私も猫は好きだけど
こんなこと、自分の国で起きてはほしくなかった。
とんでもない異常な事態だ。あってはならないことが起きた。どんな人も、いきなり銃口を向けられる正当な理由など存在しない。その人が政治によって今までどんなふうに弱者を踏み躙ってきたとしても、だ。
あまりにもセンセーショナルなニュース。いつもの自分なら速やかにSNSやら各種メディアやらを遮断して心静かに……というところなのだが、そうはできなかった。「怖い」「つらい」「見たくない」と蓋を閉めるには衝撃も影響も大きすぎた。
何かおかしな事態が起きている。今回ばかりは、むしろ目を背ける方が怖い、と思った。でもこのネガティブな反応をそのまま放り出すのは気が引けた。ろくなことにならないから。
そうこうしているうちに、タイムラインでは不思議なことが起きた。次々ともふもふした動物の写真が流れていったのだ。猫、猫、ときどきお昼ごはん、猫、犬、猫。
猫は好きだ。猫は可愛い。猫アレルギーだけどできるなら猫と暮らしたい。猫は尊い。
でも、わたし、今じゃないかもな。
率直にそう思った。今抱えているこのネガティブな気持ちや違和感やモヤモヤや、そういうものに無理矢理蓋をして目をそらすためにもふもふしたものに救いを求めたり、明るく振る舞ったり、そういうのじゃないなと思った。
どしゃ降りの日に無理に晴れの日の話しなくてもいいのよ。傘は差すけど。「どしゃ降りでしたね」「ですね。靴の中まで濡れちゃいました」「それは大変」でいいでしょ。
いちおう断っておくと、しんどいニュースにさらされ続けるのが精神衛生上よくないことは承知の上である。わたしも今日はテレビをつけていない。それから黙っている人が何も考えていないと批判したいわけでもない。わたしもどちらかといえば黙っていながらぐるぐる考え続けるほう。
でも、今は無視できない。ついぽろぽろと本音がこぼれる。
別に、つらいことはつらいままでいいんじゃないかな。無理にポジティブになろうとしなくたって。こんな事態、政治思想にかかわらずだれもがショックを受ける。元気になれないのは至極ふつうだ。
悲しい人は無理に笑わなくてもいいし、怒りたい人は怒ればいいし、猫をモフりたい人はモフればいい。ただ、自分の今の気持ちに嘘をついたり、無理矢理目を背けたりすることはきっと健全じゃない。
難しいことは難しいまま、わからないことや考えたいことは自分の頭と言葉でちゃんと考えてみる。そのほうが気が楽だ。過度に不安を煽ったり耳触り目触りのいい言葉ばかりを並べたりする大人からは距離を取りながら。疲れ果てない程度に。
もちろんその間も生活はつづく。それとこれとは別だから。お腹は減るし、仕事はしなくちゃいけないし、眠いし、できればおやつも食べたいし。
あーあ。とりあえず今週末は選挙だね。生きようね。
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