第383話 僕の、座右の銘を説明させてください
2021年4月19日現在の、僕の座右の銘を書き、説明を加える。
備忘録として、今の気持ちや思いを書き残したい。
◆和して同ぜず
辞書的には、
和して同ぜず
他の人たちと協調(協力)するけれども、つまり、『和』を大事にすけれども、
だからといって、
むやみと同調するわけではない。 つまり、『違う』ことを怖れないし、『違う』ことを怖れる必要のない関係を言う。
参考までに、【同じて和せず】という対人関係もあり、
他の人たちに、安易な同調はするけれども、つまり『同じ』を大事にし浅いところで盛り上がったりするけれども、
だからといって、
協調しているわけではないし、協力するわけでもない。つまり『和』は無く、あるいはスゴク希薄で乏しい、そんな関係を言う。
という感じになるだろう。
20代のときに、人材教育企業のジェックの研修で教わった。
僕は、この『和して同ぜず』が、なかなか出来ない。同じを求めたがる性格だ。
なので、座右の銘として、日々、心がけるようにしている。
◆らしくぶらず
大スキなTV番組『劇的ビフォーアフター』で、リフォームの現場の映像に、チラッと、この言葉が映ったのだ。
立川談志師匠の、思い出の品の中に、
「らしくぶらず」
の、『書』があり、僕は、心を鷲掴みされた。
この ↓ 、大賞受賞の物件だったはずだ。
談志さんが、あのガラガラ声で、
「じょーじ。らしく生きろ。お前らしく生きるんだ」
「じょーじ。なに、ブッてんだ。ブルんじゃねぇよぉ」
と、僕に言ったような気がしたのだ。
一目惚れした。
言葉に、一目惚れしたのだ。
カッコイイのだが、「僕らしく」が、これが中々に、難しい。
◆桃栗三年ブルーノ九年
これはご存じ、『桃栗三年柿八年』のパロディだ。
パロったのは、キンコン西野さん。
映画えんとつ町のプペルの、ストーリーを書き上げてから、
映画で、ブルーノの声がアフレコされるまでに、九年の歳月が流れた。
九年もかけて、やっと、『セリフ』が『音声』になったのだ。
それを、西野節で、面白く、ポロっと表現したのが、
「桃栗三年ブルーノ九年」だったのだ。
僕は、文筆家も、クリエーターと思っていて、
「クリエーターならば、最低でも九年間、可能な限りの努力を重ねなければならない」と、そう思ったのだ。
『桃栗三年ブルーノ九年』という西野節を聞いて、僕は、「クリエーターとはそういうもの」と、そう定義した。
僕はまだ、九分の1しか書いていない。
◆我書く、ゆえに我あり
ご存じ、原典はデカルトの『我思う、ゆえに我あり』だ。
パロったのは、僕だ。
「我書く、ゆえに我あり」
ふと浮かんだ。当然、誰でも思いつくパクリだ。
推定、2070万人が思いついている。
ただ、書くという覚悟を強くしたかった。
書いてもイイんだ、と思いたかった。
僕には、書く以外ないんだと思った。
もっと書け、と思った。
書いてこそ僕だ、と思った。
そんなときに、ふと、TwitterかFacebookで、呟いてしまったのだ。
「ああ、これで僕は、書くしかないなぁ」
と思って、少し気が楽になった。
ニヤニヤした。
そして、堂々とパクろうと、肚を決めたのだった。
なんか、語呂もカッコイイと、僕は、そう思ってしまうのだ。
◆〆
「座右の銘とは」と、今、検索してみたら、
自分への励ましや戒めのために、日頃から心に留めておく言葉や格言を指す
とあった。
もう一度、僕の座右の銘を、4つ、すべて読んだ。
僕が、心に留めておく言葉として、全部が全部、正にピッタリじゃないか。
僕『らしさ』は、ゆかりちゃんが、大スキなとこだろう。
ならば、「らしくぶらず」は、
「ゆかりちゃんが大スキな僕らしく、亭主関白ぶったりしない」と、
そんな風にも解釈できるなぁ。
ゆかりちゃんが一緒なら、きっと僕は、僕らしくいられる。
「重っ!」
「カンベンして~」
そんな、ゆかりちゃんの声が聞こえてきそうだ。
僕は、そんなゆかりちゃんが、マジで、大スキなのだ。
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