見出し画像

世界最小のプロポーズ 著:朝倉 千秋

リリィ、さよなら。さんの楽曲「指輪」を原作としたコラボ小説。

楽曲「指輪」はこちらから!
https://linkcloud.mu/be03d2c5

リリィ、さよなら。

Instagram:https://www.instagram.com/lily_sayonara/
公式HP:https://www.lilysayonara.jp/

世界最小のプロポーズ 著:朝倉 千秋

あらすじ
図体の割に小さな男。
そんな「僕」は、恋人へのプロポーズに向けて
密かにある決意をしていた……。


―第1話―

「誓いますか?」
 そう問いかける神父は、明らかにデカ過ぎた。
 白い髭を蓄えた、彫りの深い巨大な顔がぐいと眼前に迫ってくる。あまりの威圧感に言葉が出ない。代わりに冷や汗が頬をスッと伝って落ちた。
 どうしたの? という顔で、ウェディングドレス姿の真優が隣から顔を覗き込んでくる。まずい、と僕は思う。こんなことで動揺してはいけないのだ。そんなんだから、身体に似合わず小さな男だと言われてしまうのだ。誓います、とたった一言答えれば良いだけじゃないか。
 しかし、喉は砂漠のようにカラカラに乾き、ひゅうという掠れた音だけが虚しく響いた。
「誓えないのですか?」
 巨大な神父が眉をひそめ、僕に詰め寄る。真優が不安そうに見つめる。言わなきゃ、言わなきゃ、と焦りに背中を蹴とばされるように、僕は声を絞り出した。
 
自分の叫び声で目を覚ました。十二月の冷える朝なのに、Tシャツは寝汗でじっとりと濡れていた。
 枕元のスマホを拾い上げてロックを外すと、読みながら眠ったプロポーズ特集の記事が表示される。こんなの読みながら寝たからだ……、と先ほどの夢を思い出して頭を抱えた。プロポーズの計画を練るだけで、こんなにもビビっている自分が我ながら情けない。
 付き合い始めて七年になる今年の記念日に、プロポーズをしようと決めていた。

プロポーズ決行まで あと十二日。

―第2話―

 きっかけはゼミの打ち上げだった。その日は教授がいつになく上機嫌で大いに盛り上がり、遅い時間まで飲み会は続いた。僕も真優も最後まで残っていた学生の一人だった。
 終電が近づいて解散になった後、帰り道で教授が転倒した。幸い大事には至らなかったが、老体の教授はしばらく立ち上がることができなかった。
 介抱しながら何とか教授を駅まで送り届けたときには、真優の終電は既になかった。終電を逃すと分かっていたのに、最後まで教授を介抱していたのだった。
 彼女は途方に暮れていて、ひどく寂しそうに見えた。僕の終電はまだあったけれど、見捨てて帰るなんてできなくて、僕も終電逃したよ、と嘘をついた。小心者の僕だから、そんな小さな嘘をつくにも心臓が口から飛び出そうなほど緊張した。 
 始発まで時間を潰すため、朝までやっている駅前の安い居酒屋に入った。僕はガチガチに緊張していて、彼女は教授の介抱を押し付けて終電に走った学生たちに大いに腹を立てていた。温厚な彼女には珍しいことだった。そうだそうだ、と僕が同意すると、そうだよね、と彼女は眉間に皺を寄せて身を乗り出した。
 僕も普段から感じていたゼミ生への不満を述べると、彼女はみみっちいね、と笑った。少し恥ずかしかった。でもその笑い方は、不思議な温かさと共感に満ちていて、彼女も少なからず同じ気持ちでいたのが分かった。だからだろうか、いつものように自分の器の小ささがジクジクと痛む気がしなかった。
 いつの間にか僕の緊張が解けていた。

―第3話―

 それから朝まで色々な話をした。しばらく話して、僕らはとても気が合うということが分かった。共通の趣味があり、物事の考え方が根本的なところで似ていた。僕がみみっちいように、彼女にも彼女なりのみみっちさがあった。本当に気が合うね、と二人で何度も頷き合った。今まで近くにいたはずなのに、そんなにも通じ合える相手なのだと気づかなかったのが信じられないくらいだった。
 気づけば空が白んでいた。結局始発が動き始めても、居酒屋の閉店する朝五時までたっぷりと語り合った。そろそろ閉店だと店員に声をかけられ、身支度をしているときに彼女は思い出したように言った。

「私たち、付き合ってみる?」

 僕は財布を取り落とし、床に小銭が散らばった。それを見て彼女は手を叩いて笑った。小銭を拾い集めながら、それ本気? と僕が聞くと。ちょっと良いかもって、と彼女は答えた。何でもないですよというようにツンとそっぽを向いた彼女の頬が赤かった。

 僕はそうして、自分から交際を申し込めなかったことや、お試しみたいに付き合い始めてしまったことを、こっそり後ろめたく思っていた。
 だからこそ、プロポーズはバッチリ決めたかった。普段は図体の割に小さい男だなんて言われてしまう小心者の僕だけれど、この瞬間、世界で一番幸せだって、彼女にはそう思って欲しい。
 なんと言っても、一生に一度のことなのだから。

―第4話―

 あっという間に記念日の当日が来た。その日は会社を早めに上がり、一度自宅で着替えてから、指輪の箱をジャケットのポケットへと忍ばせた。
 ジャケットの生地の上からそっと触れると、たしかにそこに収まった小さな箱の感触が、やけに大きな存在感をもって指先を押し返した。
 旅行先の砂浜や花畑でとか、レストランを貸しきって彼女の友人に集まってもらって、とか、一〇八本の薔薇の花束を贈るとか、そんなことも色々と考えたけれど、結局そのどれも採用には至らなかった。考えれば考えるほど、大がかりなプロポーズには大きなリスクがつきもので、そのことを考えただけで足が竦んで踏ん切りがつかなかった。

 結局僕に用意できた最大限の舞台は、ホテルの最上階にある夜景の綺麗な高級フレンチだった。デザートが出る頃に立ち上がり、彼女の元へ膝をつき、指輪の箱をパカッと開いて真っ直ぐに気持ちを伝える。うん、悪くない。僕にできる最高にロマンチックなプロポーズだ。
 僕は何度も心の中でシミュレーションを繰り返した。

―第5話―

 初めて食べる一流のフレンチは、全く味がしなかった。ガチガチに緊張した僕に、どうしたの? と真優は聞いた。こんな店初めてだから、と誤魔化すと、そっちから誘っておいて、と彼女はコロコロといつもより上品に笑った。
 そうしてやがて、運命の時がやってきた。僕らの目の前には色とりどりのスイーツが宝石のように盛られたデザートプレートが並んだ。ウェイターが真優のカップに紅茶を、僕のカップにはコーヒーを注ぎ、ごゆっくり、と頭を下げて立ち去った。
 痛いほどに跳ねる心臓の音を必死で押さえ込みながら、ウェイターを見送った。ふう、とひとつ深呼吸をして、ポケットに忍ばせた小さな箱を指先で確認し、今だ、と腰を上げる。

 ガチャン、と音が鳴って、左手に熱い感触があった。熱っ、と思わず声が出た。勢い余ってコーヒーカップを倒していた。真っ白なテーブルクロスに熱い液体が拡がり、僕のシャツにも大きなシミを作っていた。真優が驚いたように僕を見る。ウェイターが飛んできて、僕に新しいおしぼりを手渡し、手際よくこぼれたコーヒーを片付けた。
 僕の頭は真っ白だった。終わった、と思った。この流れでは、無理だ。
真優は困ったように眉尻を下げ、そそっかしいなぁ、と笑った。あはは、ごめん、と引きつった笑みで僕は返した。

―第6話―

 冬の夜風がコート越しに、コーヒーで濡れたシャツを冷やしていた。ひんやりした感触が、僕の情けなさを加速させた。
 でも、まだ挽回のチャンスはある。伊達に長年小心者をやってはいないのだ。もちろん、失敗したときに備えてプランBは用意してあった。
「少し歩こうか。近くに夜景の綺麗な場所があってさ」
 真優はうーん、と少し考えて言った。
「実はちょっと靴擦れしちゃって、できればどこかに落ち着きたいな」
「ああ、ごめん。気がつかなくて」
 しかし、プランCもあるのだった。
「それじゃあ、この近くに雰囲気の良いバーがあるんだけど」
「もう少しカジュアルなところが良いかも。高級なお店で緊張したし、気兼ねしない庶民的な感じの」

 そうして僕は万策尽き、何件かのレストランを満席で断られ、適当な店は見つからないまま駅前へと辿りついた。僕らは仕方なく、あの日二人で夜を明かした駅前の安い居酒屋に入った。そのとき、僕の目は駅前を照らし出す、少し気の早いイルミネーションに吸い込まれた。
 これだ、と思った。居酒屋を出たら改札に向かう前に、あのイルミネーションの前でプロポーズしよう。それならばきっと、百点満点ではないかもしれないけれど、ロマンチックなプロポーズにはなるはずだった。

―第7話―

 居酒屋の暖簾をくぐり、案内されたのは奇しくもあの日と同じ二人がけのテーブルだった。あ、懐かしいね、と真優は笑った。考えてみれば、この居酒屋に入ったのはあの日以来初めてだった。懐かしいなあ、と僕も笑った。笑顔が引きつって、あの日以上にガチガチに緊張しているのに気づいた。
 ドリンクとちょっとしたおつまみを注文して、真優はトイレに立った。それを見送って、僕は少しホッとする。戻ってきたら、僕もトイレに行って、鏡の前で身なりを整えよう。
 ポケットに手を差し入れて、小さな箱がそこにあることを確かめた。大丈夫、どこかで落としたりはしていないし、傷なんて入っていない。
 何一つ問題はない。あとは適切な場所で、適切なタイミングで、彼女にこれを差し出しさえすれば良いのだ。

 どうか上手くいきますように。祈るように、ポケットの中の小箱をキュッと握った。
 やがて真優がトイレから戻ってきた。入れ替わる形でさりげなく席を立ちながら、俺もちょっと、とポケットに入れたままだった手を引き抜いたそのとき、強ばった指先が指輪の箱をひっかける感触があった。
 あっ、と思ったときには目の前に、ポケットからこぼれ出て、くるくると回りながら落下していく小箱があった。

―第8話―

 こういうとき、本当にスローモーションに見えるんだ、と僕は思った。直後、あの日この床に小銭がぶちまけられた光景が、不意に脳裏へと蘇った。ダメだ、と僕は思う。それだけはダメなんだ。この箱を床に落とすようなことだけは、絶対にあってはならない。
 慌てて伸ばした右手がゆっくりと、宙を舞う小箱へと近づく。小箱はクルクルと回りながら放物線を描いていく。指先が小箱に触れる。吸い寄せられるように、ぴったりと、小さな箱は僕の右手へと収まった。
 ホッと胸をなで下ろしたのもつかの間、慌てて顔を上げると、驚いたような真優の瞳は僕の右手の小箱へと向けられていた。
 ああ、と僕はその瞬間、不思議なほど自然にその状況を受け入れていた。もう退くことはできないのだ。これがきっと、僕の精一杯なのだ。かっこつけようとしても、大それたことをしようとしても、きっとダメだ。上手くはいかない。でも、この気持ちくらいは真っ直ぐに、届けなければならないのだろう。
 僕はそのまま彼女の前へと膝をつき、指輪の箱を開いて真っ直ぐに差し出した。

「僕と結婚してください」

 その声は、驚くほどよく通った。ざわざわと騒がしかった店内が一瞬、水を打ったように静まりかえる。店中の視線が僕と、驚いたように目を見開いた真優へと注がれているのを感じた。
 真優はぱちくりと大きな瞬きをしたあと、不意に笑みを漏らして言った。

「はい……、喜んで」

 ワッと割れるような歓声と拍手が居酒屋の店内を満たした。おめでとう! よくやった! お幸せに! と祝福の声が降り注ぐ。こんな場所でやるのかよ! と酔っ払ったサラリーマンが笑って、ドッと大きな笑い声が起こった。僕も真優も顔を真っ赤にして、ペコペコと周囲に頭を下げながら、逃げるように小さなテーブルに腰を下ろした。
 尚もパラパラと鳴り止まない拍手の中、真優は恥ずかしそうに両手で顔を覆っていた。しかしよく見ると、彼女はふるふると身体を震わせて笑っているようだった。

―第9話―

「ねえもう、何なのこれ、おっかしい」
「ごめん、本当はレストランでかっこよく決めるはずだったんだけど……」
「いいよ、かっこよくとか。そんなのガラじゃないでしょ」
「そんなあ」
「君の良いところはそこじゃないもん。もっといいところが、一杯ある」
 僕は思わず言葉に詰まる。俯いた頬が熱い。
 真優はそんな僕を見て、悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。
「ねえ、あの日、終電ないって嘘ついたでしょ」
「え……、気づいてたの?」
「顔に書いてあったよ」
 七年間もずっと嘘がバレていたことが分かって、頬が更に熱くなるのを感じた。
「でもね、私は君の嘘に救われたんだ」
「救われた?」
「あのとき、どうしようもなく寂しかった。正しいことをしたはずなのに、私だけが割を食って。自分だけ馬鹿みたいだなって、大げさかもしれないけど、世界中から見放されたみたいな、そんな気持ちになってた。でも、君だけが私のことを見放さなかった。バレバレの嘘ついて、眠い目を擦ってまで朝まで私に付き合ってくれた」
 真優は懐かしそうに目を細めた。
「たしかにね、頼りないとか、お人好し過ぎるとか、思うことはあるよ。でもね、それって何でも一生懸命に考えるからだよ。見たくないもの、都合の悪いものから目をそらしたりは絶対にしない。空回りしちゃうこともあるけど、小さなことでも絶対にないがしろにしない。私のことも、多分嫌なところもいっぱいあるのに、それでも適当にじゃなく一生懸命に大事にしてくれてるなって感じるから、私はそれが幸せなんだ」
 いつもありがとう、と彼女は言った。唐突に自分自身の嫌いな部分が許された気がして、目頭が熱くなった。ずっと情けなくて、嫌いだった自分の小ささを、少しだけ愛しても良いように思えた。
「どうしてプロポーズした側が泣くのよ」
 彼女は困ったように笑った。でもそれは、温かい笑い方だった。彼女のほっそりとした指先が僕の涙を優しく拭った。彼女はそのまま、左手の甲を僕に向けて差し出した。
 僕はハッとして、指輪の箱から中身を取り出し、彼女の左手薬指へと滑らせた。彼女の手の甲で、小さいけれど眩いダイヤが誇らしげに輝いていた。
「一生一緒にいよう」
 彼女の目を見て言った。今度は彼女が涙ぐむ番だった。
「本当に、ずっと一緒にいてくれる?」
 僕はゆっくりと頷いて言った。 

「うん、誓うよ」

【完】

 連載にお付き合いいただきありがとうございました。
 小説の原作となった リリィ、さよなら。さんの楽曲「指輪」のMVも近日公開予定です。
 そちらもよろしくお願いいたします!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?