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第397話 鈍足をカミングアウトし、その少年時代の思考を説明した。すると、まさかの…(その2)


~~ 昨日のあらすじ ~~

ゆかりちゃんと僕は、ラジオ配信(stand.fm)をはじめた
     ↓
娘や友達が集まるので、僕は【公開収録】を目論んだ
     ↓
僕は、トークテーマを『鈍足』と決め、イメージを膨らませた
     ↓
しかし、僕は野暮じゃないので、空気を読んで公開収録はしなかった
     ↓
打ちっ放しに行き、ゆかりちゃんの【ゴルフの才能】を見て知った
     ↓
トークテーマの変更が面倒で、『鈍足』のまま、ラジオ収録を始めた


さて、この続きだ。


◆ラジオ収録

5月1日土曜日、19:30過ぎだったろうか。
晩ごはんを終えた僕たちは、ラジオの収録を開始した。

以下は、ラジオ(stand.fm 5月1日)の要約だ。
見やすくするため、ゆかりちゃんを太字にする。

じょーじ:トークテーマは『鈍足』です
ゆかり :鈍足?
じょーじ:そう、鈍足
     鈍足だったと、言えたの、たぶん初めて
ゆかり :わたし、足速かった
じょーじ:鈍足と言っても、・・・
     足が遅いとわかったときに・・・
     ・・・
     えっと、・・・
     はなっから、あきらめて頑張らないというか・・・
※注意1
じょーじ:わかる?
ゆかり :わかるよ(笑いをカミ殺している表情)
     足遅そうな、顔してるもんね~(大笑い)

※注意2
ゆかり :努力しても早くならなかったときに、カッコ悪いから、でしょ
じょーじ:そう
     要は「だって頑張ってないもん」という、言い訳が、欲しいのよ

 < 中略 >

ゆかり :小さいころからめんどくさいやつなんやねぇ(2度目)
※注意3
じょーじ:無意識なの!
     今、当時を分析して、そう言ってるの
ゆかり :わたしは、そんな、深くなんて考えない!(得意げな顔)
     考えられない!(完璧なドヤ顔)

じょーじ:そこ、それ
     「【深く考えたのに大した思考じゃない】って嫌だからぁ」
     だから、はなっから、
     「【深く考えること】を、しようとは思わない」
     これは、小さい時のオレの、
     「速く走ろうと思わなかった」というのと、同じなんだよ~
ゆかり :わたし、心が広いからさあ~
     けっこうヒドイこと言われているけど、受け止めるよ

※注意4

※注意は、あとの記事で解説する


◆アドラーは原因論を否定し、『目的論』を説く

ラジオの収録中、そして収録後も、思考になにかが引っかかり、
僕は、ず~っとモヤモヤしていた。

そして、気づいた。

ラジオで言いたかったの、アドラー心理学の『目的論』だったのだ。


僕は、アドラー心理学の【実践者】だ。

少なくとも僕は、僕自身のことを、そう定義している。
まだ、初心者ではある。

『嫌われる勇気』も、『幸せになる勇気』も、ともに10回以上聴いている。
2冊とも、Amazonオーディブルで購入し、僕は、これらの本を、耳で、何度も繰り返し聴いているのだ。


アドラーは原因論を否定し、『目的論』を説く。

以下は、『嫌われる勇気』からの引用だ。
だが、じょーじの記憶から引用する。
Amazonオーディブルの唯一の欠点は、このように引用したいときに、その個所を見つけるのが、かなり面倒なところだ。

なので、正確に知りたい方は、本を読むか聴くかしてほしい。


◆『嫌われる勇気』からの引用(抜粋)

記憶からの引用(抜粋) ※『嫌われる勇気』は、青年と哲学者の対話形式

青年は、「人は変われない」と主張する。
その例として、引きこもりの友人を語る。
「彼は、変わりたくても変われずに苦しんでいる」と。

哲学者は、青年に問う。
「あなたは、友人はなぜ引きこもっていると考えますか?

青年は、
「正確なところはわからないが」と前置きし、
「友人は過去に、何かがあったのでしょう」と答える。
「家族関係の問題なのか、はたまたイジメにあったのか…」
「引きこもってしまう、何らかの原因があったのでしょう」

哲学者は、
「アドラー心理学では、原因論を否定します」
「トラウマも否定します」
「人は、原因ではなく、目的によって言動を選択しているのです」と説く。

哲学者は、
「友人には、引きこもる『目的』があるのです」と言うのだ。

青年は、
「そんなバカな。一体どんな目的があるというのか?」と疑問を投げる。

哲学者は、
「考えられるのは、外に出るのが怖いのでしょう
その『怖さ』を回避するという目的のために、友人は引きこもっているのです」と説く。


青年は、昨日の自分の体験を例に、目的論の否定を試みる。

青年、
「昨日、僕はレストランでウエイターにコーヒーをこぼされた」
「一張羅が台無しになり、僕は、思わず大声でウエイターを叱責した」
「ふだん僕は、大声で人を責めたりはしない」
「これは、コーヒーをこぼされたから、思わず激高したのだ」
「つまり、原因があったから、そのような行動になったのです」
「原因論は、間違ってなんかいない」

これに対して哲学者、
「いいえ、あなたには目的があったのです」
「おそらくあなたは、相手を屈服させたかったのでしょう
「あなたは大声で叱責などをしなくても、ウエイターが謝罪することも」
「しかるべき対処をすることも」
「もしかしたなら、クリーニング代を負担する可能性があることも」
「すべて、わかっていたのに、あえて大声で叱責したのです」

青年は反論する。
「いいや、違う。あの時は、とっさに声が出たのだ」
「目的など考えるヒマなどなかった」
怒りの感情にかられて、思わず、反射的に叱責していたのだ」
「考えて行動などしていない」

哲学者は、問う。
感情にかられ、自分では自分をコントロールできなかったと?
「なら、そのときあなたが、たまたま刃物を持っていたなら?
あなたは、ウエイターを刺していたのですね?

青年は、
「そ、それは・・・。それは、極論だ・・・」

哲学者は、
あなたは、『怒りの感情で刹那的に行動してしまった』と主張しました」
それならば、刃物があれば刺したかもしれない、と考えるのが自然です」
「しかし、おそらくそのようなことは行わないでしょう」
「あなたは、反論できない立場のウエイターを、大声で叱責した」
「ならば、おそらくは」
相手を屈服させることで、少しスッキリした気分になりたかったのです
「アドラー心理学の『目的論』では、そのように考えます」


◆〆

おそらくは、あと1回で、このシリーズを書き切れそうだ。

明日も、『嫌われる勇気』の引用から、書き始めるだろう。


小むずかしい話だが、ぜひ、ゆかりちゃんにも熟読してもらいたい。


僕は、ゆかりちゃんが、
何を言っても、どんな顔をしても、それら全~部ひっくるめて、

ゆかりちゃんの全部、大好きなのだ。




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