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オリックス ファーム運営担当・岡村義和、チームの未来のために奔走した33年。

舞洲に拠点を置くプロスポーツ3チーム、大阪エヴェッサ、オリックス・バファローズ、セ レッソ大阪で働くクラブスタッフへのインタビュー特集企画「舞洲を支える人々」。クラブスタッフとなった経緯やチームへの思い、舞洲にまつわるお話などを伺います。

今回登場するのは、オリックス・バファローズ 事業運営部スタジアム運営グループ長の岡村義和(おかむら・よしかず)さん。1990年の入社から33年目、長きにわたりチームと共に歩んできました。現在は、スタジアム運営グループ長として主にファーム(2軍)の試合運営を担当しています。なぜ1軍だけでなく、ファームの試合にも力を入れるのか。取り組みのきっかけとなったエピソードから、これまでの印象的な企画についても伺いました。

教師から球団職員へ、転機となった意外な挑戦

ー岡村さんはいつからオリックスで働いているのですか?

ちょうど阪急ブレーブスからオリックス・ブレーブスに名前が変わった後なので、1990年から。今年で33年目になります。

ーオリックスに入社したきっかけは何だったのでしょうか?

大学時代は教師を目指していたんです。大学時代も野球をやっていましたが、プロにいくのは無理だろうなと思っていました。ただ、話のネタになると思って、教育実習中からプロテストを受けはじめたんです。そうしたら東京で行なわれる最終テストまで進むことができて…それも3年連続、めずらしかったのでニュースで取り上げてもらいました。それを見ていた当時の球団社長から声がかかって、入社が決まったという流れです。すごくラッキーでしたね(笑)。

ーもともとはプロ野球に関わるつもりはなかったのですね。

そうですね。大学卒業後は支援学校で2年間はたらいて、3年目は中学校に勤務していました。高校野球の指導もしてみたいと思っていましたし、このまま先生としての道を進むのかなと思っていたなかで、ニュースで取り上げてもらったことが転機になりました。

ーそんなきっかけからはじまり、ここまで長く球団に所属しているのには驚きました。

試合やイベント、ファンクラブの運営など、たくさんの業務を経験してきました。2011年8月からは、主にファーム(2軍)の試合運営を担当しています。それまでファームは、「たくさん試合をして、力をつけた選手を1軍へ昇格させる」という現場実習的な意味合いが強くありました。ただ、もっとお客さんに球場まで来てもらうための工夫が必要だということで、ファームの試合運営を担当する部署がつくられたんです。

ー部署が立ち上げられた初期から携わっているのですね。

当初は部長と私の二人で担当していました。その部長も定年で退職してしまい、現在は私ともう一人が専任で、他部署兼任の職員も含めると合計4人になります。また今年(2023年)の1月にスタジアム運営グループという名称に変わり、グループ長として『杉本商事バファローズスタジアム舞洲』と『ほっともっとフィールド神戸』、『大阪シティ信用金庫スタジアム』で開催される試合を管理しています。2軍だけでなく1軍も試合をするようになりましたし、高校や大学の試合も行なわれるので、仕事の幅は広がりました。


新たなファン獲得のため、ファームにできること

ーどうしてファームの試合に力を入れる必要があるという話題があがったのでしょうか?

当時、読売新聞が3,000人を対象に実施した「好きなプロ野球球団はどこですか?」というアンケートでオリックスが0%という結果だったんです。0%の定義を調べると、3,000のうち15人以下だとそのような結果になるとのことでした。ファンが少ないことを痛感させられました。そこで地方の球場で試合をして「新たなファンを獲得しよう」と。

調べてみると、関西圏には約30個ほど球場があると分かりました。そして最初に開催されたのが2012年、大阪の富田林と高槻です。その次の年には東大阪と豊中、奈良県と和歌山県でも開催しました。あと最近だと3年前に堺でもやったので、合計7か所になりますね。2017年の舞洲移転までは拠点が神戸にあったので、そこから試合のために通っていました。和歌山までは2時間かけて行っていましたね(笑)。

ー実際に地方で開催してみていかがでしたか?

本拠地から離れた会場での試合でしたから、最初は本当にお客さんが来てくれるのか心配でした。ただ、試合があること自体めずらしいですし、地元の人にとっては身近な球場なので、多くの方に来ていただくことができました。富田林は2,000人規模の球場が、前売りで全席完売したほどです。ここ2年はリーグ優勝という結果を残せていることもあり、アンケートの結果は0%から1%に伸びていました。少しずつではありますが、10年以上コツコツ続けてきた成果が出ていると思います。

ーやはりリーグ優勝はオリックスの歴史の中でも大きな出来事ですよね。

2022年に優勝したとき「26年ぶり」と盛り上がったように、ほとんどの関係者にとって初めての優勝でしたからね。ただ、私はその前の優勝も社員として経験しています。球団の中でもそんな経験をしている人間はめずらしくなってしまいました。

ー長くチームに関わっているからこそ味わえる感覚ですね(笑)。

いま活躍しているベテランが、若いころにファームの試合に出ているのを見てきましたからね。T-岡田とか吉田(正尚)、平野(佳寿)とか、ファームの試合に来ていた方は喜んでいますよ。昔いっしょに撮った写真をスマホの待ち受けにしていました(笑)。

ー地方開催を継続するうえで意識したことはありますか?

最初は試合自体がめずらしいのでたくさんの方に来ていただけますが、何もしなければ減っていくので常に新しいネタを提供しなければいけません。選手にとっても満員のお客さんの前でプレーすることがいちばんですからね。ある試合でお客さんが600人まで減ってしまったときは、自分たちの力不足を痛感しました。

ーコロナ禍では試合が開催できない時期もあったと思いますが、現状はいかがですか?

去年(2022年)から再開することができましたが、そこでは「待っていたよ」という雰囲気をファンの方から感じました。今年はもっと多くのお客さんに来ていただけるのではないかと期待しています。毎試合恒例だった親子対象の野球教室も再開したいと考えています。

「プロ野球チームの一員として、仕事ができているのがいちばん」

ーお客さんに来てもらうために、その他には具体的にどのような工夫をしているのでしょうか?

球場のある地元の自治体の皆さんと協力しながら、地元の高校・大学の部活動の発表の場を設けるなど、地域を巻き込んだイベントを開催しています。自治体野球部の選手たちにボールボーイをやってもらったり、国歌斉唱を地域の合唱団にお願いしたり。あとは来場者アンケートを大学の情報学部の学生さんに勉強の機会として提供しています。

ー学生を巻き込んだ施策は2012年当初から取り組んでいるのでしょうか?

そうですね。当時の部長がマーケティングに詳しい方で、まずは「地域の学校を巻き込んでいこう」と戦略を立てたんです。大学としても実践的な調査ができるのは貴重な機会ですからね。協力してくれる大学のゼミを探して、ときには事前に球団について講義もしました。

ーそういった学校とのやり取りも岡村さんが直接しているのですか?

基本的には球場のある地元の自治体などに紹介してもらっています。「このイベントをやるならどの団体がいいですか?」と。去年、東大阪で試合をしたときは、マーチングバンドで有名な四條畷学園高校に来てもらうことができました。長くこの仕事をしていると自治体の方とも繋がりができるので、いろいろなことに挑戦しやすくなっています。チケット販売についても、自治体で紹介されたスポーツ店や観光協会と契約をしています。

ーこれまでの企画でとくに印象に残っているものはありますか?

高槻で七夕の時期に開催された試合は印象に残っています。七夕にちなんで、短冊に書かれたファンの方の夢を実現するという企画を実施しました。選手とキャッチボールをしたり、グラウンド上でデートをしたり。あとは来場者全員対象のサイン会をしたこともありますね。

スポーツに関係なくても、「おもしろい」と思った企画はできるだけ実現するようにしています。奈良では特産の「三輪そうめん」を用意して、堺のくら寿司スタジアムでは湯呑みを配布しました。ダイハツの本社がある池田市のお隣の豊中での試合では、展示協力をいただいた2シーター(運転手と助手席のみの乗用車)に、市長が乗って登場したこともあります(笑)。

ーちなみに、3つのプロチームの拠点である舞洲ならではの企画はいかがですか?

正直、どちらのチームも1軍なので難しいところはありますね…「2軍とやるんかい」と思われても嫌だから(笑)。これまでもポスターをつくったり、バーベキューをしたりできたので、また一緒に活動できたら嬉しいですね。

ー最後に、これまでオリックスの一員として働いてきたなかで感じるやりがいについて教えてください。

選手としてはプロになれなかったですが、プロ野球チームの一員として仕事ができているのがいちばんです。野球をする子どもが減っているなかで、競技を広めたいという思いで活動してきました。10年以上にわたって多くの自治体と協力しながら、オリックスのことを広めるために活動してきた成果が出始めているのが嬉しいです。まずはコロナ禍以前の状態に戻れるように、少しずつ活動を増やしていきたいと思っています。


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