二極化しない生き方

私は、幼い頃から物事が白黒ハッキリしない事に対して、ストレスのようなものを感じていました。好きか嫌いか、やるのかやらないのか、というようなシンプルな事から始まって、善か悪か、是か非か、というような学校教育や社会性を通した二極の答えをいつも出さなければならないという脅迫観念にも似たようなものが、自分の心の深層部にあったなと思うのです。

学校教育という閉鎖空間

小・中・高はどこか閉鎖された社会だったなと、私は思っていて。規律を守り、集団行動を学ぶ事で、協調性というものを養える空間ではあるのかなと思う反面、右習えの植え付けに、自由がない閉塞感を常々感じていました。例えば、クラスメイトの大多数が好きだというものに対して、否定してはいけない空気が教室にはあったように思います。心の中では白黒ハッキリ、こうだ!というものがあっても、それを上手く伝える事が出来ずにいる内に、自分の居場所が分からなくなった学生時代でした。

ずっと生き難さを感じていた

役者を志し、芝居を学び初め、これまで出会わなかった多種多様な方々に出会う度に、私はなんて主体性や柔軟性がなく、詰まらない人間なのだろうか、と思うようになったのです。これは、私が足を踏み入れた世界が芸能界だったから、という特別なものではなく、高校または大学を出て、社会人になった時には多くの方が多かれ少なかれ感じる事かとは思います。

自分にはない発想や、発言力、感情の表現の仕方、先を歩む先輩方の生き様に触れる度に、白か黒しかないのだと、社会を睨むような人生は、あまりに貧しいと感じたのです。

“こういう人間だ”という固定概念が、自分の可能性を狭めているのではないか

私は、”自分から見た自分”という存在しか知らないのだと、ある日ふと思ったのです。”他者から見た自分”という存在には全く気付いていませんでした。芝居を通して自分と向き合った時に、こんなちっぽけな自分の中にも、こんなにも多面性があるのか、と気付いたのです。それは、芝居を通して様々な役柄を生きる中で、自分の得手不得手を知ったからという事でもありますが、芝居というものは否が応でも自分と向き合う作業でもあるのです。(その作業をせずして上達なし、と言っても過言ではないと思っています。)そして、芝居とは他者が見て、評価するものでもあります。他者からのフィードバックから、自分が知らなかった自分を知る事が出来ました。その作業を繰り返しているうちに、結局のところ、自分を生き難くしているのは、自分自身なのではないかと考えるようになったのです。

人間には皆、多面性がある

人は皆、学校での自分、社会での自分、子としての自分、家族としての自分、恋人としての自分、夫妻としての自分、父母としての自分、等、切りがない程に、無意識下で己の顔や体裁を使い分けて、精神のバランスを保っているのだと思うのです。

本当の私とは、どういう人間なのだろうか?

そう自問自答した時期もありました。けれど、その自問自答の不毛さに気付き、自分の多面性と、長所短所、それら全てで、一人の人間なのだと考えるようになってからは、自分と向き合う事や、他者と向き合う事が、凄く楽になったのです。随分昔に自分自身で付けてしまった足枷に悩まされ、外し方さえ失ってしまっていたところに、突如として鍵が転がり出てきた感覚とでも言いましょうか。足枷のない歩みは、軽いのです。

多面性の自由の中で生きる

これは持論ですが、人生とは選択の積み重ねだと思っています。人生の節目や、要所々々で決断しなければならない時が、皆平等にあります。この時ばかりは、白か黒か決断しなければならないのです。ですが、この決断するまでに至る経緯が重要であるという事をお伝えしたい。自分の多面性を認める、という事は、自分の可能性と選択肢が広がるという事に通じていると私は思っていて、”私はこうだ”と一つの側面しか見ずに、決断してしまうのは、少し性急な事かもしれません。与えられた選択肢だけではなく、選択肢は自分で作れる、そして”選択の基準“は誰に強要されるものではなく、自分自身で決めて良い、と私は思うのです。

過去を振り返ると「〜でなければならない。」だとか「〜であるべき。」と考えがちだった私は、とても不自由だったなと思うのです。物事を二極化して考えてしまうと不自由になり得ますが、物事を多面的に見て考えると、とても自由なんです。自由な発想であるとか、私だけの個性であるとか、そういったものをずっと渇望していたのにも関わらず、そこに辿り着けなかったのは、私自身が”自分を決めつけていた”から、だったのだなと。

自分の短所を受け入れる作業は恐ろしかった

私自身、自分の短所と向き合う事は決して楽な事ではありませんでした。ですが、自分が思う自分と、他者から見えている自分を知ると、自分からは見えなかった自分の新しい側面も知る事が出来るのです。この作業は、人生をより豊かにしてくれると私は思っています。

最後に。

仕事も、恋愛や結婚の形も、家族の在り方も、働き方、生き方も、多様性に満ちている昨今。白か黒かと、二極化してしまうより、様々な形があって然るべきと考える方が、きっと感性や思考の幅が大きく広がると思います。それは、未来の可能性であるし、自由でもある。古き良きはそれとして、私はまだまだ知らない世界に触れてみたいのです。目に見えている側面は、ほんの一部。物事を多面的に見る事で、捉え方は多様化する。人生の選択や決断をするまで、答えは焦らず、歩む道のりを大事にしていきたいなと思います。



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