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【実話です】一斗缶2つ持って、メッチャ速く走る男がいた

松井さんの横乗りの日は、朝が早い。
出社時刻は8時。その2時間前の「6時に来て」と言われた。

6時にホームに行くと、松井さんのトラックは、ほぼ積込み作業が終わっていた。

カンガルーマークのその会社は、集配の件数や量に応じて、ホンの少しだが歩合給が付いた。しかし、それは雀の涙以下で、誰も、歩合給の計算方法を知らないほどだった。

横乗り指導の先輩方は、誰一人として、たくさん配達しようとか、たくさん集荷しようなどとは考えていなかった。
逆に、担当エリアの、配達や集荷が少ないことを喜ぶのだ。

松井さんは違った。

配達も集荷も、ほかの人の2倍以上行なった。3倍近いこともあった。
1番早く来て1番遅くまで働く。
僕は、この1年後に、ハードワークで有名な飛脚マークの会社へ行ったのだが、松井さんの仕事量は、そこ以上だった。


松井さんは、荷物を持って「歩く」ことがない。常にダッシュする。
そのダッシュはメッチャ速く、手ぶらの僕より、一斗缶を2つ持つ松井さんの方が速い。

※一斗缶

いれものショップ から引用


マラソン的な走り方ではない。
100メートル走の陸上選手の走り方だった。

8時間以上の業務だから、そんなダッシュを繰り返して、体力が持つ訳ないと思った。頭悪いのかな、と疑った。

が、体力は持った。
一緒に走った、僕の体力も持ったのだ。

宅配・集荷業務は、走りっ放しではない。
「体力が持つ訳ない」という思いは、単なる先入観だった。

全ての集荷が終わった時間は、夜の7時。
普段なら、荷下ろしを終えて、タイムカードを押して晩飯を食べている時間だ。

その時間から営業所に戻り、路線便の運転手だけのホームで、仕分け作業を行なった。
朝1番から、夜1番遅くまで働いた。

清々しかった。
誇らしかった。
仕事をしたと、ちゃんと思えた。

仕事って、ダラダラ少しやる方が疲れるものだと知った。


その後も、いろいろな先輩の横乗り指導を受けた。
もちろん、松井さんの横にも乗った。

松井さんには、どうやら明確な目標があるみたいだった。
「松井は家を買う気だ」と言う人もいたし。

いずれにせよ、漠然とした夢なんかじゃなく、明確な目標があるのだろう。
それが伝わってくる。
松井さんは、そんな横顔をしていた。


松井さんは無口だった。
世間話などは、ほとんどしてなかった。

僕が18歳。松井さんは、たぶん22歳か23歳。

横乗り指導をしてくれる先輩は、20歳から45歳くらいまで、年齢はバラバラだった。
20代の先輩は、みんな、何かと話しかけてくれた。自分の好きな、野球や、車や、女や、そんな話を聞かされたたし、質問もされた。
それはそれなりに、けっこう楽しかった。

でも、無言の松井さんの助手席は、別世界だった。
大げさに言うなら、異次元の楽しさに満ちていた。


「センターから、13号車、どうぞ」

事務所から、あるトラックに無線が入った。その会話は、全車両に聞こえるのだった。

「○○社さんに、集荷に行ってほしい」という内容だったが、担当者が渋り、ボヤいた。

「オレ、もうソコさぁ、通り過ぎてインター手前だぜ。今頃かよ~」と。

松井さんが割り込んだ。
「16号車です。○○社の集荷、僕、行きますよ」

「センターです。16号車、○○社の集荷、お願いします」と、事務員の声。
「松井ちゃん、悪いね~、頼むわ~」と、担当者の声。

これは、松井さんアルアルだった。
別のトラックで聞いても心躍ったのだ。
助手席でこの会話が聞けたときの喜びと感動は、例えば、尾崎豊のコンサートでステージ上に招かれ名曲『シェリー』を聴くことと、同じ感動だったと思う。


僕は、帽子の被り方、前掛けの位置や縛り方など、松井さんのマネをするようになった。
松井さんはショートホープを吸っていたので、僕もキャスターからショートホープに変えた。

松井さんは、事務所の人達の人気者だった。
女子事務員たちの松井さんを見る瞳はハート型だったし、課長だとか部長だとか、そういうエライ人達からも、よく声を掛けられていた。

だが…、いや、だからこそ、松井さんは同年代の同僚から、もの凄く嫌われていた。その人たちの、松井さんへの悪口は、18歳の小僧の僕でも、嫉妬以外の何物でもないと分かるシロモノだった。

みんな、堂々とひがんでいた。

「守銭奴」という、なんとも情けない悪口を、それも、カゲで言うのだ。
カゲでしか言えないもことも情けないが、ほかの悪口を思いつかない、頭の悪さも情けない。

大好きな松井さんを悪く言われて、でも、先輩たちは怖くて、僕は何も言い返せなかった。
優しい先輩にだけ、「僕は嫌いじゃないですよ~」と言うのが精一杯だった。

それが、どうにも悔しかった。


松井さんとの横乗りのとき、僕は心を決めた。

「松井さん。松井さんは、独身寮の先輩たちに、凄く嫌われてますよ」と、そう言う。
「でも、僕は違います!」と続ける。
「寮の先輩たちは、ひがんでいるだけです」「僕は、松井さん派です」と、昨夜、ちゃんとセリフを考えた。

昨夜は脳内シミュレーションを、10回以上行っていた。

せめて、松井さんにエールを送りたい。
自分のスタンスを表明したい。
陰口を言う先輩たちに、何も言い返せない自分であることを正直に伝えて、懺悔したかった。


「松井さん」と、僕はハンドルを握る松井さんに声をかけ、語り出した。

「松井さんは、独身寮の先輩たちに、凄く、嫌われてますよ…」

松井さんは、「ああ」と言ったあと、

「俺がアッチ側の人間なら、同じことを言ってるだろうからなぁ。
 まあ、仕方ないさぁ」

と言ったのだ。

自然体だった。
屈託がなかった。
ムリもしていなかった。

僕は、言葉を失くした。

ひがんでいる連中の「気持ちが分かる」という意味だ。
腹が立たないのか。
それどころか「分かる」と、認めて、受け入れるのか?

レベルが「上」とかではない。
遥か上空で、突き抜けちゃっている。

大人。
寛容。
広い。
大きい。
深い。
デカイ。
レベルが違う。

今で言えば「レベチ」。


この後、僕は何を言ったのか、どんな会話になったのか、全く記憶がない。

憶えているのは、唯一つ。
松井さんのような男になりたい、と思ったことだけだ。






おしまい


※この記事は、エッセイ『妻に捧げる3650話』の第1293話です
※僕は、妻のゆかりちゃんが大好きです
※アイキャッチ画像は、単なるイメージです
※松井さんって、イメージがイチローさんと被るのです


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