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不満をもつことは、望みへの第一歩

時代の転換期の湯処、まいの湯へいらっしゃい♨️



「望み」って「不満」が出た上で
ハッキリ・クッキリと明確になるものです


なのではじめは
”不満たらたら”でいいんです



過剰に自分のせいにしたり
無理な理由を並べたくなるけど


それをやめて素直になる


「こんなのやだ!」
「こんなはずじゃない!」



そこから
現実創造ははじまります





自分に厳しい癖が強いうちは


不満を持つことは悪いことだ
自分に非があるに違いない


なんて思うことがあると思います



やさぐれレベルが上がっていくと


人のせいにしたくなったり
むしろぶち壊してやろう、なんて
悪魔がささやくことも
長い人生、何度かあると思います

(私もあります)




疲れているときは
まず、ゆっくり休むことで


「今日は絶対に昼まで寝る」でいいし

「今日は会社休む」でいい



そうして少し気持ちが落ち着いたら



誰かに気持ちを話してみること


または自分の好きなノートに
気持ちを書き出してみることで

見えてくる「望み」があります



「本当はこんなのおかしいと思っている」

→「なにが、そう感じさせるのだろう」



ここで言う「なにが」というのは

「思い込み」「設定」「概念」etc…


"〇〇じゃないとだめ"
"〇〇であるべきだ"



など
きっとなにかがあるはずです



・私はもっと大切にされるべきだ

・私はもっと優雅であるはずだ

・私はもっと声を大にして話がしたい

・私はもっと仕事ができるはずだ


などなど



この時点で

「転職だ!」「婚カツだ!」
「この講座を受講しよう!」というような

「解決策」のようなものは
出てこなくても大丈夫



具体的な解決策がないのに
こうした言葉を書くことは
居心地が悪いと思います



でも

これから生きていくなかで
”感覚” ”直感” を使っていきたいのなら

この「居心地の悪さ」が大事🌸



思考で出す、解決策ではなく

心が示すものに気づいてみるんです



不満を感じきって
不満を自覚しても


べつに不幸なことは起こりません(笑)



人それぞれ、タイミングも内容も全く異なる
なんらかの「気づき」が


「あ、私これがしたかったのかも」
「こういうのが良いな、って思ってた」

感覚として降りてくる



そのとき「ウキッ」とする

それが「望み」の第一歩です



♨️

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