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手を抜くこと

ドリアンパン学校、「時間について(手抜きとは)」の講義がありました。今回もまた、私にはすごく必要なお話だったなぁと。

以前、パン学校のお金についての講義で、「パン屋はお金を稼げない」、もしくは「パン屋はたくさん稼いではいけない」という潜在意識を塗り替えようという話がありました。
同じように「パン屋は長時間勤務が当たり前」とか「なるべく種類を多くしてお客様を喜ばせなければいけない」という潜在意識があるなと思います。
「手間ひまをかけて作りました」「じっくりことこと」などという言葉が好きな私たちは、手を抜くことに罪悪感を感じてしまいます。

以前パン屋を経営していた時、夜明け前から夕方までめちゃくちゃ働いて、睡眠時間も短く、それでも全然儲からない状態でした。
トップ画像は、その時売ってたパンのほんの一部。ハード系のパンから柔らかいパン、お惣菜パン、甘いパン、サンドイッチ、お菓子まで作っていました。

そんな中、田村さんの著書「捨てないパン屋」に出会いました。
パンの種類を減らすことが自分のためにもなり、お客さんのためにもなり、世の中のためにもなる、と確かに腑に落ちたんです。それなのに結局中途半端にしかパンの種類を絞り込むことが出来なかった。その要因はとにかく罪悪感でした。

お客さんをがっかりさせることへの罪悪感、スタッフに辞めてもらうことへの罪悪感。一旦閉めてやり直すような資金もないからと、結局ずるずると。そういう意味では、余裕がない仕事の仕方をしているから、大切な決断が出来なかったとも言えます。
未来を見据え根本的に大切にするべきことに取り掛かるよりも、明日の仕込み、明日の売り上げが優先されてしまっていました。


人生の質を高めるために手抜きする=楽に生きることかなと感じました。
他人に求められていると思い込んだ役を生きてしまうことは、しあわせな人生とは程遠くなってしまう。

恋愛でも、相手や世の男性の好みに合わせようと、ファッション、メイク、音楽の趣味まで無理をして作りこんだ自分では疲れてしまい長続きしない。というか、そういう自分のときはそもそも選んでももらえなかったりする。

はじめから無理しない、ダメなところだってたくさんあるそのままの自分を好きになってくれる人を見つけるほうが絶対にしあわせだと思います。

パン屋だって、お客さんウケに寄って行くのではなく、より良い自分の人生ため、より良いパンを焼くために手抜きする自分を罪悪感なく、これが自分!と、堂々と見せる。そうしてできた自分とパンを好きになってくれる人に売ればよいと考える。
お店の在り方、働き方、生き方、人間関係、どれにもつながる大事な考え方だなと思いました。


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