるとそこに人間的で哲学的な思想を見出してしまうのが人間で、禍威獣のような非ヒトガタのものに警戒をもってしまうのは本能的なものだとしたら納得が行く。人が獣に相対していた時期は長い。
巨体と美女という欲望もなにやら信仰の対象物に対する親密さに繋がる気がする。今回も浅見弘子が手のひらへ受け止められた。手のひらに乗る美女モチーフ好きだよね。
この弘子のキャラクターが地球人になったばかりのウルトラマンを導く重要な結節点となる。神永の自己犠牲は地球人に興味を持つ端緒になったのだろうが、その後の地球人への関心は主に禍特対のメンバーのパーソナリティによる。言わば神永新二とミックスされたウルトラマンを育てたのはこの数人の仲間達だ。それにしても、それでいいのか。サンプルが少なすぎるのでは。昔からハヤタのパーソナリティだけで地球を判断していいのかなと思ってはいたけれど。「人間そんなにいいかな〜」と当時思っていた。
今回も神永の自己犠牲、それだけで全地球人肯定してくれるの?優しすぎん?と正直考えた。ちなみに神永くんが本で人間を学んでいた時に読んでいたのは未開の人々を深く考察した有名な著作『野生の思考』だったのでなるほどわかってる人は分かってるんだな、と感心した。
地球人にシンパシーを感じてからのウルトラマンは明らかに立姿が違っていたし、ザラブのニセウルトラマンはもう別人ですぐわかる。何やら破壊神の様相(昔は目がつり上がって子どもに分かりやすくしてたけれども)見ている側が立ち現れるものをみて判断している。目の前にいる人の身体からたち現れるものをキャッチしながら人はその情報量を処理している。複雑なプロセスを経て虚像を結ぶものなのだ、などと物語の進行に全く関係ないことを考えていた。

演者はみな達者であるし、特に斎藤工の神永は得体の知れなさ際立ち、ただ立っているだけでも異物感があった。徐々に人間に親しんで行く過程でご本人もグラデーションに気をつけたと仰っていた。映画冒頭で子どもを守り命を落とした神永の死体、横たわるウルトラマンのない神永の傍に佇むウルトラマンとミックスされた神永は明らかに身体が違っていた。中間の存在であることをかなり意識したと仰るだけの事はある。全て理解して臨むのだ。俳優は大変だ。

何故か無駄に明るい禍特対はテレビ版の継承か、テイストが余り変わらない印象で、令和なのにオタクで好感を持てる。メフィラスの山本耕史は流石で、好きな言葉括りは面白い。正直、シーズン最大の敵ゼットンまで出てくるとは思わなんだ。
まァファンサというより元々、初代テイストで行くという意図なのだろう。

ゼットンには叶わないのも、向かっていくのも、立ち上がる人類もただただアップグレードして描かれているだけで、特に目新しいものはなかった。そこのアップデートはなかったわけだ。個人的には自己犠牲というオチに果たして今カウンターなのはこれなのか?という?が浮かんでくるけれど、制作陣はそこは変えずであった。それがいいのか、正直分からない。その他にも、なぜ飛ぶのか、あれは皮膚か?なんて言う過去にあったツッコミに対して答えを準備していた。宿題に答える態度は真摯ではあるけど、ある意味クソ真面目で面白くない。用意されていたらしいラブシーンもなくて正解だった。恋愛に落とし込む印象の樋口監督、それを回避出来てよかった。監督はロマンチストですから。
元々「シン・ゴジラ」的なものを期待していることが違う。かと言ってゴジラ程の思想がないかと言えばウルトラマンの背景にもいろいろある訳で、先人たちの素晴らしい評論が言語化してくれている。
本当に何か衝撃与えるものがあるなら帰マンなのかもしれない。


ウルトラマンの人間に対する愛にゾーフィーが割と否定的だったのは新鮮だった。ゾーフィーって割と人格者キャラだった印象だったので。
「死を受け入れた上で生きたい」と思う心がウルトラマンを救った。というゾーフィーの言葉から徹頭徹尾ウルトラマンは哲学的な存在で、悩み惑う存在だ。神の外観と惑う精神がウルトラマンの身体性を複雑にして観るものを惹き付ける。美しいウルトラマンと出会えた。それだけでいいな。

最初に出現した時、たち現れた瞬間が私にとってウルトラマンの全てだ。人と人ならぬものとの邂逅、出オチといいながら、それは人を肯定する希望、それは美徳ではある。
だが人はその肯定を守りきることが出来るだろうか。



シン・セブンやっちゃうのかな。マルチバース連呼してたのでいろいろ可能なのか。
帰マンに行くならそれも仕方ない。

#シンウルトラマン  #斎藤工  #山田五郎 #みうらじゅん


SpecialThanksおにく(イラスト)


参考
是非観て!この動画は普通に面白い。


ちょっと寂しいみんなに😢