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僕とピロウズ

いや、なんてことはないんですよ。
ただ朝一で、クラムシティ辻のノートを見てしまっただけなんですよ。なんてことはないんですよ。

人がやってると自分もやりたくなる、ただそれだけでございやす。

まぁ読みながらみんな各々好きなバンドには思い入れがあったり、自分の人生の中でのスタンド(ジョジョ)的な感じだと思うんですよね。

いざというとき助けてくれるみたいな。

クラムシティ辻にはアジカンのスタンドが見える。(見えない)



さてさて、僕は異常なまでにピロウズが好きだと思う。
どんな素敵な女性が現れても、ピロウズと私どっちを取るのか聞かれたらピロウズと言ってしまうだろう。
ピロウズほど自分にフィットして、あまたの局面で(精神的に)助けられた音楽はないと思う。もうこれは恋です。

そもそもピロウズを1番好きと答える人は大抵日常生活しにくい何かを感じている人だと思うわけです。
怒髪天の増子さんが言っていたように『ピロウズの音楽を理解するには、まず山中さわおを理解しないといけない』
とあるように、彼の書く曲は等身大な曲が多い。

なので、素敵な物語の曲を書いたり、誰もが感動させられる曲を書くことはあまりないと思う。
逆に、似たような匂いや、経験をしてきた人が群がってきたのが今のピロウズだと思う。

山中さわおに似たような経験、性格、葛藤をしてくると一気に名曲の嵐になるのだと思う。僕もその1人だ。

まあどんな人がピロウズにフィットするかというと、シンプルにひねくれていて、負けず嫌いだけど陽の目をなかなか浴びれず、孤独感を感じながらも暗いところから光を見続けている人かな?と思う。

楽しそうにしてたり、輝かしい生活をしてる人を暗闇から見ているけど、決して諦めていないというか、ずっと自分なりの光を探し続けていたり、光は見続けてるみたいな人。

あと劣等感。
自分は自分でがんばってきたけど、周りがどんどん追い抜いて行ってしまうとか。

ピロウズでいうと、ミスチル、ウルフルズ、ミッシェルガンエレファントなんかがそうかな?
90年代半ば、なんとか売れようと周りの意見も取り入れながら様々なタイプの楽曲を出しても結果がでなかった。
ジャズやソウルテイストな曲があったりと、おしゃれでスマートでキラキラしてる当時の求められてた情景が浮かぶ。

そんななか、音楽のメジャーロック界に遺書を残すつもりで出した、ストレンジカメレオンという曲が転機となった。
周りの反対を押しきって、今までと全く違うテイストで、暗くて長い世の中のヒットソングとは真逆の曲。
自分を周りの色に馴染まない、出来損ないのカメレオンに例えた、等身大の自分をそのまま歌った曲。
前向きな言葉はひとつも入ってない。
自分はこういう人間で、こう思ってる。
だからこう生きようぜ!とか、元気出そうぜ!なんて諭すこともない。

『歴史には価値のない化石のひとつになるのさ、、
beybey 僕はストレンジカメレオン』

と締められるこの曲は、ラジオ等の有線で話題となりここから今のピロウズのスタイルになったらしい。



、、、
まぁなので、同じような匂いを持つ人間が寄ってくるのは、このように等身大の自分を常に歌い続けているからであるとおもうわけです。

話は長くなったが、僕がピロウズと出会ったのは中学一年の時だ。
ミスチルファンの母がたまたま見ていたdvdでミスチルがピロウズのカヴァーをしていたのを見たのがきっかけだった。

『ミスチルにこんな曲あったっけ?』
『ピロウズって人の曲らしいよー』

という会話から僕はなぜかピロウズが気になり、pcのYouTubeで『ピロウズ』と検索した。

検索欄には沢山ライブ映像やpvがあったが、
『バビロン天使の詩』
この単語が気になり、916スペシャルライブのバビロンのライブ映像を見た。

ここで僕は衝撃を受けすぎたことを今でも覚えている。
へんてこなリフをギター二人が弾いている。
へんてこなギターを弾きながら力強く歌っている。
ポップでロックでへんてこだけど胸を打つこれはなんだ?!

『今日も探してるんだ 僕にもっと似合うシンプルスカイ』
という歌詞にも感銘をうけた。
なぜなら僕もその時期自分に一番居心地のいい場所(人間関係とか)で悩んでいたからだ。

ここからはYouTubeとニコ動のピロウズ動画を見続けて、おそらく当時upされていたものは全て見た。

TSUTAYAを駆けずり回りアルバムをできる限り集めた。

ない曲はネットの海を探して動画などから抜き出して聴いた。

気づくと山中さわおの生き様に憧れギターを手に取っていた。
山中さわおのように自分のことを惜しみもなく歌にして、自分が経験してきた苦悩なんかで誰かの支えになんてなったらかっけえ!と思っていつかロックミュージシャンになってやろう!と思っていた。

もちろん布教もし続けた。
EXILEと嵐が流行していたが、僕はピロウズの良さを説き続けた!何枚も布教用CDを作った。

布教する人の好きそうな楽曲を日夜セレクトしcdに焼き付けた。

結果はもちろん惨敗どころか、嫌われたにちがいない。
人に自分の価値観を押し付けていたわけなので。

だが、当時の僕はピロウズが元々そんなメジャーシーンにいるわけでもないし、知らないだけで皆聴けば良さをわかってくれる!と思っていたのでなんだかとても自分の価値観が否定されている気分だった。

ピロウズも売れてない時期同じ心境だったのだろうか?
自分の良いと思ったものが周りに認めてもらえない。

今となっては音楽なんて自分の中で成続けていればいいわけだが、当時は子供だったのでそこまで気がまわらなかった。

そんなピロウズが中3かな?武道館で20th記念ライブをするとなった。僕は天地がひっくり返った。
え?うそやん?いけるん?武道館よ?と思ったら10分でソールドアウトしたらしい。

僕は受験期になり、ギターをさわるのをやめないためギターを没収されお婆ちゃんの家に封印された。
ライブももちろん行く金もない。pspでピロウズを聴きながら散歩するのが唯一の趣味になっていた記憶がある。

そんな僕も歳をとり、ピロウズと出会って14年ほど経つ。
ピロウズは毎年のようにアルバムを出し、30thには横浜アリーナでライブするまでになった。

99年のアルバムの脇役ポジションだったファニーバニーが取り上げられcmに起用されたり、映画の主題歌をやるようになったり、ピロウズが認められる場面も増えた。

ピロウズガチファンだというミュージシャンも増えた。

そんな僕はいまだに周りに馴染まない生活をしているけど、歪んだ世界がはめたギプスに合わせる必要もなく、審査員は自分自身の他に誰もいらないとピロウズが教えてくれたように自分にあった生活をしている。

ロックバンドとは曲ではなく生き様をみている。

なので僕は曲を書くとき、等身大以上のことは書かない。
その時の感情を曲にしてネットの海に瓶にいれて流して、いつか同じような匂いをする少年が拾って何かの助けになればなーなんておもっていたりする。

おしまい!

今の気分ピロウズベスト作った。1hくらいのやつ。
名曲とかを並べてはないです。よければ。







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