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私はいったい何を憎めばいいのでしょうか

人の死に関することを書きます。心が元気じゃないなと思う方はそっとブラウザを閉じていただければ幸いです。
季節外れのカバー画像は祖母の家に咲いていた紫陽花。


教えてください。私はいったい何を憎めばいいのでしょうか。

流行から1年半経っても収束の兆しの見えないウイルスでしょうか。政府でしょうか。オリンピックでしょうか。飲み会でしょうか。人間でしょうか。

いずれにせよ、母はたったひとりの弟を見送ることを諦めなくてはなりませんでした。私はいま、悔しくて堪りません。

先日、遠方に住む叔父が亡くなりました。時節柄誤解を招くといけないので書き添えますが、死因は心不全と聞いています。突然のことでした。

人が突然亡くなったときには警察による検死が行われるそうです。叔父の場合にもそのプロセスが必要でした。そして、検死のために家を訪れた警察の方が、立ち会いをした叔母たちに開口一番言ったそうです。

「東京から来た人はいないでしょうね?」と。

いまは8月。お盆の季節です。関東で暮らしている私も父も母も、昨今の事情を鑑みて昨年も今年も帰省はしませんでした。ですからその質問に対しての答えは「いいえ」です。

私は直接聞いたわけではないのでその方がどんな口調で、どんな意味で言ったのかは分かりません。でもきっと意地悪で言ったのではないということは分かります。濃厚接触者だったら検査をしなくてはいけないなどの事情があるのかもしれません。

しかし私はそれを聞いてショックを受けました。小さな田舎町の人たちにとって、もはや「東京(=関東)の人」は人ではく、危険なウイルスに汚染された脅威でしかないのだと理解しました。

叔父は4人姉弟の末っ子で長男です。上から伯母、私の母、叔母、そして叔父。東京から新幹線や在来線を乗り継いで6時間ほどかかる東北の小さな小さな海沿いの町で、私の祖母、つまり叔父にとっての母とふたりで暮らしていました。

4人の姉弟のうち、私の母だけが関東で暮らしています。1年半経っても感染爆発の止まらない関東で暮らしています。だから母は、たったひとりの弟を見送ることを諦めてくれと、そう告げられました。

全員が顔見知りで親戚のような小さな町です。医療のリソースも決して十分ではないでしょう。感染者が出たとなれば一大事になるだろうと予想がつきます。万が一、仮に母が葬儀に参列して、そこで感染者が出たとすれば。たとえ葬儀が感染源ではなかったとしても、どんなことが起きるかは想像に難くありません。

叔母たちや母にとってはたったひとりの弟の、たった一度の葬儀でも、そこで暮らす人たちの生活は続きます。

だから、仕方がないのです。母が葬儀に参列できなくても仕方がないのです。私はいま必死に自分にそう言い聞かせています。

でもやっぱり、仕方ないという言葉では収まりがつかないのです。

叔父は私にとって優しい人でした。

先述の通り、祖母と叔父が暮らす家まで片道6時間はかかるのであまり頻繁には会えません。母に連れられて帰省するのはいつも夏。回数は少なくても幼い私にとっては大冒険だったので、海の目の前の駅舎の風景や潮の匂いをよく覚えています。

叔父は恥ずかしがり屋なのか、たまにしか会わない幼い私の扱いが分からなかったのか、昔からあまり口数は多くありませんでした。でも、お腹は空いていないかとか、墓参りばかりで疲れていないかとか、ジュース買ってあるから飲みなさいとか、そんなふうに不器用な優しさを見せてくれる人でした。

そんな叔父が一度だけ、大人になった私に電話をくれたことがありました。私が結婚したときです。

「おじちゃんはあんまりお金がないから、お祝い少しだけでごめんね」
「まいちゃん、おめでとう」

そう言ってくれました。

遠く離れたところで暮らし、会ったことも数えられるくらいの叔父ですが、余裕のなかったであろう稼ぎの中から大切なお金を封筒に包んで送ってくれました。

私は叔父がどういう風に育ってきて、どんな仕事をしていたのか、どういう人となりだったのかはよく知りません。でも少なくとも、私にとっては照れ屋で優しいおじさんでした。大切な人でした。

そして同じように、それ以上に、私の母にとっては大切な弟でした。

でも母は叔父と、弟と最後のお別れをすることが叶いません。さっき私と電話で話したときは平気なふりをしていましたが、途中で父と電話を代わったとき、その奥で母が泣くのが聞こえました。

仕方がないはずがないのです。平気なはずがないのです。人の死をまともに悼むことすらできないこの状況が、仕方ないで済むはずがないのです。私はこの状況が憎くて悔しくて堪りません。

この1年半で、人の命が数字に閉じ込められることにすっかり慣れてしまったような気がしますが、人の死には顔があります。目があり、耳があり、鼻があり、口があり、言葉があり、意思があり、またそれを囲む人の思いがあります。

このやるせない気持ちを、この悔しい気持ちをどこでどうやって受け止めたらよいのでしょうか。誰も悪くありません。叔父も、母も、警察の人も、町の人も。

ただ早く、普通の日常を。人の死を普通に悲しむことを。それすらできない現状を、いったい私はどうやって憎めばいいのでしょうか。

私はいったい何を憎めばいいのでしょうか。

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