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所作の美しさ、他者への良い意味でのあきらめ、あっち側歴やっと15年

温泉宿の大浴場。
お風呂から脱衣所へ行く、その手前です。

40歳くらいのオジサンが、大浴場と脱衣場を仕切る引き戸の手前で、足を止めました。
そして、端に寄ります。
真ん中の、見苦しいモノを見せないよう、背を向けます。

旅館の小さなタオルを絞り、身体を拭きました。
また、タオルを絞ります。
結構な量の水滴が絞り出されます。

そしてまた、身体を拭き、水滴や汗を拭き取ります。

もう一度タオルを絞ります。
また、結構な量の水滴が絞り出され、そしてオジサンは、足の裏も拭きました。

ガラガラ


やっと、脱衣場に移動。
足元には、硬めの水草の敷物。

そこに置かれているバスタオルを取り、再度丁寧に、身体と足の裏を拭きました。
バスタオルを腰に巻き、小さいタオルは、回収ボックスに入れます。

自身のロッカー目指し、歩きます。

床にオジサンの足跡はつきません。
足の裏の水滴が、完璧に拭き取られているからです。

この一連の所作しょさが、とても美しい。


オジサンの常に行なうルーティンらしく、動きに淀みがありませんでした。


自分が歩いた床に、濡れた足跡を残したくない。
濡れた床を不快に思う人がいる。
そのように思いをめぐらす方なのでしょう。



僕が小学生でした。

父が、

「風呂場で身体を拭いて、足も拭いて、それからバスマットに乗るとイイ。そうすれば、マットがほとんど濡れない」

と、僕に教えてくれました。

僕は、心の中で「フン」と思いました。
「面倒くさい」と思いました。
「濡れた足を受け止めるのがバスマットの役目。拭いて乗ったらバスマットの意味がないじゃないか」とも思いました。

ですから僕は、父の教えを華麗なまでにスルーしたのです。
生意気なガキんチョでした。


父は、その後、同じことは言いませんでした。
きっと、あきらめたのです。

父と母。子ども5人の7人家族。
その中で、唯一、父だけが足を拭いてバスマットに乗っていたのです。

冬。
たまたま父の次に風呂に入ると、バスマットは冷たくありません。
父以外の後だとバスマットが冷たくて、冷たさを不快に感じて、そこで初めて「父の後は冷たくなかった」と気づいたのです。

そう気づいたにもかかわらず、僕は、1度逆らった自分を否定したくなかったからか、変な意地を発揮して、父の教えを実行しませんでした。


ひとり暮らしをするようになり、僕は変わりました。
バスマットを、わざわざ湿らす必要はありませんからね。

結婚し、家族には父と同じアドバイスをするようになりました。
50%以上の確率で、小学生の僕と同じ反応を、今度は僕が見ることになりました。


大浴場で、完璧に足を拭くオジサン。
若かりし頃の、僕の父。

2人には共通点があると思います。

自分はやる。
でも、人には言わない。


誰かに、良かれと思って言ったところで、「余計なお世話」と思われるのがオチですからね。そりゃ~、あきらめます。

でも、

「バカバカしい。だったらオレもやらない」

とは、ならない人でした。


誰からも感謝されるワケでもない。
ほめられるワケでもない。
息子に鼻で笑われる。
家族のだれもマネしない。
大浴場の9割以上の人がやりはしない。


それでも、
自分の美学として行なう。


他者に持論を語ったりしない。
他者の自由も尊重する。

自分の中の、自分だけの美学。
自分のために、自己満足に過ぎないと自覚して、ほんの少しの他者貢献を行なう。

いや、他者貢献は、たまたまの結果論かな。
やはり、自分の中の美意識を大切にしたかったのだろう。


大浴場で見かけたオジサンと父のいる『あっち側』に、最近僕も仲間入りさせていただいています。

あっち側歴、約15年です。


唐突ですが、
僕は、ゆかりちゃんが大好きです。






おしまい


※この記事は、エッセイ『妻に捧げる3650話』の第909話です
※この記事は、過去記事の書き直しです

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