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バリ島あり

・あらすじ

ツアーコンダクターの小宮山ひまり(23歳~33歳)は、喜々として無休で働き、
noteクリエイター【ひがちゃん@沖縄】の、実話を元にした小説。



◆第1章 2003年(平成15年)


「ひまり! あんた、私に会わずに東京に戻るってこと~⁈」

ボリュームが大きすぎて、小宮山ひまりは思わず携帯電話を耳から離した。
顔の左側が条件反射でホンの少し引きった。見ようによっては、大きな左目でウインクしたみたいだ。

恐る恐る、改めて携帯電話に耳を近づけ会話を再開する。

「だってさー、仕方ないさ~」
「仕方ないじゃないわよ! あんたお母さんにも会わないワケ?」

「ツアーだからさ、私だけ那覇空港で『さよなら~』ってワケにはいかないんだってさー」
「で、その宮古島のツアーっていつなの?」

「2か月後。6月さ~。さっき契約も済ませたの。もう~待ちきれないさ~」
「あのね~。そもそもひまりは『1年だけ東京を見学してくる』って言ったんじゃなかった? もう、丸2年になるじゃない」

幼なじみの仲村恵は、また、いつもの愚痴を言い出した。ここ半年は、電話のたびに同じ愚痴を聞かされている。
ひまりは、恵の愚痴をさえぎる為に言葉をねじ込む。

「私は今、もの凄~くホームシックなの。正確には沖縄シック。確かに20歳はたちの私は、テレビでしか見たことのない東京に憧れてたさ~。東京がキラキラ輝いて見えてたもの。
 …でも、もう2年も沖縄に帰ってないからさ~、沖縄の海が恋しくて~。これが不思議なんだけどね、オカアが恋しいとかじゃないのよ。恋しいのは海なの。もう~海が恋しくて恋しくて、狂っちゃいそうなのさ~」
「だったら尚更よ。素直に嘉手納に帰ってくればいいしょ。何で宮古島なワケよ~?」

「嘉手納に帰ろうと思ったさ~。そしたら、たまたま宮古島のツアーを見つけてね。これが激安だったの~。しかも私、離島って1回も行ったことがないからさ。これって一石二鳥なわけなのよ! わかる? 沖縄の海も見れて、離島にも行けて、しかも安い! あ、一石三鳥だ」
「一石何鳥でも、どうでもいい。それより、ひまり! 私と一緒に起業する約束、忘れてないでしょうね」

「忘れてなんかないさ~。私はメーグーと会社を作る。そのために今私は、花の都大東京で社会勉強をしている。うん。全然忘れてなんかいないよ」
「お盆やお正月もまったく帰ってこないし、やっと2年ぶりに沖縄に来ると思ったら宮古島って…。ふ~っ。タメ息が出ちゃう。
 …あんたぁ、東京に染まったんじゃないの?」

「ははは~。東京は素敵さ~。でもね、ここには沖縄の良さがないの。沖縄の海もないし、うちなんちゅーもいない。だから私は、必ず沖縄に帰るから安心して」
「はいはい、分かりました。
 …私、彼氏とデートだから、もう電話切るね」

「ははあ~ん。○○と会うのね」
「そ。ひまり、まだ彼氏できないの?」

「うるさいなぁ。できないんじゃなくて、作らない●●●●の」
「ハイハイ。時間ないから、また聞くね。じゃあねぇ」

ツー、ツー

ひまりは携帯電話を閉じて、小さなタメ息をついた。

「ハイは1回でいいさ~。
 …同い年なのに、なんでいつもいつもお姉ちゃんみたいに言うワケ?」

恵は将来、観光客をターゲットとした会社を作ると決めていて、中学生の頃から、ひまりにも、そして周りにも、自分から宣言していた。
身長は150センチ弱と小柄で、顔もポメラニアンみたいに可愛い。そんな容姿からは想像できないのだが、野心家で夢も大きく頭も良い。何よりも気が強い。

ひまりから見ても、恵は間違いなく、経営者に向いていると思う。

レンタカー会社か飲食店か。はたまた土産屋か宿泊業か。業態は決まっていないし、開業時期も未定。
しかし、「女性起業家になる」ということと、「観光に関わる」ということだけは決定事項と言っていた。

もう1つ決定事項があった。
恵は何故か、「ひまりは共同経営者だからね」と宣言するのだった。

もちろん、そう言われてひまりは嬉しかった。

現在、恵は将来のプラスになると考えて、沖縄県の観光課の職員として働いている。高校時代、県の職員になる為に、毎日猛勉強を続けていたことも、ひまりは誰よりも知っている。

ひまりは、アパートの窓を開けた。
すぐ目の前の小さな公園の桜が、ほぼ満開だった。沖縄の桜と違って、ソメイヨシノの花びらはピンクには見えない。ほぼ白だよね、とひまりは思う。

ヒマワリやハイビスカスが好きな花だったが、ソメイヨシノも好きになっている。そう自覚した。

「それに比べて私は」と小さくツブヤク。

ひまりは、努力家の恵みを尊敬していたが、同時に、自分が恵に後れを取っていることも自覚していた。
だから、東京で学ぼうと思ったのだった。

いや、東京に逃げたのだろうかと、ひまりは思った。

この考えが時々浮かぶ。
そして、ハッキリと「No」とは言えない自分がいる。

ブティックの店員は、全く楽しくなかった。田舎者を「カモ」と陰であざけり、売れ残りを何がなんでも売りつけろという上の方針に、どうしても納得できなかった。

今の、居酒屋のアルバイトは楽しいし、お店にも貢献できていると思う。
お客さんにも、キチンとお役に立てていると胸も張れる。

しかし、と思う。
しかし、この程度のことで「東京で勉強している」だなんて言えやしない。

恵には言えなかったが、嘉手納に帰ったら東京へ戻る気力がなくなる、そんな予感のようなものを感じていた。
母や友人に、優しく「戻って来なよ~」などと言われたなら、そうしてしまいそうなのだ。

親友の、努力する姿から逃げて東京にやって来た。
東京での理想と現実のギャップから逃げるために、私は宮古島ツアーに申し込んだ。

私、逃げてばかりだ、と思った。


◆宮古島

佐々木は、うたた寝から目覚めた。
原因は、後ろの座席の若い女性の声だ。

朝、羽田を発った那覇行きの機内。
寝不足と二日酔いで頭が痛く、読みかけの貴志祐介をあきらめ目を閉じたのだった。

20歳はたち前後と思われるの若い娘が、となりの老女と会話をしている。
その声が、とにかくデカイ。

「あきさみよ〜! じゃあオバァは、やんばるの人なわけ~⁈」

当人は大声という自覚がないようだ。
「機内は、おまえの家ではなく公共の場だ」と、いつもなら説教の1つでもするところだが、今は佐々木に、その気力がない。

その若く明るく元気な女性は、おそらくは訊ねられてもいない身の上話を、やはり、明るく元気に語り出した。

「農業体験があるの。あと漁業体験も。
 ホテルじゃなくって民宿。あえての民宿って、そこがイイのさ~。
 沖縄本島の実家には寄らないのよ~。
 そしたら友達に、でーじ怒られたさ~。
 沖縄の海が! 海なのよ、海。海が恋しくって恋しくって恋しくって」
 東京に行ってもう丸2年過ぎたさ~。うん、1度も帰ってないの」
 初めての帰省なんだよ~。
 実家じゃなく、宮古島に行くのだから”帰省”って言わないかー!
 アハハハハ~!」

佐々木は思った。
(あれ、同じツアーに参加しているんじゃないか?)

やはり、このツアーはキャンセルすれば良かったと佐々木は悔いた。
一緒に来るはずだった陽子が、当日の朝、ドタキャンしたのだ。

(母親が倒れたって、本当かなぁ。たぶんウソだな。
 誕生日プレゼントをケチったのがマズかったか…)

小さなスナックに半年前から行くようになった。
佐々木と同い年だと言うママの楊子は独身だった。佐々木は35歳。

楊子はたぶん40歳
佐々木は年上の女性が好き。元妻も5歳年上だった。

急成長の販売会社で、同期の中で1番の出世を果たした。他人の2倍以上働いた自負がある。そして、結果は3倍以上出した。エリアマネージャーとしての営業成績は断トツだった。
意気揚々と独立起業をしたものの、赤字が続き、2名の部下に給料が払えなくなった。

大手企業のエリアマネージャーという肩書を失くした人間は、ただの一般人だった。いや、事業を成功させていない経営者は、ほぼニートという扱いなのだ。それが世間という実態だった。

相談もせず勝手に会社を辞めて、事業も赤字。妻は、当たり前だが佐々木を責め、そして去って行った。子供がいなかったので、実にアッサリとした離婚だった。

起業してすぐに倒産。
そして離婚。泣きっ面に蜂だった。

妻に逃げられ、会社も畳んだ。かつては高収入だったが、夫婦共に浪費が過ぎて貯金はほとんど無い。
法務局へ行って開業届を出し、個人事業主として営業コンサルタントを始めたが全く稼げず、アルバイトで糊口をしのいだ。

就職活動をしなかった理由は、見栄だけだった。

実情はアルバイト店員なのだが、個人事業主と言えることが佐々木には重要だったのだ。

地獄の2年間だった。寝る間も惜しんで働いた。副業のアルバイト(深夜の交通警備員)が不要になったのが半年前。大きな顧問契約が取れて収入が増えると、またすぐに、夜の女に散財するようになった。

佐々木は、そのルックスから金がなくても女が切れることはなかった。
身長は180センチ以上ある。痩せて見えるが身体は筋骨隆々だ。水泳部だったので肩幅もある。
二枚目で、「俳優の玉木宏さんに似ている」と言われる。

長続きするわけではない。
別れてもすぐに恋人ができるのだ。
今の佐々木に金はないのだが、金遣いの荒い、良く言えば気前のイイ男というニオイは残り、漂っているからなのかもしれない。

だから、そういう女性が寄ってくるのだろう、と、最近は自己分析できるようになった。

(きっと楊子も、別れた妻と同じだ)
(オレを好いているのではなく、金を好いているだけさ)
(今のオレには金なんてないんだけどな)
(きっと、それがバレたのだろう)

それが佐々木の分析だった。


那覇空港で乗り換え、プロペラ機が宮古島に着陸した。


ハイビスカス。
青い空。

太陽の日差しが真上から注ぐ。

スケッチブックを、頭上に掲げている青年がいた。
『民宿島袋』とマジックで書かれていた。かなり下手くそな文字だ。

背の高いその青年は、キョロキョロと周りを見ている。その横にシーサーそっくりな顔をした老人がいた。

若い娘が弾けるように動く。
スキップをしている。

「私、 ひまりで~~~す!」

佐々木は、警戒心を強くした。
(あの娘は、何かとオレの神経を逆なでしそうな予感がする…)

そんなことを思った時、「ササキサ~ン、いませんか~!」という声がした。
あの青年だった。一瞬、無視しようかと思ったが、青年の声が徐々に大きくなり、佐々木はあわてて名乗り出た。

「佐々木です」
「わ~! ササキサン、いらっしゃいませ~。長旅、お疲れ様で~す」

青年は愛想よくしゃべるが、となりの老人は無口だった。
ニコニコしている。シーサーが笑うとこんな顔になるのだろうと、佐々木は思った。

「ササキサ~ン、もう1人の方は?」
「あれ? 羽田から電話したけど? もう1人はキャンセルですよ」

老人がニコニコ肯いている。それで若者も納得したらしい。
どうやらこの民宿には、【連絡】という概念はないみたいだなと、佐々木は思った。

楊子のドタキャン、うるさい娘、そして、簡単な連絡さえできない民宿。

(泣きっ面に、蜂と虻まで来やがったか)

佐々木は前途多難を覚悟した。


「あと、田辺さんはいますか~」
「はい。田辺は私です」

「田辺さん! いつの間にいたのですか? 全然気づきませんでしたよ~」
「こんにちは」


「オジィ~、みなさんそろったよ~」
「んん~」


「みなさ~ん! 僕について来てくださ~い! レッツゴーで~す!」

「レッツゴーで~す!」と、ひまりが応えた。


「ハハハ、ひまりさんは可愛いだけじゃなく、元気なんですねー」
「そんな、可愛くて美しいなんて、本当のこと言ったらテレるさー!」


佐々木にとっては、ひまりという若い娘が眩しすぎた。
今日のような憂鬱な気分の時には、いちいち癇に障った。


* * *


民宿の車は、白と水色のツートンカラーのワーゲンバスだった。
ひまりは、ワーゲンバスを見て、

「な~に~~~! めっちゃカワイイ~んだけど~~~!」と喜んだ。

運転席には青年ではなく、シーサー顔の老人が座る。
青年は、助手席から身体を180度ひねり、満面の笑顔で語り出した。爽やかな笑顔だった。


「みなさん、今回は僕たちの宿、『民宿島袋』を選んでくださって、ありがとうございま~す。僕は、エイショーです。高校を卒業したばかりの18歳です。よろしくお願いしま~す」

「よろしくね~、エイショーくん」


「ひまりさん、ありがとうございます~。
 運転しているのが、僕のオジイです。宮古島では、”オジイ”は尊敬を込めて呼ぶ言葉なので、皆さんも『オジイ』と呼んでくださ~い。
 …ということで皆さん! 民宿までのこの車の中で、自己紹介を済ましちゃいましょう~!」

「イエ~イ! イイぞ~、エイショーく~ん!」


「ひと回り目は、名前と年齢だけにしてくださいねぇ~。それ以外の話題はふた回り目以降にしましょう。じゃあ、ひまりさんからどうぞ」

「どうぞって、私から~? 聞いてないさー。ったく~。ええっと、私は、小宮山ひまりです。年齢は、レディーに聞いちゃダメなんで~す。エイショーくんの少しお姉さんで~す。よろしくお願いしま~す」


「では、次は私が…。私は、田辺憲一朗です。生粋の江戸っ子で、歳は55歳です。あ、江戸っ子って余計でしたね。ごめんなさい。よろしくお願いします」

「え~! あきさみよ〜! ゴメンね田辺さん、私、もっと上って思ってたさ~」


「小宮山さん、私は年齢を気にする”レディー”ではないので、なんの問題ありません。それに、このガリガリの身体と、こんなシワシワの顔では、私でも老人に見えますから~」

「わは~! やさし~い! 田辺さんってジェントルマンですね~」


「ええっと、最後は僕ですね。佐々木です。下の名前は別にいいでしょう。35歳です」

「え~! 逆~! 20代だと思ってた~、若い~! イケメーン! 俳優の誰かに似てますよね~! あっ!」

ひまりが叫んだ。

「海だ~~~!!!
 ああ~~~、最高~~~!
 みなさ~~~ん! 海で~~~す!」

右手に、真っ青な海が見えた。
水平線が見える。視界の端から端までの海だ。

「あえて、海がたくさん見えるルートで走っています。
 こっちのルートが、ホンの少しだけ、1~2分だけ遠いんですけどね」

「エイショーくん、グッジョブ! 最高よ~!!!」


佐々木も、ひまりほどではないが、海を見て感動していた。
海は、よく見ると青ではなかった。エメラルドグリーンなのだろうが、ハワイのそれとは、どこがどうとは言えないが違って見える。

佐々木は、空の青さにも驚いた。
空港でも驚いたが、海とセットで見る空は、自然の迫力とアートの圧を感じる。


エイショーとひまりが、ごく自然に雑談を始めた。ほかの3名は、もっぱら聞き役。エイショーが語る宮古島自慢は、嫌味がなく、とても魅力たっぷりだった。

オジイは、聞いているのか、よく分からない顔をしている。やや笑顔なような真顔のようなと、佐々木には判断がつかなかった。
もしかするとオジイは、ほぼ笑顔が真顔なのかもしれない。

田辺は、眼をパッチリ開き、真剣に聞いている。笑顔は少ないが、イヤな雰囲気ではない。楽しんでいるように見える。相づちも適度に打っていた。

佐々木は、このメンバーなら、そこまで不快な思いはしないで済みそうだと安堵した。
だんだんと、ひまりの大きな声も不快に感じなくなってきた。


ワーゲンバスは舗装された道を曲がり、とある民家の畑の中に、どんどんと入ってゆく。

そして、ワーゲンバスは停車した。

宿に着いたのだ。
宿といっても、ここではこれが普通の民家なのだろう。本州の人間には変わった古民家に見える。
広い縁側が玄関を兼ねているようなのだ。赤瓦がいかにも南国風といった味わいで、青い空にとても映えている。

各自の泊まる部屋や、トイレやお風呂などを、ひと通り案内された。
「食事は、雨が降っていなければ畑で食べます」と説明された。
佐々木は、「食事は基本、ガーデンで食べましょう」と脳内で変換した。そのように変換するだけで、オシャレかもなと思うのだった。

決して洗練はされていないが、しかし不思議と野暮ったくはない。
それは、南国の雰囲気のなせる業わざだと思われる。同じサービスが、もし寒い東北地方なら、単に貧乏くさく感じるのかもしれない。

ここは本州から遠く離れ、沖縄本島からもさらに300㎞も南西の島なのだ。


「さっそく、農業体験に行きましょう~!」とエイショーが明るく言うと、
「やったー! これ、楽しみだったんですよー!」と、ひまりが反応した。

「〇$▼ー※¥◎~◇」と、珍しくオジイが何か言った。

オジイの言葉は、小さくて聞き取れない。それに加えて、かなり年季の入った宮古島の方言のようだ。たとえボリュームが正常でちゃんと聞こえたとしても、佐々木に意味は分かるまい。

エイショーは、オジイの発言に驚き、そして抵抗を示している。
やがて、渋々という感じで頷いた。佐々木はイヤな予感を感じた。

「え~、実は昨日の午前中、台風が宮古島の近くを通過しまして、うちの畑のビニールハウスが少し倒されちゃいましたー」

「あきさみよ〜! じゃあ、農業体験はできないの~?」


「大丈夫です。こういうのはショッチュウーありますから。
 そういうわけで、リアル農業体験です。
 これから皆さんで、ビニールハウスを立て直しましょー!」

「わーい! オモシロそー!」


「おいおい、本気で言っているのか?」と、たまらず佐々木は発言した。

「はい! 本気の本気で~す! これぞ、本物の農業体験! 滅多にできる体験じゃありませんよ~」とエイショーが笑顔で答えた。


「冗談じゃない! そんな風に、いいようにタダ働きさせられてたまるか!」

「お~、佐々木さんは乗り気じゃないですね~。他の方はいかがですか?」


「私は体験させていただきます。人生で初めて、ビニールハウスの立て直しができるのですから」と田辺が言った。

「佐々木さん、キャンプ場のバーベキューも、考えてみれば働かされています。焼肉屋もそうです。でも客は、自分で焼きたい。私は、このビニールハウスの修繕も、きっと同じ価値があると思うのです」

物静かな田辺が、小さい声ながらも明瞭に言った。


「私もやりたーい! 直してみたーい!」

「おお~、ありがとうございます~。佐々木さん、どうされますか~?」


「佐々木さん、手伝ってください! 私は女で力なんてないし、たぶん田辺さんも同じです。佐々木さんが手伝ってくれないと、エイショーくんの負担が大きすぎると思うんです」

「はあ~、本当にやる気? 正気か?」


「はい! お願いします!」

「ったく、わかったよ。多数決には従いますよ」


「やったー! エイショーくん、全員参加で~す!」

「では、レッツゴーですね~。みなさん、僕に着いて来てくださ~い」


* * *


確かに貴重な体験だった。
オジイが、何かしらの指示を出す。エイショーが、それをみんなに役割分担して伝える。
骨組みを確認し、少し曲がった程度のモノは、エイショーや佐々木が腕力で直した。ひどく折れた骨が1本あって、それは皆で交換した。

ビニールは破れていなかったから、交換は必要なかった。これは、不幸中の幸いだ。

結局、1番働かされたのは佐々木。
ただ、その佐々木の2倍以上もエイショーが目まぐるしく働きまくった。

それを見ていたから、佐々木に不満は無かった。
逆に、そのエイショーに1番頼りにされて、少し喜びを感じていた。

佐々木の顔には、笑顔がこぼれるようになった。


「みなさ~ん! 休憩しましょう~!
 オジィが、『水飲んで~』って言ってます~!」

畑の横の、椅子やテーブルがある場所に、みんなが集まった。


「佐々木さん、ありがとう」と、田辺が言った。
「佐々木さんが、力仕事をいっぱいしてくれて、メッチャ助かったわ~」と、ひまりが続く。

エイショーが、「佐々木さんがいなかったなら、まだ、半分も終わっていませんね~」と付け足した。

オジイが、佐々木に、ヤカンを手渡した。
佐々木はヤカンを受け取り、自分でコップに注ぎ、それを飲んだ。

「ブ~~~ッ! ペッ、ペッ!
 なにこれ~~~ッ⁉ 
 コレ、水じゃないぞ~~~!」


同じヤカンの水を、ひまりが恐る恐る飲んでみる。

「オジイ~! これ、泡盛でしょー! なに飲ましてんのよ~!」

エイショーが、
「ごめんなさい! みなさんの水は、こっちのヤカンです~!
 そっちはオジイの水です。
 たぶんオジイは、佐々木さんに特別サービスをしたつもりなんですよ~」と解説した。


エイショーは続けて言った。
「オジィは、普段の農作業のときも、泡盛の水割りを飲みます」
「薄いので、『これは水だ』と言い張ります。ハハハハー」
「ケッコー高級な泡盛なんですよ~」

みんなが笑うしかなかった。
佐々木も、少し笑ってしまった。


* * *


2日目の午前中は、島内観光だった。
ベタな観光地を案内されただけなのだろうが、みんな満足しているようだ。

もちろん、ひまりは大満足だった。

どこまでも広がる白い砂浜。
360度、全方向オーシャンビューの展望台。
それらの景色は、まさに絶景だった。
そして、神秘的な通り池。

真っ青な空。
青い海。

海の青は、いろいろな青があった。

ときどき見かける真っ赤なハイビスカス。
濃い緑色の島バナナ。

ひまりは、全力でハシャギ、全力で楽しんだ。
南国の海や空や大地から、エネルギーを吸収した。

佐々木さんは笑顔が増えた。声を出して笑うこともある。
田辺さんも、幸せそうに微笑んでいる。

エイショーくんとは、よく目が合う。
可愛い弟のように思っていたけれども、(もしかして、エイショーくんは、私のことが好きなんじゃないかな)と思うようになった。

そう思うと、ひまりまでドキドキしてしまう。


* * *


「午後からは、今度は、漁業体験で~~~す!」
「イエ~~~イ!」

エイショーくんの掛け声に合の手を入れることは、もう、無意識で行なえるようになっていた。タイミングもどんどん良くなっている。

佐々木さんが何か難しい顔をしていたが、文句を言うワケではなかった。
ひまりは佐々木さんを、少し、からかってみたくなった。

「あれれれ~。佐々木さん表情が曇ってますが、もしかして泳げないとかですか?」
「何を…。僕は学生時代、水泳部だったの。イルカに負けないくらい泳げる自信があるぜ」

「あきさみよー。水泳部~! あ、確かに肩幅が吉川晃司してますねぇ!」
「ふふん」

「ところでエイショーくん。泳ぐときは水着に着替えるの?」
「ああ、それは皆さんの自由です。
 宮古島の僕らは、このまま海に入ります。皆さんも日焼けには気をつけてください。本土の人は上半身裸になりますけど、ここの日差しは危険ですからね」

ひまりも、うちなんちゅーが水着にならないことは知っている。
しかし、今日のひまりは、ちょっとイイ洋服を着てしまっていた。
そんな、ひまりの乙女心をスルーしてエイショーくんが発言した。

「みなさ~ん! 僕の友達で~す!
 紹介しま~す! ほら、挨拶して」

「リューセーです!」
「カイトで~す!」

「追い込み漁をしますので、助っ人を頼みました~!」


「あきさみよ〜! 漁業体験って、追い込み漁をやるの~!」

「はい! ひがちゃん、追い込み漁、やったことありますか~?」


「ないないない。で、水着に着替えるの?」

「ん? 僕たちはこのまま……。あ、着替えるところですね。
 ワーゲンバスでできます。中から目隠ししますから」


結局、全員、着替えることなく海へ入った。
田辺が、「私は、郷に入りては郷に従います」と言って、そういう流れになったのだった。

ひまりも、海に入ったら、もう楽しくて、洋服の心配など忘れてしまった。

追い込み漁は、ひまりの想像以上に長い網を使うのだった。
まずは、大きく広がり、徐々に範囲をせばめていく。

範囲が広い時には感じなかったが、狭くなってくると、大漁だと分かってきた。
エイショーくんたち若者3人とオジイは、機敏に動き、機敏に泳ぎ、そして敏感に潜った。
佐々木さんも泳ぎは達者だった。さすが水泳部だ。

ひまりはハシャギながらも、田辺さんと、ただ網を持っているにすぎない。しかし、興奮は抑えられなかった。

気分は圧倒的に、私達の漁。
私達の大漁だった。

「スゲー! 大漁だ~!」
「こんなに獲れるの~⁈ すご~い!」
「ホント、凄いですね~!」
「今日は、特に大漁です~!」

みんなが興奮していた。


* * *


魚は焼いて食べた。

オジイが、手際よくウロコを落とし塩を振った。その塩加減が最高で、焼き加減も絶妙だった。

単なる魚の塩焼きが、こんなにも美味しいとは、これには沖縄県出身のひまりでさえも驚いた。

そのまま庭でバーベキューとなり、それが晩ごはんだった。
デザートのマンゴーの美味しさは、佐々木さんと田辺さんが大声で唸ったほど。

ひまりも、「でーじまーさん」と思いが声になった。


エイショーの友達2人が帰った。

若者が帰る少し前に、田辺さんがさり気なく、エイショー含めた若者3人にポチ袋を渡していた。

ひまりは、偶然、それに気づいたのだった。
ジェントルマンの気配りというものを、学ばせていただいたと思った。


* * *


バーベキューの炭が、まだ燃えていた。

宮古島の遅い夜がやってきて、辺りがやっと暗くなった。
夜の炎は、独特な魅力を放っていた。

ひまりは、不規則に揺らぐ薪の炎を見つめた。見ていて飽きないのだ。

遠巻きながら、みんなが炎を囲んでいた。
オジイは、いつものシーサーのような笑顔で、泡盛をロックで飲んでいる。

それがスゴク美味そうに見えた。


各々、好きなお酒を飲んでいた。
ひまりは、焼酎の炭酸水&シークワーサー割りにハマってしまっていた。

「自己紹介の、2周目をしましょ~」と、エイショーくんが切り出した。


エイショーくんが、ひまりにアイコンタクトを飛ばす。

「え~、また私から? ま、イイかぁ。
 実は~、私は~、うちなんちゅーで~す! 沖縄出身なんで~~~す!」


みんな呆気にとられた。
少し間があって、苦笑いに変わった。

「ええ? な~に~?
 もしかして気づいていたワケ~?
 シンケン~?」

驚いているのはひまりだけ。

佐々木が、
「隠していたつもりだったのか? そっちに驚くよ。
 君は、飛行機の中でも大声でしゃべっていてじゃないか。実家に寄らないとか、初の帰省だとか。
 僕だけじゃなく、田辺さんにも聞こえていたと思うなぁ」

田辺も、「はい、もちろん聞こえていました」と言う。

エイショーも、
「まさか、内地の人を演じてたのですか?」と小声で言う。


「あきさみよ〜! だって私、標準語で話してましたよね~?」

「その『あきさみよ~』というのは、沖縄の言葉だろ?」と佐々木。
「あと、イントネーションが常に、沖縄のイントネーションでしたねぇ」と田辺。


「あら~。じゃあ私、2周目で話すことが、なくなっちゃったさー」

「私は、小宮山さんの、夢や目標が聞きたいですねぇ」と田辺が言った。


「夢~⁈ ジェントルマン田辺さんの希望なら、語っちゃうかー。
 私は、東京でビジネスの経験を積んで、やがて沖縄に戻ってきて~、そして親友のメーグーと会社を作るんだ。
 私が、内地と沖縄を繋げたい。内地の良さと沖縄の良さは、それぞれ別なんだよね~。そういうのを沖縄の子供たちに、ちゃんと伝えたいなぁって、まだ、漠然としている夢なんだけどね」

佐々木が、口を開いた。

「そんな甘い考えなら、起業はやめた方がイイ。
 会社を起業するって甘くないんだ」


ひまりは驚いた。
いきなり、夢を否定されたと思った。

「オレは1度会社を作って失敗した。
 甘くないと身をもって体験したんだ。
 夜、眠れなくなったんだ。ウトウトすると、胸や腹がザワザワしてな。
 無数の虫が身体を這っている感触なんだよ。でも、もちろん虫なんか1匹だっていやしないんだ。
 たぶん、今思うとあの時のオレは鬱病うつびょうだったんだろう。
 オレは、そんな思いを君にはして欲しくないんだよ」

ひまりは言った。
「ありがとー、佐々木さん」

「え?」


「心配してくれて、本当にありがとう~。
 佐々木さんって、優しい~。
 ただ旅行で、偶然に一緒になっただけなのに。
 こんなに本気で心配してくれるなんてさぁ~。
「まるで、お父さんみたいだ~」
「嬉しい~~~」

「え? あ、ああ……」


佐々木は、(完敗だ)と思った。
悪意があるとは思わないのか? 否定されたとは取らないのか?

自分が起業して、もの凄く苦労したから、つい八つ当たりした。
佐々木はそれを、自分自身分かっていながらも、思いを吐き切ってしまったのだ。

ひがちゃんに、どんな言葉を返すか考えた。


そのタイミングで、田辺が口火を切った。

「私の自己紹介。ふた周り目の自己紹介ですが、語ってもイイですか?」

「どうぞどうぞ」とエイショー。


「私はガンなのです。それも、末期ガンです」
「医者からは『余命3か月』と、宣告されました」
「それが、先月のことです」
「もしも、その通りになるのなら、私はあと2か月しか生きられません」

田辺の声は、小さい。
しかし、ちゃんとみんなに聞こえた。

悲壮感はない。
だからなのか、不思議と深刻な雰囲気にはならなかった。

とはいっても、みんなが息を呑んだ。


田辺の言葉にはウソの欠片かけらも感じない。
海風までが空気を読んだのか、辺りはシーンと静まった。


「今、私が思うのは、『もっと、やりたいことをやれば良かった』という後悔です。後悔ばかりしました」
「後悔をしつくして、次は考えました。残り3か月を、どう過ごすかと」
「医者からは延命治療を勧められたのですが、結局私は、それを断りました。延命治療するのなら、お酒は飲めませんし、この旅行にも参加できません。おそらくは死ぬまでベッドの上です」
「たった3ヶ月ですが、私は、やりたいことをやると決めました」
「……」
「ここには、妻と一緒に来れば良かった」
「妻は同行を申し出たのですが、私が断ったのです」
「妻が一緒だと、……妻が一緒だと、常に死を感じてしまいそうで、なんか辛かったのです」
「1人なら、束の間でも死を忘れられるかも、と思ったのです」
「でも、それは間違いでした」
「宮古島の美しい景色を、妻と一緒に見たかった。追い込み漁を一緒に体験したかった。この場で、私の隣にいて欲しかった」
「帰ったら、妻と行動します。私は妻と旅行します」
「みなさん……、どうか、やりたいことをやってください。人生は思った以上に短い」
「なんのチャレンジも冒険もしなかった私の人生は、何ともつまらない人生です。老後の心配をして、貯金に励んで、それで終わる人生なのです」
「やりたいと思ったなら、ためらわないで、すぐにやってください」
「あと3か月の命なら何をするだろうか、と、時に考えてみてください」


佐々木の頬からアゴをつたって、涙が、畑の土に落ちた。

ひがちゃんも、ぐしゃぐしゃに泣いていた。
何もできないのだろうが、でも、何かをしてあげたい。

ひがちゃんは、田辺の隣に移動した。
田辺の膝の上にある田辺の手に、ひがちゃんは自分の手を添えた。

田辺と目が合う。

言葉はない。

田辺が泣いた。
声を上げて泣いた。

ひがちゃんの肩にすがって泣いた。

「くくっ・・・」

田辺の嗚咽がしばらく続いた。


◆モスクワの空港で


「あきさみよ〜! 待て~! 待て待て~~~!」
「え”⁈ 考えてみ! 自分がハネムーンだったらどうするど!」
「フリムンが! バカ者が! ぬーあびとーが? 何を言ってるか?」

モスクワのシェレメーチエヴォ国際空港内では、ちょっとした騒ぎとなっている。

事情を知らない通行中の人も、何ごとなのだろうと立ち止まりだした。

ロシア人の大男、イワンが徐々に後ずさりする。
うちなーぐち(沖縄の言葉)になったのが、まるでスイッチだったかのように、ひがちゃんの声はボリュームMAX。女性の声だからか、良く響いた。

まさに猛抗議。1人デモ状態。

ツアー客の22名が、心配そうにひがちゃんを見守っている。
ツアー客22名の周りに、さらに、野次馬たちの層もできあがっていた。

空港のスタッフが2名、駆けつけていた。
さらに、もう2名のスタッフが駆け寄り、そのうち1人は日本人だった。
誰かが「日本語の分かる人を」と指示を出したのだろう。

その日本人女性スタッフが、鼻息の荒いひがちゃんに声をかけた。

「佐倉と申します。どうされたのでしょうか?」

「くぬ、ぽってかすーが~!この、まぬけがぁ~!」


「え?・・・」

「あっ!」

ひがちゃんは我に返った。うちなーぐちで話していたことに気づく。

「す~、ふう~~。す~、ふう~~」

小さい深呼吸を、2度おこなった。

冷静さを取り戻したフリをして、標準語で説明を始める。

「ツアー客の1人が、この空港内でチケットを紛失しました」
「成田からここまで一緒に同行してきたお客さまです。目的地はイスタンブールです」
「ツアーのみんなで、失くしたチケットを全力で探しましたが見つからななくて…」
「そして、彼に事情を話したのですが、別の便を取り直せの一点張り!」
「これってオカシイですよね!!」
「例外が認められる条件に該当しているハズです!! 手続きが面倒なだけでしょ?」
「ハネムーンツアーなのに、夫だけ後の便で行けって言うんですよ!!! ひどすぎます!!!!!」

「それは、うちのスタッフが、大変失礼いたしました」
「すぐに、手続きをいたします」
「イワン、Пожалуйста, сделайте это немедленноすぐに、やってちょうだい

佐倉は、拍子抜けするほど簡単に応じてくれた。

当然だと言わんばかりに、ひがちゃんは胸を張った美しい姿勢のまま180度「クルッ!」と振り返る。

ツアー客と、立ち止まった欧米人中心の野次馬たちに、満面の笑顔で微笑んだ。
その動きは、まるで、舞台女優のようだ。

「みなさ~ん! 無事、乗れることになりました~!」
そう言って、両手を大きく振った。

「お騒がせしてスミマセンでした~。I'm sorry for making a noise」

自身で通訳しながら、何度も両手をふりながら愛嬌を振りまく。

拍手が起こった。

ツアー客の拍手が野次馬にも伝染している。

そこへイワンが近づき、恐る恐るしながらも、ひがちゃんにこう訊ねた。
「アーユー、ジャパニーズ?」

※参考動画 ↓


ひがちゃんは、笑顔のまま対応した。

「イエス! You thought the Japanese were quiet, right?あなた、日本人は大人しいと思ってたんでしょ~??」
Watch Japanese movies and study.日本の映画を観て勉強しなさい。 I'll teach you this wordこの言葉をあなたに教えるわ

「なめたらいかんゼよ!」

カワイイ顔で凄んで見せて、最後に「ニコッ!」と、満面の笑みを添えて、イワンとの会話を打ち切った。


そしてやっと、ず~っとひがちゃんの横にへばりついて、オドオドしている男性に顔を向けた。

その男性は、チケットを失くした瀬戸さん。お礼を言いかけた瀬戸さんが慌てて走り出す。ひがちゃんが走ったのだ。

「瀬戸さん、とにかく今は急ぎましょう。フライトまであと5分しかありません!」

「は、はい、隊長!」


* * *


佐倉はイワンに歩み寄った。

「イワン、あなたどうして? あなた英語だけじゃなく、日本語だってペラペラじゃない」

「佐倉さん。あのヒトはホントウニ、日本人なのですか?」


「ええ。どうして?」

「ボクは、あの女性のコトバは、トチューからまったくワカリマセンでした…」


「ああ、確かに。方言が凄かったわね」

「ほうげん、デスカ~?」


「あれだけ意味が分からないということは、彼女は青森県民ね。あれはきっと、津軽弁じゃないかな」

「ツガルベン。・・・トテモ、怖かったです」


◆隊長とゆかいな仲間たち


新宿駅東口から歩いてすぐの、居酒屋チェーン店。焼き鳥や串カツなどが、安くて美味いと評判のお店だ。

店内の、広いお座敷の1つが大いに賑わっている。金曜日の夜だから、その他のお座敷も、カウンター席やテーブル席も、ほぼ満員の状態。

ひがちゃんが、モスクワの空港でグランドスタッフに啖呵たんかを切ったのは、4ヶ月前のこと。
今夜は、ひがちゃんとツアーに参加したお客さんとの『懇親会』が行われている。懇親会という名の飲み会で、今回が2度目の開催だった。

大いに賑わっているお座敷の真ん中には、ジーンズに薄いピンクのボタンダウンという、カジュアルな装いのひがちゃんがいた。

イスタンブールのハネムーンツアーで仲良くなったお客さんたちが、
「日本でもこの仲間と、また会いたい」「ひがちゃんと、また会いたい」
と言ってくれたのが、この懇親会が生まれたキッカケ。

言い出しっぺは、あの時チケットを失くした瀬戸さんだ。

幹事も買って出てくれて、連絡先や会費の管理、開催日時や場所の選定、みんなへの告知と、全てを手際よくこなしてくれる。
もちろん、奥さんの愛あるサポート付きで、今日も夫婦で出席している。

懇親会は、ひがちゃんがツアーに行くたびに「僕も」「私も」「私たちも」と、新たに参加を希望する人が続出した。
「初めまして」のお客さん同士が、果たしてどうなるのだろうかと、ホンの少しだけひがちゃんは心配したが、お客さん同士は、もう、勝手に仲良くなっている。

ひがちゃんにはそのような、良い人を引きつける力があった。
人の中心が似合う、不思議な魅力もある。

求心力、というものかもしれない。


「しかし、ひがちゃんの冒頭の挨拶。あれは笑えたなぁ」
「そうそう!『私のことを隊長と呼んでください』には、つい吹き出しちゃいましたよね~」

「ええ~⁈ なんで笑えるのさ~? 意味わからんさ~」


「だって、絶対にツアコンの初心者って分かったし~」
「顔に『ド緊張』って書いてあった~!」
「ワハハ~! 顔に『初心者』とも書いてあったね~!」

「あきさみよ〜! みんな、そう思っていたの~! シンケン~?」

ドーッ!と大爆笑になった。


「私は『はじめて』とか『新人』とか言ってない! 先輩に『そういうことは禁句だよ!』と、キツ~ク言い聞かされていたんだから~!」

「言ってなくっても、分かるものは分かるんだなぁ~」
「ちなみに、あのときって、添乗何回目だったの?」


「トルコのハネムーンツアー? たぶん5回か6回かな?」

「とにかく、まだまだ新人だってバレバレだったよね」
「若いし、あと落ち着きがないし」
「おっちょこちょいだし~」

また爆笑が起こる。


「それが一気にモスクワの空港で、私たちの印象、変わったわよね~」
「変わった、変わった!」
「隊長、頼りになると思った~」
「あの事件のおかげで、ツアーのみんなの団結が固まったな」
「ひがちゃんのおかげと、チケットを失くした瀬戸さんのおかげだ~!」

爆笑。

瀬戸さんも一緒に爆笑。
ひがちゃんだけが苦笑い。

ひがちゃんは、実力あるツアーコンダクターでありたいと思っているのだった。
ある意味ひがちゃんは、超実力者のツアーコンダクターなのだが、ひがちゃん自身には、その自覚がない。
その辺の妙が、まだ理解できないのだった。

ひがちゃんのイメージでは、自分がしっかりとサポートし、リードする。
それが実力あるツアーコンダクター。

対して、ひがちゃんの現実は、頼りないけど憎めない。
憎めないから、お客さんが積極的に協力してくれる。
お客さんが【従】ではなく【主】となるので、結果、お客さんにとってはスゴク楽しいツアーとなる。

どんなことであっても、受け身より主体的な方が楽しいのは、道理というものだ。

真の実力者は、ひがちゃん。

実際、お客さんの満足度が桁外れに高いし、リピート客も異常に多い。そして、このような懇親会まで開催されている。
この懇親会は事実上、【ひがちゃんと、ひがちゃんのファンの集い】じゃないか。


ひがちゃんが自信を持てないのは、当然と言えば当然だった。
ひがちゃんはまだ、今の会社に入社して、1年経っていないだ。

宮古島から東京へ戻ったひがちゃんは、すぐに転職を決めた。

居ても立っても居られない気持ちになり、かねてから興味のあった旅行業界に飛び込み、今、水を得た魚となって、頑張りまくっている。


また、みんなが、好き勝手にひがちゃんのことを語り出した。

「オレ、ひがちゃんのツアーに、この前も行ったんだぜ~」

「ええ~、どこ行ったの~?」


「イタリア!」

「イイなぁ~」


「は~い! 私は、ひがちゃんのツアー3回目に申し込みしました~!」

「ええ~⁈ スゲぇ~なぁ!」


幹事の瀬戸さんが、スクッと立ち上がった。
「ええっと、ちょっとイイですか?」

「なに~? 幹事~?」
「かくし芸か?」
「オーイ、みんな~、幹事が何か言うぞ~」


「みなさんに提案があります」

「提案~?」
「なになに~」
「聞くだけなら聞くよ~」


「この会、懇親会って呼んでますが、『隊長とゆかいな仲間たちの会』という名前にしませんか? 僕たち実際、”ゆかいな仲間たち”ですし」

「おお~~~!!」
「イイね~!」
「1番ゆかいなのは、チケット失くした瀬戸さんだけどね~」

笑いが起こる。

「これまでどおりに、幹事は僕がやりますので」

「だよなぁ~、ひがちゃん忙しすぎるしね~」
「隊長が1番遅く来るって、どうなの~?」
「そうそう、もっとひがちゃんと話したいのに~!」


「しかたないさー、日本に帰ってきてもメッチャ忙しいし~。今回も3日しか日本にいれないんだよ~! 明日、エジプトに飛ぶんだからね~!」
ひがちゃんが弁解をした。


「おお~~~! エジプト、イイね~」
「行ってみた~い!」
「まあ、隊長は最初っから『マスコットでOK』って、そういうことだったから、仕方ないね~」
「マスコットは完璧にできてる! 偉い! 隊長~、偉~い!」
「ちなみに、隊長が幹事、できると思う?」
「絶対にできっこな~い!」
「ムリムリ~」
「ハハハハ~!」
「添乗員は~?」
「ムリムリ~!」
「でも、俺たち”ゆかいな仲間たち”がいれば~?」

「ノープロブレム~!」

みんなが声をそろえて叫んだ。会のお決まりの掛け合いだった。


「シンケン~? ひど~い! 私、泣いちゃうよ~」
とひがちゃんが言う。

大爆笑になった。


みんな、大いに飲んで大いに酔った。

この日、この懇親会は『隊長とゆかいな仲間たちの会』と名前を改めた。
今では、『隊長とゆかいな仲間たちの会』では長いので、『隊ゆ会たいゆかい』と定着している。

「鈴木さんは今度の”隊ゆ会”、参加します?」という感じで使うのだ。


* * *


翌日、ひがちゃんは成田からエジプトへ飛んだ。

成田空港の出発ロビーで、ひがちゃんは集まったお客さんに、堂々と命令を下す。

「イイですか~、皆さ~ん! この旅行中皆さんは~、私のことを『隊長』と、そう呼んでくださ~い! イイですね~?」

「…くっ」


「誰ですか? 今誰か、笑いましたか?」

「・・・」

無言ではあるが、お客さんの顔は、みな半笑いだ。

「ツアー中、隊長の命令は絶対ですので~、ちゃんと守ってくださいね~。では、楽しいエジプトの旅へ、レッツゴーで~~~す!」


* * *


機体が安定し、シートベルト装着の明かりが消えた。

ひがちゃんは思う。
楽しい。この仕事はスゴク楽しい、と。

志望の動機は、「海外旅行ができて、それでお給料がもらえるって一石二鳥じゃないか」と思ったからだった。
でも最近は、一石三鳥だと思っている。

ツアーに行くたびに、信頼できる友人が増える。仲間が増えるのだ。
ひがちゃんの睡眠時間は、このところ平均で1日3時間。
食事は1日1回。
本当に大変だ。普通の人なら倒れている。

本来、機内でのわずかな仮眠は、ツアーコンダクターにとっては貴重な休息タイム。

しかし、ひがちゃんは違う。
眼をらんらんとさせて、ツアー客を喜ばすサプライズ作戦を、ああしよう、こうしようと、考えるのが常なのだ。

ひがちゃんは何かを思いつき、ノートにメモをした。


◆ボンドガールに憧れて


光陰矢の如し。
時は流れ、2006年の8月。

場所は、イギリス、ヒースロー空港の到着ゲート手前。

その日は特に暑かった。真夏という理由だけではない。異常なほどの混雑が暑さを増している。
入国手続きが、通常の3倍以上も時間がかかり、それでもまだ終わらない。

緊急事態だった。
テロの犯人が逮捕されたらしい。

「飛行機に乗り自爆した」とか、「自爆は失敗」などと、情報も錯綜さくそうしている。

空港内のセキュリティーが、最高レベルに引き上げられた。


イタリアのミラノからイギリスへ到着した、ひがちゃんとゆかいな仲間たち一行は、ストレスが限界近くまでたまっていた。

液体のモノは全て没収された。

こんなことはツアーコンダクターのベテランとなったひがちゃんにも、初めての経験だ。
マニュアルにも載っていない。日本の会社に問い合わせても、対処方法を誰も知らないし、誰も明言をしてくれない。

「なんとかしろって、どうしたらイイの…」

めずらしく、ひがちゃんの口からも弱音が出る。

このままじゃ、楽しい旅行が台無しになってしまうと、ひがちゃんが気にするのは、その1点だった。

女性客の1人がひがちゃんに近寄り、こう訊ねた。

「ホテルに着けば、化粧水ってありますか?」

宿泊するホテルのアメニティーグッズに、化粧水はない。
これは大変だと、ひがちゃんも気づく。

自分だって化粧水がないのは困る。半数以上の女性客は、同じように困ることは確実。
今、何か対策を考えなければ、ホテルに着いてからお客さんの相談電話が、鳴り続けることになるだろう。

しかし、テロがあったばかりというこんな時に、観光客が個人で移動することは危険すぎる。
黙認できないどころか、ちゃんと禁止命令を出すべきだと、ひがちゃんは考えていた。

妙案は浮かばない。

しかし、ひがちゃんには別な妙案が、実にアッサリと浮かんだのだ。

「みなさ~ん。隊長の声が聞こえるところに集まってくださ~い」
「ご覧の通り、テロ事件があって、このロンドンは今、大変な状態です」
「そして、私たちは液体という液体を全て没収されました」

「そうだよ~。せっかくワイナリーで買ったあのワイン。楽しみにしていたのに~!」
「空港の検査員たちが、絶対に、あとで飲むよなぁ~」
「悔しい~」


「ワインは、本当に悔しいです! そして女性は、化粧水が没収されて大変なのです。あなたの愛する妻が、その美しさを失いかねません!」

「さすがひがちゃん! よく気づいてくれたわ~」


「任せてください、って言いたいけど、気づいたのは鈴木さんです」

「鈴木さん、ありがとう~! でも本当、大変~!」
「ホテルに行ったら、化粧水ってあるの~?」


「アメニティーグッズに化粧水は、ないハズです。ホテル内の売店にもないでしょう」

「え~、じゃあ今夜は化粧水なし~?」
「それは困る~」
「困ります~」
「私、シャンプーやコンディショナーも、海外製はちょっと~。メーカーまで贅沢は言わないけど、せめて日本製の商品が欲しいです」
「隊長~、どうにかなりませんか~」


「はい、そこで、です!」
「私たちの仲間には、つまり皆さんの中には、私なんかよりはるかに知恵のある男性陣がたくさんいらっしゃいます。機転の利くレディーもミセスもたくさんいらっしゃいます」
「皆さんで、どうすればイイか、アイディアを考えて欲しいのです」


こうして、皆の知恵を借りる。
これがひがちゃんの思いついた妙案だった。さすがベテランだ。

みんなが、まるで楽しんでいるかのように意見を出し始めた。まるで高校生の文化祭前日のようだ。
真剣に、でも楽しそうに会話をしているじゃないか。

法的に、またはツアーのルールやイギリスの慣習などを考えて、できることか、できないことかを、ひがちゃんがジャッジを行なった。

「う~ん。それは、会社に言うと『ダメ』って言われますから、報告も相談もなしでやりましょう」

「イイんですか?」


「ええ。法的には問題ありません。我が社の、社内ルールなだけですから」

「なるほど~! 隊長、男前っすね~」

頃合いを見計らって、ひがちゃんが声を上げる。

「みなさ~ん。私に注目で~す」
「このあと私たちが乗るバスの運転手さんに、『ホテルまでの途中で、スーパーマーケットに寄ってください』と頼んでみま~す」

「おお~!」
「ナイスアイディア」
「できるんですか?」


「本来ダメで~す。そして問題はココからです。おそらくバスの運転手さんが嫌がります。なぜならルール違反だからで~す」
「そこで今度は、どうやって運転手さんを口説くか! これを考えましょう~」


* * *


「プリ~ズ。On the way, stop by the supermarket~途中、スーパーマーケットに寄って~

「No~」


英国紳士を代表するかのような、長身でハンサムな運転手に、なぜかひがちゃんがしなを作って、お願いの言葉を言った。

そんな作戦は立ててない。

まずはストレートにお願いをしてみる。これが作戦Aだった。

だが、さっきのあれではド変化球だ。なぜ科を作った? 色仕掛けと勘違いされた可能性すらある。

ジェームズボンドのようなイギリス人男性を見ると、自分をボンドガールのように思ってしまう、という女性のさがか? 

そういうことなのかもしれない。

ストレートかド変化球かは置いておいて、とにもかくにも『スーパーマーケットに寄って欲しい』というお願いは、アッサリと断られてしまったのだ。

バスは、宿泊先のホテルに向かっている。

運転手のドライブテクニックは確かなもので、発進も停止も、いたってなめらかだ。

ひがちゃんの英語のニュアンスに科が混じっていたことと、腰の辺りに現れたわずかな「クネ」っという動き。
その一部始終を、特等席で観ていたのは、英会話が堪能な島田さん(ご主人)だった。

その島田さんが交渉のために、ひがちゃんと席を変わった。

作戦Bが行われる。

I will talk to you as a gentlemanあなたを紳士と見てお話します
Women are in trouble because their lotion is confiscated女性たちが化粧水を没収され困っているのです

Oh, that's a pityおお、それは気の毒だ


染谷さんが、島田さんの隣にスタンバイしている。
染谷さんは30代前半。女性。美しいストレート黒髪で、いわゆるジャパニーズビューティーだ。
ご夫婦で参加していて、この作戦はご主人の発案。

作戦Cだ。

Thank you for driving safely. This is a tip from me安全運転、ありがとうございます。これは私からのチップです

美人の、爽やかな笑顔もプラスされた。


すぐに、作戦Dが追加投入される。

ひがちゃんが紙袋を持ってきた。

Please, Japanese sweets. It's a gift for your childどうぞ、日本のお菓子です。お子さんへのプレゼントで~す
と、明るく大きな声で言った。

色気より食い気の方がホームグラウンドのひがちゃんだ。
うまい具合に袋の中身をチラと見せていた。

源氏パイ、コアラのマーチ、うまい棒などを、運転手がチラリと見た。

日本のお菓子は、もの凄く美味しいと海外では絶賛されている。
知る人ぞ知る、外国人に究極に喜ばれる手土産なのだ。

しかも、子どもが喜ぶ様子をイメージさせたのが良かった。
運転手の表情が変わり、明らかに喜んでいるのが分かる。

ひがちゃんの腰の動きには食いつかなかったが、日本のお菓子には食いついた。

運転手が、

But there are rulesしかしルールがあるとつぶやいた。


作戦Fが行われた。

島田さんが「ミスター、ブラウン」と、運転手さんをあえて名字で、とても丁寧に呼んだ。どこかにネームプレートがあったのだろう。

I want you to be these female heroesこの女性たちの、ヒーローになって欲しいのです

「Hero?」


「イエス」

「・・・」

このやり取りが決め手となった。


OK, let's drop in at the supermarketOK、スーパーマーケットに寄ってあげよう


ダメ押しになってしまったが、作戦Gも行なわれた。

染谷さんに続いたというていで、あらかじめ集めてあったみんなからのチップが、ブラウンさんに渡される。

Is this a tip? It ’s like a bribeこれがチップかい?ワイロのような金額だ

Good, it's a joke!いい、ジョークですね!
But this is a small tip from usでもこれは、私たちからのささやかなチップです

と、島田さんが、やはり丁寧に受け答えする。


ゆかいな仲間たちは、無事に、スーパーマーケットで必要な物を購入し、そしてホテルに到着した。

全員が、バスを降りるときに、運転手に礼を述べた。

ブラウンさんも笑顔だ。
その笑顔はクールで、やはりハンサムだった。


* * *


一行は、4日間のイギリス観光を終えた。

バスを使うとき、運転手は常にブラウンさんだった。
途中からはブラウンさんも、一行の仲間のようになった。

愛妻家で、一人娘を溺愛していることを、もう、ツアーのみんなが知っている。
目ざとい島田さんが、運転席のブラウンさんの家族写真を見つけ、いろいろ会話し、その情報はみんなに共有された。


バスはこれから、ヒースロー空港へ向かう。

出発前に、ブラウンさんがひがちゃんに、こんなお願いをした。

I want to see you off見送りしたい
If you drop off, park the bus in the parking lot and go see offみなさんを降ろしたなら、バスをパーキングに止めて、見送りに行く
I really enjoyed having your driver君たちのドライバーができて、僕は、本当に楽しかった

To park in the parking ...パーキングに停めるなんて…


Oh, don't worry. I will pay the parking fee myselfああ、ご心配なく。パーキング代は自分で払うさ

Instead, it's a rule violation, right?そうではなくって、ルール違反でしょ?


A lighter guilt than going to a supermarketスーパーマーケットに寄るよりは、軽い罪さ

「ハハハ、ナイスジョーク!」
Understoodわかったわ、サンキュー、ブラウン」


「Thank you」

「to you too」


ひがちゃんは、ありがたい、と思った。
かつてこんなことは1度もない。胸が熱くなった。


* * *


ゆかいな仲間たちは、スーツケースを預ける作業中だった。

ジャパニーズビューティー染谷さんの荷物は、追加料金が必要となり、仲間たちから「買いすぎだ~!」とか「セレブ買いだ~!」などと、美人なのに遠慮なくいじられていた。

いじられている染谷さん自身も、そしてご主人も楽しそうだ。


そこへブラウンさんが現れた。

奥さんと娘さんも一緒だ。

それはサプライズだった。

My wife Natalie and my daughter Olivia妻のナタリーと、娘のオリヴィアです

一行は歓迎し、感動した。


オリヴィアちゃんは、きちんとドレスアップしている。

髪は、濃い茶色のボブカット。天然パーマらしく、クルクルしている。
ナタリーさんは背が高い。170㎝はありそうでヒールも高いから、スレンダーなのにかなりの存在感がある。髪は美しいブロンドだ。


「かわいい~」
「オリヴィアちゃん、いくつだっけ?」
「確か6歳だよ、バスの中でそう聞いた」
「クルクルの髪の毛が可愛い!」
「奥さんも、超~美人~!」
「奥さん、背が高い!」
「脚が長い! ひがちゃんも脚長いけど、もっと長いね~」
「美男美女のカップルだね~」
「お似合いだわ~」
「オリヴィアちゃん、可愛いわけだ~~~!」

女性陣を中心とした絶賛が続いた。

気の利く島田さん(ご主人)が、みんなの日本語をブラウンさんたちに通訳している。

「オリヴィアちゃんが、みんなにお礼が言いたいそうです」と、島田さんが言った。

ブラウンさんにうながされて、オリヴィアちゃんは1歩前に出た。
Japanese sweets were very delicious日本のお菓子が、とても美味しかった
thank you everyoneみなさん、ありがとう


パチパチパチと、自然に拍手が起こった。

オリヴィアちゃんは恥ずかしそうに、ブラウンさんの脚に抱きついている。


ひがちゃんが、オリヴィアのところへ駆け寄った。

しゃがんで、片膝をついて目線を合わせる。
オリヴィアちゃんの手を握った。

Thank you. We got help from your dadありがとう。私たちは、あなたのパパに助けてもらったの

オリヴィアちゃんの眼を見て、そう言った。

ひがちゃんは、奥さんのナタリーさんとも眼を合わせた。

それから、ゆかいな仲間たちを見た。
仲間たちが、無言だが「その通りだ」という目や肯きをしている。


ひがちゃんは、もう一度、オリヴィアちゃんと眼を合わせた。

Your dad is our heroあなたのパパは、私たちのヒーローなのよ
Nice daddy, I envy you素敵なパパで、あなたが羨ましいわ

オリヴィアちゃんは、はにかみ、そして誇らしげな笑みを見せた。

そして、

「Thank you」と言った。

2度目の拍手が起こった。


* * *


乱気流の影響で、機体が5分ほど揺れたが、今は安定していた。

ひがちゃんは、「地球は丸いから」と、分かったフリをしているが、実は、ロシア上空の、しかも北側を飛ぶことに心の底では納得はしていない。
中国の上を飛んだ方が、直線じゃないか?と思うのだった。


今、飛行機は、ちょうどそのロシア上空を飛んでいる。
広大なロシアの、真ん中を少し過ぎた辺りだ。


道を歩く。
歩いている。

舗装されていない、土の道。

知っている道だ。

家《うち》に帰っている、と、ひがちゃんは分かった。
小学校の帰り道だ。
ここを曲がって、ほら、うちだ。

あれ?
家の前に、男の人が立っている。

この光景、知ってる・・・。

「・・・お父さん?」

「・・・分かるのか?」


「うん」


「・・・悪かったな」


この、やり取りも知っている。

言わなきゃ。
今度は、言わなきゃ。
『会えて嬉しい』って、言わなきゃ。
『謝らないでイイよ』って、そう言わなきゃ。

じゃないと、探したときには・・・。

「お父さん・・・」

「お父さんはお前たちと別れて、好きに生きることを選んだ」


「うん」

「自分がやってみたいことは、すぐにやるとイイ」


「うん」

「今、一番やりたいことは何だ? そして、3ヶ月しかないと思うんだ」


ん?
あれ?

(はっ!)
(……夢かぁ~)

珍しく、ひがちゃんは機内でうたた寝をしていた。

(大人になって会おうと思ったら、ニライカナイへ行っちゃってた……)
(そうだ、田辺さんから「すぐやれ」って教わっていたんだ)
(私、今、1番やりたいことって何だろう?)

「あっ」

今度は声が出た。
ひがちゃんは、そうかと、思った。

(子どもの頃の夢見たの、オリヴィアちゃんのせいだ)
(私も、子どものとき、クリクリの天然パーマだったから……)
(オリヴィアちゃんを見て、そのことを思い出したからだ)


ノートを出して、ひがちゃんはメモをした。

・美容院、予約、ボブカット
・007、レンタルor映画館


今回は、帰国後日本に10日間も居る。こんなことは久しぶりだった。
やりたいことは山ほどある。

(でも、1番にやりたいことって…)
(なんだろう…)

ひがちゃんは、また、同じことを考えた。


◆隊ゆ会、忘年会


急ぎ足で歩く。
師走になって、心なしかすれ違う誰もが急いでいるように感じる。

佐々木は、仕事を終えて新宿駅に向かっていた。
夜になって一段と寒くなった。佐々木は、マフラーをしてこなかったことを軽く悔やむ。

腕時計を見た。

「これは、間に合わないなぁ」

吐く息が白くなった。

二つ折りタイプの薄い携帯電話を、佐々木はポケットから取り出した。


* * *


「そしうしたら、空港に奥さんとお嬢さんがいたのさー」

「へ~! 家族で見送りですか~」


「そうなのよ~! 奥さん、メッチャ美人だったしぃ~、オリヴィアちゃんが可愛いのなんのってさー。私が子どもだった頃と、同じくらい可愛かったワケよ~」

「ははは、ははは、そりゃあ~スゲ~可愛い、ははは」


「ん? …なんか気になる言い方だけど、ま、いいサ~」

「隊長は、奥さんや娘さんが空港に来るって、知らなかったの?」


「そうなのよ~! ブラウンさんが見送りに来るのは知っていたよ、当人から言われたからね。でもさ、そんなことも初めてなんだよ! バスの運転手さんが『見送りたい』なんて、そんなの無いんだから~」

「しかも、奥さんと子どもを空港に呼んだワケか~。そりゃあ、狙ったね。サプライズ演出だね~」


「欧米人の男性って、そういう、ちょっとしたサプライズを、やりたがるのよねー! なんか、サービス精神が旺盛っていう感じ?」

「なるほど~」
「さすが隊長! 運転手さんも、メチャクチャ楽しかったんだね~!」
「隊長は、現地の運転手さんまで魅了したのか~」
「隊ゆ会のメンバーに、そのイギリスの運転手さんも追加だね」
「勝手に追加して、強制入会だ~!」
「今日ここに来たなら、盛り上がるのにな~~~」
「隊長の瞳めが、ハートになったりして~!」


大きな笑いが起こった。

この居酒屋に3つあるお座敷のうち、2つを、隊ゆ会が予約した。
2つのお座敷の間にある襖ふすまを開け放って、1つの大宴会場が出来上がっている。

参加メンバー数は、ざっと約60人。

各テーブルの中央では、ちゃんこ鍋が出来上がっていた。シンプルな塩味で、好みで加える柚子胡椒が、めちゃくちゃ好評のようだ。

お刺身の盛り合わせ、焼き魚、焼き鳥と、店員さんがキビキビと料理を運んでいる。


ナーナーナナナ♪ ナナナ♪ ナナナ♪ ナーナーナナナ♪

この着メロは、DJ OZMAの『アゲ♂アゲ♂EVERY☆騎士』だ。


「あ、はい。…はい。はい、無事に帰ってきました~! 今日? 今日はムリです~。明日、会社に顔を出しますね~。はい、はい~~~」

「誰ですか?」


「会社の上司。『会社に寄るのか?』って」


ひがちゃんは、成田空港から直接ここに来たのだった。そのことを隊ゆ会の参加者は、ほとんどが知っている。

幹事の瀬戸が、「ひがちゃんの参加は遅れる可能性あり。ツアー終了後成田から直接の参加なので、最悪は、参加できない場合もあり得る」と、事前のアナウンスを行なっていたからだ。


この日は無事に、飛行機は遅れることなく成田に着いた。結果、ひがちゃんも定刻の少し前に、居酒屋に着いている。

ゆかいな仲間たちの面々は、久しぶりにひがちゃんに会えて嬉しい様子だ。

【隊ゆ会】は、前回、前々回と、ひがちゃんが不参加だった。
その反動もあって、今日は皆、いつも以上にテンションが高い。


「ひがちゃん、着メロかえたの?」

「ううん。会社からってすぐ分かるように、会社だけ着メロ変えた~」
「で、どこまで話したっけ?」


「ブラウンさんの、サプライズです。奥さんと娘さんを、空港に呼んでいたんですよね?」

「そうそう~! そうなの~~! そんなの聞いていなかったから、もう~、ビックリさ~! 超~サプライズよ~~!」


「最高ですよね~!」
「仲間たちも、感動したでしょうね~」
「今日来てるんですよね、そのときの仲間たち」

「うん、もちろん来てる。あの辺にいるのが、そのときのメンバーだよ~」


「あ、あの美人がもしかして?」

「そう! 染谷さん! チップを最初に渡した人~。でねでね、この話、まだ続きがあるの~」


「なになに~?」
「なんだろう?」

「ブラウンさんがバスの運転手仲間に、このことを自慢しちゃったのさ~」
「で、ロンドンのバス運転手仲間にワ~ッ!と広がっちゃって~、巡り巡って、ウチの会社にバレちゃったの! 私が勝手に、ツアー日程を変更したことが!」


「あちゃー!」
「ええ? それってダメなの~?」

「ツアーは、とにかく『予定通り』が、鉄の掟なのよ~。だから、会社から小言を言われたサ~」


「たぶん大目玉だよ。大目玉喰らっても、それが、ひがちゃんには小言程度なんだな。おそらく、そうでしょ?」

「すご~い! 正解! よく分かったね~」
「そもそも私は、正真正銘初めてのツアーでも、あっ、それは国内ツアーなんだけどね。その初めてのツアーでも、先輩の言いつけをたったの”3秒”で破ったからね~!」
「そんな私が、ロンドンのあの状況でルールなんかに縛られるワケはない! だって、あんなトラブル、予定通りになるワケないさ~」


「ハハハ~!」
「隊長~! さすがです!」

「で、小言を言われて、私も少しワジワジーしたからさ~」
「会社ではブラウンさんを、”日本のお菓子”で説得したんじゃなくて…」
「なんと! 私の英会話能力と、私の”女の魅力”で説得に成功したと、ちょっと盛って説明しちゃいました~!」


「ハハハ~! 隊長~、それ最高~!」
「メッチャ見栄、張ってる~~~!」

「そう~! みんな、『ひがちゃんは色気が足らない』とか、いつもうるさいからさ~、『英国紳士にはドストライクだった』って、そういうことにしておいたさ~」


「ワハハ~!」
「受ける~!」


ひがちゃんのトークが、少し上手くなっている。
同じ話が2回目だからだ。

そして、まだまだ各テーブルを回って、また同じ話をするのだろう。

参加者が多すぎて、ひがちゃんが席を移動するのは恒例なのだ。

みんな、なんだかんだ言っても、やっぱりひがちゃんと話をしたい。
もちろん、ひがちゃんも、みんなと話がしたかった。


ヒースロー空港で、前代未聞のトラブルに巻き込まれたツアーから、4ヶ月が経過していた。

今日は、隊ゆ会の忘年会だった。


でも~♪ 誰より~~~♪ 誰よりも♪知って~いる~~~♪

BEGINの『島人ぬ宝』が聞こえる。ひがちゃんの、いつもの着メロだ。


「はい! ですです~。今終わったの~? 了解で~す。いや、まだ始まったばかりさー。うん、うん、待ってますね~」

佐々木からの、「少し遅れます」という電話だった。


* * *


佐々木が、お座敷の前でキョロキョロしている。
ひがちゃんを探しているのだ。

瀬戸が、それを見て声をかけた。

「もしかして、佐々木さんですか?」

「あ、はい」


「ひがちゃんから参加を聞いています。瀬戸です。この会の、幹事です」

「ああ。ひがちゃんからよく聞いています。『瀬戸さんには、スゴク助けてもらっている』って、いつも言っていますよ~」


佐々木は、瀬戸のいるテーブルに加わった。
これほどの人数がいる会とは思っていなかったので、大いに戸惑っている。

しばらくして、瀬戸と佐々木のいるテーブルに、ひがちゃんが回ってきた。

「ああ、佐々木さん! ここにいたんですか~!」

「ええ。ちょっと前に着きました。しかし、想像以上の人数だ~。そして、大盛り上がりですね~」


「でしょう~」

「いや~、すごいなぁ。これは、ブレーンとして、かなりやり甲斐がありますよ~」


「ん? ブ、 ブレ~ン?」

「オレ、ひがちゃんの活動の、ブレーンを買って出ます。瀬戸さんが幹事を買って出たようにね」


「ブレーンって、な~に~?」

「ブレーンは『頭脳』っていう意味です。佐々木さんは、たぶん、ひがちゃんの”軍師”や”参謀”をしますって、そう言いたいんですよ」

と、瀬戸が解説した。


「頭脳~?」

「ひがちゃんは、いつかは沖縄に帰ってビジネスするって、いつも言ってるよね。オレ、経営コンサルタントしているし。無料でコンサルしようと思ってさ」


「へ~。そういうこと~。でも、コンサルって、いつやるのさ~?」

「隊ゆ会の、こういう会話でいいんじゃないかな。ゴリゴリにビジネスを教えるつもりはないし…。こういう雑談中に、何か気づいたらヒントを出すって、そんなふうに考えている」


「ありがたいけど~、私、まだビジネス、全然何も決めてないよ~」

「ノープロブレム! この”隊ゆ会”は素晴らしいよ。これは、ひがちゃんの財産だ」


「ええ? 隊ゆ会~?」

「心配は要らないよ。さっきも言ったけど、ごくたまにヒントを出すだけ。ひがちゃんが何も考えなくなったなら、それは本末転倒だからね。この会は僕の会じゃなく、ひがちゃんの会だ。だから考える主役は、ひがちゃんさ。僕は、ごく稀にヒントを出すだけ」


「そうか~。ヒントをもらえるのね。なら、分かりました! ぜひ、よろしくお願いしま~す!」

「さすがだな~。明るさ、決断の速さ、精神力と、全部、超一流だ~!」


佐々木は、ひがちゃんが困ったり悩んだりした時に、ほんの少しだけ知恵を貸してあげようと考えている。だから、自分からリードするつもりは本心から無かった。

ひがちゃんより、幹事として忙しい瀬戸の手伝いを、むしろコッチを積極的にやろうかなぁ、と考え始めていた。


佐々木の人生は、ひがちゃんと田辺との出会いをキッカケに、一変した。
死に物狂いで仕事に取組み、経営コンサルタント業を軌道に乗せた。

全力で仕事に取り組む原動力、情熱、粘り強さ、などなど。
それは、宮古島で体験した衝撃だった。

「宮古島の思い出」と、言い換えることもできる。

田辺の言葉が、いつも佐々木の胸にある。
(あと3ヶ月の命なら、オレは何をするだろうか?)と、常に考える。


時間をムダにするなんて、あり得なかった。
他人をうらやむ時間なんてない。まして、ひがんでいる時間などない。
過去を悔やんでいる時間もない。
未来を考える時間も、必要ない。

そう思い定めて、【今】だけに、これでもかと没頭した。
今日という1日に、全力で、真摯に、誠心誠意、没頭し続けた。


佐々木は、ひがちゃんの純粋さに、脳天をハンマーで殴られたほどの衝撃を受けた。

純粋。ひたむき。素直。
飾らない。飾ろうという発想がない。

そういう心や姿勢が、人の心を強く打つことを、あのとき知った。
佐々木自身が、心を打たれたのだ。

座学で知ったのではなく、身をもって体験したのだ。

計算とか戦略とか効率とかは、純粋・ひたむき・素直などの土台があってこそ、初めて、その効果を発揮する。

この、普遍的な真理に気づけたのが大きかった。


佐々木には、昔から映画鑑賞という趣味がある。
映画館にも行くが、レンタルDVDで観る方が圧倒的に多い。

最近、『フォレスト・ガンプ/一期一会』を観て、涙が止まらなかった。
トム・ハンクスが演じる主人公が、宮古島のひがちゃんと重なったのだ。


勝手に心を決めた。
ひがちゃんに恩返しすると、心を決めたのだった。

佐々木は、ゆかいな仲間たちの真ん中で、心から楽しそうなひがちゃんを、まるで、父親か兄のような思いで眺めていた。


◆行きつけの店①


外見は場末のスナックで、店内はまったく見えない。

少し色褪せたのぼり旗の『食事処』と『カラオケDAM』の2つが、木製ドアのすぐ近くに出してある。

ひがちゃんは、その木製ドアを開けた。

中は、スナックというより小料理屋に近い。
壁の角の上の方にカラオケのモニターがあり、おしゃれとは無縁の、そんな小料理屋だ。

ひがちゃんが住むアパートの最寄り駅。その駅裏にある。
ひがちゃんはここの常連の1人。もっとも、この店の客は全員が常連客だ。

女将おかみさんの手作りのお総菜を食べて、泡盛の水割りか、生ビールを飲む。

そしてカラオケを歌い、ちょくちょく踊る。

女将さんの亡くなったご主人が、出身が沖縄県だったので、常連客の7割は沖縄県人だった。


ひがちゃんは、ゆかいな仲間たちから、やっと解放されたのだ。
リラックスして、飲み直そうと思っている。


「あら~、ひがちゃん。お帰り~」

「女将さん、ただいま~」


「んん? ザルのひがちゃんが、珍しく酔ってるのね~」

「忘年会だっだの~。ははは、さすがに飲みすぎたみた~い。メッチャ薄い水割りちょうだ~い」


「はいよ~」

「メッチャ薄いのだったら、水でイイんちゃうか~」と、ほぼ毎晩のように飲みに来る、常連かつ古参の志村がチャチャを入れた。


ひがちゃんも女将さんも、志村のチャチャには乗らない。聞こえてすらいないのかもしれない。

客は志村だけだった。

志村は、慣れた手つきでカラオケの予約を自分で入れる。
どうやら『島唄』を歌うらしい。

志村は沖縄出身ではないのだが、この店ではいつも、沖縄に関係のある歌を選ぶ。
陽気ではないが、酔って絡んだりすることもない。
ダジャレが好きで、もうすぐ50歳になる、普通のオジサンだ。


「女将さん、コレ、お土産~」

「いつもありがとう。今回はどこ行ったんだっけ?」


「イタリア~。ローマ、ベネチア、ミラノの10日間ツアー。お土産はチョコとトリュフ塩。塩は、料理に使ってみて~」

「ありがと~。志村さん、チョコ貰ったから食べよう~」


「あ~っ! 久しぶりの泡盛は、メッチャ美味しいね~!」

「ふふふ。で、忘年会はどうだったの~?」


「大盛り上がり! 過去最高の63人が集まったさ~」

「へ~、63人は凄いなぁ」と、『島唄』を歌うことなく、志村が会話に入ってきた。


「みんな楽しいし、面白いし、メッチャありがたいさ~。私に、コンサルしてくれるって人も出たんだよ~」

「は? コンサル?」


「将来、私が沖縄に帰って起業するときに、無料でアドバイスしてくれるって~。すごく心強いの~」

「なんか、怪しくないか?」


「大丈夫。その人はず~っと前に、宮古島の旅行で知り合って、長い付き合いなのよ」

「んん? 彼氏か? ひがちゃん、彼氏いないんちゃったか?」


「そうですよ、彼氏はいませんよ~。淋しい独り身ですよ~」

「まえ、ここにも来たことあったよね~。そのとき志村さん、居なかったのかな~?」と、女将さん。


「歳が全然違うし…。どっちかというと、お父さんって感じかな。あ、お父さんは管理人さんだから~、パパって感じかなぁ」

「ひがちゃんくらいの女性が、『パパ』って言うと、なんか別なパパに聞こえるなぁ」


「あ、なに~。パトロンって聞こえるって言いたいの~?」

「ひがちゃん、イイ人はいないの? 私、紹介したい人イッパイいるのよ」


「女将さん! イイって~、それはイイ。いらない。気もちだけ、ありがとうね」

「ひがちゃんには幸せになって欲しいのよ~。あなたなら、自信もって紹介できるし~」


「好きな男は、いね~のか?」

志村が、お土産のバッチチョコレートを食べながら質問した。


「どうも、私が好きになる男って、……売れちゃってるんだよね~」

「おお、不倫か? イイねぇ~」


「もう! 不倫なんかしませんよ!」

「大丈夫、ひがちゃんなら、私が……」


「いや、女将さん! 本当に紹介はいらないから~。これまで私も、何人か付き合ったけど、男の人ってすぐ束縛するから、私にはムリなんだよね~」

「ま~、若い男は、やることしか考えてねぇからなぁ。そりゃあ束縛するわなぁ~。なんなら本当に縛りたいし」


「志村さん!」と、女将さんが睨む。

「おっと、……次は、なに歌おうかなぁ~」


「007……。いないよね~。……ん?」

(え? 私、ブラウンさんが好きだったのかな?)
(え? 私、失恋したの?)
(まさか私、今、1番したいことって、……恋愛?)


店には、志村が入れた『涙そうそう』のイントロが流れはじめた。
おかみさんが、『そっとおやすみ』を予約したのが、モニターで分かる。

まもなく、お店は閉店となる。

ひがちゃんは自覚していないが、グラスの水滴で、カウンターに”のの字”を書いていた。


◆あなたのお名前は?


それから約2年後の秋。
2008年10月。

ひがちゃんは、駅前のマクドナルドでソーセージエッグマフィンにかじりついていた。
世間は、リーマンショックに翻弄されている。株価は暴落の一途をたどっていて、内閣も総辞職した。

しかし、秋の空は不景気など知ったことなく、見事なまでの快晴だった。


「どうして秋の空って、高く見えるんだろう…」

そんな言葉が、ふと漏れる。
窓側のカウンター席で、その高い空を眺めながら、ひがちゃんは好物のベイクドポテトを食べた。

「まーさん!」

リラックスしていると、つい、うちなーぐちになる。

このあと電車で羽田へ向かう。また、ツアーでヨーロッパに飛ぶ。
このところ会社の人使いがさらに荒くなり、日本に滞在できるのが、わずか3日間。それが3度、続いていた。

海外のホテルで暮らすのが日常で、日本のアパートで過ごす方が”非日常”になっている。

ウチナータイムが常識の沖縄出身だが、ひがちゃんは、仕事では一度も遅刻をしたことがない。ツアーコンダクターだから当然と言えばそれまでだが、時間にはかなり余裕を持って行動するのが常だった。


ひがちゃんは、秋の空から視線を下げた。
駅のロータリーの端にある駐輪スペースは、このマクドナルドの目の前にある。


また1人、自転車を停めた。

もう、停めるスペースなどないのに、わずかな隙間に自転車の前半分を強引に突っ込んで、それで良しとし、その青年は去っていった。

その影響だろう。
隣りの自転車が倒れ、そこから、自転車十数台が将棋倒しになった。

ざっと、20台近くの自転車が倒れたのだ。
当の青年は、演技か本当か、それには気づかずに、駅へ向かって歩き続けている。


そこに、別な自転車の男性が近づいた。


(え? ブラウンさん?)

ひがちゃんは目を疑った。

よく見ると、男性は日本人だった。
しかし、ロンドンのバス運転士のブラウンに、背格好がとても似ている。
髪はこげ茶色で、背が高い。30歳前後と思われた。

彼は、どうやら、将棋倒しになった自転車を、全て起こすつもりのようだ。
その様子が、窓越しのひがちゃんにも見て取れる。

真面目な性格なのだろう。しかし、要領は悪い。
どちらかというと不器用なのだろう。
倒れた自転車を、1台、また1台と起こしたなら、男性の背中側の、倒れていなかった自転車が数台倒れた。
それを立て直すと、今度はさっき立て直した自転車が、また倒れる。

『あちらを立てればこちらが立たぬ』という諺ことわざの、実演のようだった。

はなっから、店を出たなら倒れた自転車を起こそうと思っていたひがちゃんは、カウンター席を立ち、外へ出た。
スーツケースを引きながら、駐輪スペースに向かう。


「手伝いますね~」

そう声をかけて、男性が押さえている自転車を支えた。

「こっちは倒れないように支えますから、そっちの自転車を起こして~」

「あ、ありがとうございます」


「一気に起こすのムリそうだから~、1台ずつがイイかも~」

「そ、そうですね」


高校生男子が1人、自転車で近づき、そして男性を手伝ってくれた。

自転車同士が絡まって、作業は想像以上に困難だ。丁寧に根気強く、絡まった自転車を分けて、そして立てる。それを繰り返す。
ひがちゃんは、立てた自転車が逆側に倒れないように、そのサポートに徹した。この役目は一見地味なのだが、男たち2人の作業を”立て直す”ことに集中させる効果があった。

2人が要領を得たことと、残りの台数が減ったことも重なって、作業は加速度的に速くなっている。

そして、全ての自転車を立て直した。

ひがちゃんは高校生男子に、「ありがとう」と言った。

高校生はペコっと頭を下げて、自分の自転車を、立て直した自転車の1番端に停め、そそくさと去っていった。


「ありがとうございました。では……」

と、男性がひがちゃんに言った。男性は自分のクロスバイクにまたがっている。


「自転車、停めないんですか?」

「え? ああ。……僕は、法務局に行くんですよ~」


「ええ~? ここに停めないのに、自転車を直したの~?」
驚きで、ひがちゃんの声が少し大きくなっている。

「あ、な、なんっていうか、僕、時間あったし……」

「停めないのに……」


「ああっ! もう、こんな時間だ!」

「わあ、本当だ~!」


「では、あ、あの、……ありがとうございました」

「どういたしまして」


男性は去って行った。

(不器用だけど……)
(でも、それがかえって、なんかイイなぁ)

ひがちゃんは、そう思った。


クロスバイクで立ち去った男性は、背の高さや立ち居振る舞いはイギリス人のブラウンに似ていたが、顔はハンサムとは言えなかった。
”ラーメンズの片桐仁を小ぎれいにした感じ”というのが、過不足のない描写だろう。

おそらくは彼は、これまでの人生で「ハンサム」とか「カッコイイ」などと言われたことはないハズだ。
ひがちゃんとの会話も、女性への不慣れ感がれ出ていた。

しかし、人とは、見たいように見えて、聞きたいように聞こえるもの。

背の高い彼がクロスバイクに跨り、そして立ち去るその姿は、ひがちゃんには、まるで映画のワンシーンのように感じたのだった。


* * *


その日も、あの日と同じく小春日和。

「偶然、会えないかなぁ」

祖父江そぶえは、あの日以来、ず~っと朝マックを食べている。

朝食は、白米に納豆が定番だった。タマゴ、ネギ、シラス、キムチ、ごま油、和辛子、ミョウガ、刻み海苔と、納豆には最高の相方が多数存在する。

納豆ごはんをこよなく愛している祖父江が、もう、1週間もマクドナルドのマフィンを食べ続けている。

(たまたま、この町に来たのだろうか?)
(スーツケースだったなぁ)
(勇気を出して、名前とか連絡先を聞くべきだった)


祖父江の努めている不動産会社の出勤時間は、朝10時。最寄り駅は隣の駅となる。この駅より隣駅からの方がわずかに近い。
どっちみち祖父江は、電車には乗らない。台風や雪でもない限り、自転車で通勤している。

例のクロスバイクだ。

投資用アパートを、地主に勧める営業マン。キャリアは2年目だ。

大学卒業後は、関東の大手地方銀行に就職した。渉外しょうがいという、ルート営業のような外回りを行ない、十数棟ものアパートを経営するやり手の大家さんに、祖父江はえらく気に入られた。

祖父江も、その大家さんの人柄や考え方に魅かれ、大きく影響を受け、そして転職したのだ。

いつかは自分も、アパート経営を本業にするつもりでいる。

祖父江の営業成績は、中の上。
先輩のような押しの強いセールスはできないのだが、なぜか祖父江は、お客さんから紹介をいただけるのだった。

既存客の、再受注もズバ抜けて多い。

先輩や同僚は、「祖父江の成績は、運だけだ」揶揄やゆする。
それは完全に、ひがみなのだが当の祖父江は、「確かに僕は、運がイイ」と思っている。

流暢りゅうちょうな話術などない。自信たっぷりなプレゼンもできない。
おじいさんと仲良くなって、それを上司に報告したなら、上司が契約を決めてくれた。
運が良かっただけだとしか思えない。

祖父江が新規でお客さんを見つけたのは、初契約のお客さんを含めて、たったの2人だけ。ほかの受注は全て、お客さんの紹介と再受注だ。


「祖父江の契約のほとんどは、紹介だろ? それは、営業力とは言えない」
「アイツ、ついているだけじゃないか」
「この前も、キャンペーンの最終日に、既存客から再受注貰っただろ~」
「ついているよなぁ~」

そんな陰口はしょっちゅう聞くし、面と向かって言われたことも多々ある。

投資用アパートの、営業マンの退職率は高い。
定着しないのだ。

ノルマを達成できないと、人格否定され、給料ドロボーとハッキリと言われる。遠回しに休日出勤もうながされ、”自発的な休日出勤”というモノが避けられなくなる。

そんな厳しい環境だから、人はどんどん辞めていく。だから会社は、年中、中途採用者を募集していた。

ノルマを達成できなかったなら、自分には、人格否定も休日返上も耐えられそうにない、と祖父江は思う。
しかし、ノルマは達成できてしまうし、常に受注見込みの、濃厚な客が5~6人以上いた。

年収も、高額な歩合給が付くので、地方銀行時代の3倍以上だった。


(おかしいなぁ…)
(僕は運が、めちゃくちゃイイはずなんだけどなぁ)

ベイクドポテトを食べながら、祖父江はそんなことを思った。

(あの女性ひと、たぶん手伝うの、慣れている……)
(すごく、自然だった)
(恩着せがましさが、皆無だったなぁ)
(僕は、コッチを直せばアッチが倒れてと、ちょっと鈍臭かったよなぁ)
(でも、蔑さげすみのような感じも、これっポッチも無かった)

(手伝ってくれているときの、雰囲気が、すごく心地良かったんだよなぁ)
(あれって、何なんだろうか?)
(あの女性ひとは、たぶん、自然に人助けしちゃうのかな? だからかな)

(僕は、計算で、人助けするからなぁ)
(なんか、恥ずかしいなぁ)

(でも、会いたい)
(もう一度会いたい)


祖父江が自己分析する『計算』とは、親切にしてあげる『相手に対する計算』ではない。

祖父江は、親切にしないで立ち去ってしまうと、その後しばらくの間、自己嫌悪に陥るのだ。そのことをひどく後悔して、自分を責めてしまう。
別に、親切な行為や、面倒な作業が好きなワケではない。本音を言えば、できればやりたくない。

近未来に待つ【自己嫌悪】というマイナスと、【今、手伝う】という物理的なマイナスの2つを、頭の中で計算し比べる。
十中八九、その計算の結果は、自己嫌悪のマイナスが大きいとなり、祖父江は、親切な行為を行なってきた。

そんなだから、そういう自分を「イイヤツ」だなんて全く思わないし、むしろ、偽善者だと思ってしまう。

あのときの女性の手伝いは、そんな自分の親切とは別物だった。
あんなふうに自然に手伝う。

そういう自分になりたいと思った。


祖父江は、あのときの女性のことばかり考えている。

(笑顔がステキだったなぁ)
(青空が似合っていた)


あと何度、マクドナルドで朝食を食べたなら会えるのだろうか。
ソーセージエッグマフィンが好物になったけれど、そうはいっても、毎日はムリだ。

納豆ごはんだって時々は食べたい、と祖父江は思った。


(ドラマやマンガみたいに、再会ってできないものなんだなぁ)

マクドナルドから外へ出て、クロスバイクのロックを外した。


「マフィンって美味いのに、なんで朝だけなんだろう…」

祖父江は、声に出してつぶやいていた。


* * *


月日は流れ、さらに2年後。
10月中旬。

やはり快晴だった。

ひがちゃんのiPhoneが鳴った。

「はい。成田に着きました。大丈夫です。先輩はゆっくり休んでください」
「大丈夫ですから、ご心配なく」
「サプライズ企画はするな? なんでですか?」
「ええ、……はい」
「はあ~、全員バリ島旅行の常連客……」
「私たちより、滅茶苦茶、バリ島に詳しい……」
「はぁ~、なるほど~。下手な企画はありがた迷惑なんですね~」
「上手い企画なら、イイんではないですか~?」
「何もしないで、自由にさせて、それがお客さまの希望……」
「は~~~」
「え、ええ」
「あ、ハイ。分かりました先輩。大丈夫です、寝ててください」
「余計なことはしませんから~、はい、はい、は~い」


ひがちゃんの先輩が、インフルエンザにかかってしまい、急遽、ピンチヒッターを命じられたのだった。

ひがちゃんは、バリ島は初めてなのでワクワクしている。
もちろん、お客さんへのサプライズ企画を行なうつもりだ。先輩の言いつけに、大人しく従うつもりはない。

ただし、余計なお世話とはならない、細心の工夫が必要となる。
そう考えて、ひがちゃんは心を引き締め直した。

今回のツアーには、ひがちゃんの常連さんは1人もいない。
それゆえに湧いてくる緊張感が、ひがちゃんの心を強く刺激した。


「ちむどんどん、してきたさ~」

出発ゲートへ向かいながら、ひがちゃんは声に出してそう言った。


* * *


「先輩から、みなさんはバリ島旅行の”達人”だと聞いています~」
「私、バリ島、初めてなんです~」
「初めてでも『初めてって言うな』というのが、ツアーコンダクターの常識なのですが、私は、本音100%なんですよ~」
「バリのこと、何でも知りたいので、どうか教えてください!」

出発ゲート前には、11名の参加者中、約半数が到着していた。
ひがちゃんは、そのお客さんたちと、一生懸命に世間話を行なっている。
世間話でありながら、大切なお客様の『情報収集タイム』でもあった。

そして、情報収集以上に、仲良くなることが最重要のミッション。
話かけて、そして、話を聴きまくる。
ひがちゃんは、コミュニケーション能力を、全開で発揮していた。


突然、そのひがちゃんの笑顔が強張こわばった。


近づいてくる祖父江のことをに気づいたのだ。

(あの男性ひとだ)

2年前、一緒に自転車を立て直した、あの時の男性が、どうやらこのツアーに参加するらしい。


「あ、お客さま、お名前を…」

「祖父江です」


「あ、はい。今日は、あの~、住谷が、インフルエンザになってしまいまして、急遽私が……。ツアーコンダクターの経験は豊富なので、安心してください。でも、バリ島は、実は初めてなので、あの、ご迷惑をかけるかもしれませんが、どうか、よろしくお願いいたします」

「あ、あの~」


「ひゃい!」

「その節は、ありがとうございました」


「ひゃい、あれ? 何で『ひゃい』ってなるの?」
「はい」
「あ、言えた」
「はい、かえってこちらこそ、その節はありがとうございました」

「ツアーコンダクターだったんですね。どおりで……」


「え?」

「あ、いや、よろしくお願いいたします」


周りは誰一人として、この2人のやり取りを気にしていない。
事情も何も知らないのだから、それは当然だ。

だが、もし仮に、事情を知る友人がいて、このやり取りを見ていたならば、
「おまえたちは中学生か!」というツッコミを入れたことだろう。


* * *


機体が安定し、シートベルト装着ライトが消えた。

ジャカルタ経由で、バリ島のデンパサール空港までの空の旅。

ひがちゃんは、どんなサプライズをお客さまに提供するかを考えはじめた。そのために、マル秘ノートを開き、ペンを持った。

しかし、そんなことで、自分の心を誤魔化しきれるワケもない。


「なんで…」

小さな声がもれた。


ひがちゃんは、【隊長とゆかいな仲間たちの会】が出来て2年後に、自分に課すおきてを作った。

お客さまとは、決して恋愛しない


それが、ひがちゃんが考え、決めた掟だ。

よく、お客から交際を申し込まれた。
年上のお客からは「イイ人を紹介する」と、9割以上に言い寄られる。

同じツアーの男性客2人から、同時に積極的アプローチを受けこともある。

そのとき、ひがちゃんが考えたのは、どちらか1人のアプローチを受け入れたなら、もう1人のお客は確実に不愉快になる、ということだった。

みんなと仲良くしたい。
全員と、ず~っと、愉快でありたい。
全員笑顔がイイ。

自分は、理性よりも感情を優先するタイプだという自覚がある。
好きになったら、その気持ちを制御できないかもしれない。

だから、掟にしてしまうのが1番だ。

決めてしまえば、それを守るだけ。
約束を守ることには自信がある。


そうやって、数日かけて悩み抜き、ひがちゃんは掟をつくったのだった。

誰にも相談などしていない。
誰にも話していない。
親友のメーグーにも話していない。

ひがちゃんが、自分の心の中で決めたこと。
ひとりで、ちゃんと考えて、ちゃんと決めたこと。

そういう【掟】だ。
その掟を、これまでず~っと守ってきた。

掟があることを知っているのも、自分だけ。
自分だけしか知らないのだから、掟を破るのは簡単かもしれない。

そして逆に、超~難しい。
ズルい自分が出そうになる。それを許すことになる。


「なんで…」

自分にしか聞こえない、まるで中森明菜の語尾のような小さなボリュームで、また、同じ言葉をつぶやいていた。


◆バリ島旅行


バリ島旅行、初日


さっきから祖父江の頬の筋肉は、ず~っと緩みっぱなしだ。

「僕はやはり、運がイイ」

小声となって漏れてしまう。


経由地のジャカルタ空港までは、まだ1時間と少しかかる。
搭乗前に、ひがちゃんの連絡先を知ることができた。個人ではなく、会社の携帯電話なのだろうが、電話番号とメールアドレスを、ツアーメンバー全員に教えてくれたのだ。

その直後の宣言には驚いた。

「このツアーが終わるまでは、私のことを『隊長』と呼んでください」
「隊長の命令は”絶対”ですので、逆らうことは許されませ~ん!」
「よろしいですね~」

この宣言に、全員が一瞬固まった。
祖父江もキョトンとしてしまった。

若いカップルが、

「隊長ですね。了解しました」
「逆らいませ~ん! キャハッ!」

と反応して、それでやっと、場が和なごんだのだった。

2人ペア5組と、祖父江を合わせての11人。
隊長を加えて、12人の一行いっこうだ。

メンバーの中に若者は、もうすぐ結婚を控えている先のカップル1組だけで、残り4組のペアは、みな50代以上だった。


祖父江の趣味は、読書と映画鑑賞と一人旅。

今回も当初は、自分でホテルや航空券を取ろうと思ったが、調べてみると、ツアーの方がかなり割安だと分かった。
そこでツアーの中から、なるべく終日フリーの多いプランを選び、今に至っている。

この2年間、ず~っと想い続けてきた、あの女性ひとと再会できた。

夢を見ているのではないかと、祖父江はときどき思う。
そして、夢ではないと確かめると、頬の筋肉が緩むのだ。

ツアー客の女性が1人、なにやら隊長に話しかけているのが見えた。
隊長は、いつ見ても常に笑顔。
表情豊に、何か、軽く驚いているみたいだ。

遠くから見ている、それだけで充分に祖父江の気持ちは明るくなった。

背の低い女性客が、収納棚から何かを取りたいらしい。
このツアーのお客さんではないのだが、隊長はごく自然に立ち上がり手伝った。

(ああ、あの自然なふるまい)
(あのときも同じだった)

祖父江は自覚していないが、気持ち悪いほどニヤニヤしていて、通りかかった客室乗務員が驚いていた。


* * *


「隊長~、島田って、知ってます~?」

ツアー客の1人、菅澤すがさわさんの奥さんが、機内でひがちゃんに話しかけた。


「島田は、私の兄なんです~」

「ええ~? 島田さんって、あの島田さん? お兄さんって、じゃあ、妹さんですか~?」


「そうなんです~! 兄から、ときどき隊長のことは聞いていて~」
「出発前の、あの『隊長と呼んでください』っていうひと言で、もしかしてって思ったんですよ~」

「そういえば、目元が少し島田さんに似てますね~」


「あっ、よく言われます~」
「ウワサで聞いていた隊長と旅行できることが、もう~、嬉しくって~」

「ありがとうございます!」
「でも~、先輩の住谷からは『絶対に余計なことはするな』って言われているんですよ~」
「あ、そうだ。菅澤さんに聞いてもイイですか?」


「もちろんです隊長~、何でしょうか?」

「やはり皆さん、何度もバリ島に来ていて勝手も知っているワケですし、それぞれのプランがあるでしょうし…」
「私が考える企画って、必要ないですかね~?」


「企画ですか~」
「この、バリ島旅行中の、企画ですよね~?」

「そうです、そうです」


「自由参加なら、呼びかけても、ぜんぜん構わないでしょう~」
「もし、内容や日時が合わないなら、参加しないだけなんですから~」

「シンケン~? 嬉しい~~~!」
「何か考えてみますね~! もちろん自由参加にしますので~!」


「ええ~、私も主人も興味と都合が合えば、そのときは参加しますから~」

「ありがとうございます~! 相談して良かったです~~~!」


ひがちゃんは、やっと脳が回転し始めた。
いくつかのアイディアがすぐに浮かんで、その作戦を、例のノートにどんどん書き込んだ。


* * *


飛行機は無事、ほぼ予定通りの時刻にデンパサール空港に到着した。

現地の案内人、ナルマールさんが到着ゲートで迎えてくれている。
もう、外は真っ暗だった。

ナルマールさんが、バスでホテルに向かうと説明した。
日本語は、ほぼ完ぺき。

ひがちゃんは、同じ内容を繰り返しアナウンスする。

観光バスに移動するタイミングで、数人のバリ人が、ツアー客のスーツケースに近づいた。
スリや泥棒ではなく、ポーターを勝手に買って出るという、いわば押し売り的なサービス行為だ。

ひがちゃんがメンバーを見渡すと、祖父江は、スーツケースをバリの若者に任せていた。

その様子を見て(なんか、祖父江さんらしいなあ)と、ひがちゃんは思う。

他のメンバーは、デンパサール空港でのこの慣習を知っていて、各々おのおの自分のスーツケースを引いている。

バスに着き、青年に祖父江が「ありがとう」と言うと、その青年は「セン」と言って、手のひらを出した。

ここで祖父江は、初めて、有料サービスだったのだと気づいたようだ。
バスの中で、
「千円も上げたの?」
「もったいない~」
「ルピア、持ってなかったの~?」

といった会話が聞こえる。

「現地商店街の両替所が、1番レートが良いって『地球の歩き方』に書いてあったんですよ~」
という、祖父江の声が聞こえた。

誰かが、「そうやって騙される日本人がいるから、彼らは日本人にまとわりつくんだ」と、ややキツイ口調で言った。

一瞬、バスの中の空気が固まる。

「確かに!」
「その通りですよね。ありがとうございます」
「勉強になるな~」
「助かります~」

祖父江が明るい声で答えた。
それで、バスの中の空気が、また明るくなった。

(あっ!)

ひがちゃんは、心の中で声を上げた。

(私、今、得意気になっている……)

ひがちゃんは、自分の気持ちに気づいて、顔が熱くなった。
きっと、頬が真っ赤になっている。

冷静にならなければと思い、ひがちゃんは、通路越しのナルマールさんに、小さな声で話しかけた。

「ああいう、勝手なポーターサービスって、ナルマールさんは注意しないのですか?」

「・・・」
「彼らには・・・」
「・・・生活が、あります」

ナルマールさんは、言葉を噛みしめながら語る。
それは、最初の案内で気づいていた。

ひと言ひと言、かみしめるように、朴訥ぼくとつな話し方をする人なのだ。

今の表情には、ほんの少し苦痛も混じっていた。


ひがちゃんは、ナルマールさんの気持ちが分かった気がする。
観光客側にも立たない。現地人側にも立たない。

中立を貫く。

必要なことは言う。でも、余計なことは言わない。
そのような、ナルマールさんの気持ちが、伝わってきたのだった。


* * *


ホテルのロビーで、ひがちゃんは、ツアー全体の説明をした。

団体行動は、明日、1日だけ。
明日の島内観光は、主に、寺院を巡る。
明日の集合時間、解散時間。

「集合場所は、ココで~す」

そのとき、照明が全て消えた。

「ふえいっ!」という誰かの声。

「停電です」というナルマールさんの、落ち着いた声。

「ホテルは自家発電設備がありますから、まもなく明るくなります」
「その場で、動かないで下さい」

さっきまで明るかったせいで、今は、鼻をつままれても分からないほどに、真っ暗だった。

「動かないでくださ~い」

と、ひがちゃんが言い終わったタイミングで、明かりがついた。


若いカップルが笑っていた。

とても楽しそうだ。

「祖父江さん、今『ふえいっ!』って言ったでしょ~」

と彼氏が、爆笑している彼女の代弁をした。

全員が笑った。

「僕、暗いの苦手なんです」と祖父江が言う。

「でも~、さっきの『ふえいっ!』は~、最高だったわ~」

と、誰かが言って、また、全員が笑った。


祖父江は、みんなからイジられまくっている。
みんなの、愛のあるイジリだった。

ナルマールさんも笑っていた。

ひがちゃんは、

(また私、得意な気持ちになっている)

と、今度はちゃんと冷静に、自分の気持ちを自覚していた。


バリ島旅行、2日目


早朝のビーチ。

散歩をしていたら、「隊長~!」と声をかけられた。
菅澤さんご夫婦だった。

ビーチのず~っと向こうに、祖父江らしき姿が見えていたのだが……。

「隊長も散歩ですか?」

「ええ。ビーチは気持ちイイですよね~」


「あ、そうか。隊長、沖縄出身だから、だから海、スキなんでしょう~!」

「大正解で~す!」


「夕方のビーチ散歩も、最高ですよ~」
「バリ島は、世界1の夕日が見れますからね~」

「シンケン~? 世界1~? じゃあ、夕方も散歩しなくっちゃ~」


沖縄にいたときは、ビーチをただ歩くなんてしなかった。
海は、あたりまえに海だったし、その美しさもまた、あたり前だった。

今は、この美しさに、ときには涙が出るほどの感動を覚える。

ひがちゃんも菅澤さんご夫婦も、散歩の終盤だったので、自然にホテルへ向かって歩いた。

(明日の朝は、もう少しだけ早い時間に、散歩してみようかな…)

ひがちゃんは、そう思った。


* * *


団体での観光は、寺院の見学がメイン。

バスで移動し、駐車場にバスを停めて、そこからは歩く。
駐車場から寺院までの、そのわずかなチャンスを狙って、少年・少女たちが声をかける。小学生の低学年くらいにしか見えない。

「コーラ、あるよ~」

「エハガキ、キレイよ~」

みんな日本語を、ちゃんと理解して使っている。

「いくら?」と聞くと、「センエン」と言うのだ。

祖父江が、「高い」と思わず言ってしまうと、すかさず半額のルピアが提示された。
それを無視していると、さらに半額を提示。

交渉から、わずか30秒後には、当初の4分の1になるのだ。

祖父江は、そんなやり取りが楽しかった。


最初は、よくそんな高額をふっかけられるものだと思ったが、どうやらそうではなさそうに感じた。

試しにコーラを、彼らの最初の言い値で買ってみたが、彼らは驚かなかった。
はしゃぎ回ったりするかと思ったが、そんなことはなかったのだ。

逆に、徹底的に値切ってもみた。

少年少女からは、「ちぇ」とか、「そんなに値切るなよ」というような言葉は出ない。
そのような雰囲気さえ、一切出ない。

納得できない金額なら、ただ、売らないだけ。そういう雰囲気を感じた。

(高額で売れたら『ラッキー』で)
(相場で売れても『ラッキー』)
(少し安くても、売れたなら『ラッキー』で)
(嬉しくない金額の場合は、ただ、売らないだけ)
(そんな感じかな)
(全部ラッキーになる、そんな、超~ポジティブ思考じゃないか)

祖父江の、バリ人に対する印象が変わりつつあった。

何度目かの、寺院の見学の後だった。
バスへ帰る道すがら、祖父江は、少年から絵葉書を買った。

ちゃんと交渉して、おそらく相場だろうという金額で買った。
それでも、売り子の少年は、とても嬉しそうだ。

握りしめて曲がった手垢の付いた絵葉書ではなく、ちゃんとキレイな絵葉書をくれた。
握りしめているのは見本だという自覚と、それを渡すつもりなどない正直さが、ごく普通にあった。

絵葉書は、1セット5枚だった。

日本に帰ったなら、この絵葉書で、隊長にお礼でも書こうか……。
そんなアイディアが、脳内に浮かんだ。

ナルマールさんが、祖父江に、

「彼らは、小学校へ、行けません」
「彼らの親は、お金が、ないのです」
「バリでは、普通です」
「バリの子ども、だいたい80パーセントは、小学校に、行っていません」

と、淡々と説明してくれた。


たまたま、前を歩いている隊長も、少女から絵葉書を買っている。
隊長は、キレイな絵葉書を拒否して、少女が握りしめて曲がった絵葉書を、指さした。

「こっちをちょうだい」と、言っている。

少女は不思議そうな顔をしたが、それに応じて、そして笑顔になった。

(そうか)
(思い出の品として、自分の部屋のどこかに置くのなら)
(曲がった絵葉書の方が、思い出として価値が上かもしれない)
(10年後、20年後、30年後と考えると、そっちの方が断然にイイ)

祖父江は、そう思った。
そして、危うく泣きそうになった。

その、ひがちゃんの小さな優しさに、しみじみと感動してしまったのだ。


バリ島旅行、3日目


早朝。
昨日より、10分早く部屋を出た。

ロビーのガムラン音楽は、まだ始まっていなかった。

ビーチに出て歩き始める。

「隊長~」

祖父江の声が背中に飛んできた。

振り返り、立ち止まり、待った。

世間話をしながら歩いた。
しばらくすると祖父江が、意を決したように語った。

「僕は約2年、ほぼ毎朝、朝マックを食べたんです」と。

ひがちゃんも何度か、あのマクドナルドで食事や休憩をした。
祖父江と同じように、再会を期待してだった。

昼食が多かったが、朝も何度か行ったことがある。
しかし、それらを、ひがちゃんは言葉にはしなかった。

(ほぼ毎日?)
(じゃあ、私が朝行った時は、スレ違いだったのかな?)

祖父江から感じる、自分への好意は、自分だけの思い込みや勘違いではないことがハッキリした。

ひがちゃんは嬉しかった。

そして、少し切なくなった。

2人に、アタッシュケースを首から下げた、変なオジサンが近づいてくる。

「ハネムーン?」と問われた。

祖父江が、慌てて手を振って否定する。その動作が面白い。

オジサンはアタッシュケースを開いた。
アタッシュケースにはストッパーがあり、90度とチョット開いて止まった。

オジサンの胸の前に、腕時計のショーケースが現れた。
昨日、菅澤さん夫婦が、相手にもしなかった時計売りのオジサンだと、ひがちゃんは気づいた。


「ロレックス、安いよ~」
とオジサン。

「ええ? いくら~?」と祖父江。


「1マンエンね~」

「ええ? ロレックスが1万円~? 安すぎる~。これ、本物?」


「ニセモノネ~」

「ハハハ~!」

祖父江は、楽しそうに笑った。

「隊長~、聞きました? 『ニセモノネ~』って、即答ですよ!」
「超~~~正直!」
「バリの人って、人を騙だまそうなんて気持ち、きっとないんですね!」


「安いよ~」
と、オジサンがまた言う。

「いや、そりゃあそうでしょうよ、だってコレ、本物?」


「ニセモノネ~」
「ンー、今日~、ゴセンエン、イイヨ~」

楽しそうに、祖父江は笑う。
祖父江は買おうとしたが、財布を持ってきていないことに気づいたようだ。

「ゴメンね~。今日は買えないや~」


ニセモノのロレックス売りのオジサンは残念そうだ。

祖父江が人と接しているのを見ていると、こちらまで幸せな気持ちになる。
祖父江の素晴らしい魅力の1つだ、と、ひがちゃんは思う。

2人は、歩き始めた。

オジサンが何か言った。
祖父江が振り返る。

「アシアトネ~~~」

オジサンは、ニヤッと笑った。


「え? 隊長、…オジサン、今、…何って言ったんですか?」

「最初は『なんか落としたよ~』で…」
「で、振り返ったら、『足あとね~』って言っていましたよ~」


「ええ~~~!?」
「ああ、足あと? 足あとが落ちてるよ~って、そういうことか!」
「日本での『アホが見る~』的な、オチョクリかぁ~」
「スゲェ~! 最高だぁ~!」
「足あとだから、ウソではないしなぁ~」
「バリ人、メッチャ明るいなぁ~!」

祖父江は、満面の笑みだ。

本当に楽しそうなのだ。


ホテルに戻ると、ガムラン音楽が向かい入れてくれた。
ひがちゃんは、フロントスタッフに呼び止められ、それで自然に2人は解散した。

「あなたの忘れ物が届けられています」

とフロントスタッフは言って、ショルダーバッグをカウンターの上に置いた。

間違いなく、ひがちゃんのショルダーバッグだった。
仕事中に、忘れ物をしたことは、もう何年もない。10年以上ないはずだ。

ひがちゃんは、深刻な表情となった。

フロントスタッフは戸惑った。

忘れ物が届けられたのだ。
喜んでもらえると、そう思い込んでいたからだった。

ひがちゃんは、慌てて笑顔を作り、「タレマカシー」と言った。

そして日本語で、丁寧にお礼を述べて、大げさに喜んだ。


ショルダーバッグに、貴重品は入れていなかった。
しかし、そんなことは言い訳にならない。

今の自分は、ツアーに欠かせない物が入っているバッグを、うっかり忘れることもあり得る、という証拠なのだ。

なぜなら、【忘れた】のだから。

今回、このショルダーバッグは、別なバスの運転手が気づいて、このホテルに来る用事などなかったのだが、わざわざ届けに来てくれたらしい。

その方の、貴重な時間を奪ってしまったと、ひがちゃんは心から反省した。

仕事中に、私心がありすぎる。
それが原因かもしれない。

公私混同をしかねない。
いや。すでにしている?

今朝の散歩は、公私混同ではないと、果たしてそう言えるだろうか。

(私には、私が決めた【掟】がある…)
(こんなことにならないようにと、そう考えての【掟】…)

ひがちゃんは、左胸の鎖骨の下あたりに、「キュッ」という痛みを感じた。


* * *


この日は『何もしない日』と、祖父江は決めていた。
これこそが、一人旅の醍醐味だ。

何かをすることは、いつでもできるし、いつも行なっている。

だから『【何もしない】をやる』と決める。

旅行中の半分は、この『何もしない日』にする。それが祖父江の旅行の基本だった。
かといって、祖父江は悟りを開いた僧侶ではない。
本当に何もしないのは、極めて難しい。

だから祖父江は、『何もしない日』には読書をする。
1日中、読書をするのだ。

食事以外は、読書だけ。
途中、眠くなったらうたた寝をする。

目が覚めたら読書をする。
ボーッとしてもいいし、考え事をしてもいい。

メモなどは取らない。
勉強の読書ではなく、楽しむ読書なのだ。

純粋な娯楽だ。
読書を楽しみ、思考を楽しみ、ボーッとすることを楽しむ。

うたた寝も楽しむ。
これがしたいがために、一人旅をしている感がある。

目的が逆転しつつあるのだ。


この、1日中読書をするのに最適な場所は、リゾートホテルのプールサイドだった。
少し高級なリゾートホテルが良い。

プールサイドにはサマーベッドがある。
日差しを遮るパラソルも必須のアイテムで、高級リゾートホテルには必ずあった。

そして、高級リゾートホテルには、子どもが少ない。
読書にも、うたた寝にも最適なのだ。

ビーチと違って、砂も飛んでこない。
サイドテーブルがあるのも、素晴らしく便利だった。飲食も可能なのだ。

ビーチが近いホテルだと、尚良い。
みんなビーチに行くので、プールサイドがガラガラになる。

そしてホテル内だから、現金が不要。
部屋の鍵のナンバーを見せれば、全てチェックアウト時の精算となる。

飲み物も、食事も、スタッフが定期的に聞きに来てくれる。
至れり尽くせりの、貴族にでもなった気分が味わえる。


一応、海水パンツで来ているが、プールに入ることはない。だからタオルは不要なのだが、念のため1枚だけ持って行く。

チップ用のお札を数枚、ポケットに忍ばせる。

日焼け止めは、部屋でバッチリ塗っておく。
赤道付近の、太陽の光を舐めてはいけないのだ。

サングラスをかけて、文庫本数冊と、念のためのタオルをトートバッグに入れたなら、準備完了だ。


屋上のプールに着いたなら、1番良さそうな位置を考える。
料理やドリンクを作るカフェから、近い所がイイ。

その位置のサマーベッドを確保し、サイドテーブルやパラソルの位置を整える。パラソルは、太陽の動きに合わせて調整が必要になるのだが、赤道近くのリゾート地では、ほんの少しの微調整で済む。

時刻は10時を少し過ぎていた。
おそらく、夕方の4時か5時まで、ここにいるだろう。

祖父江は、この準備だけで、もうすでに幸せな気分になっていた。

持ってきた数冊の本の中から、どの本を読もうかと、迷うことすら幸せだ。
西村京太郎のミステリーを手にし、考え直して村上春樹を読むことにした。

祖父江は『ノルウェーの森』の世界に没入していった。
異次元空間のような不思議な世界観を感じながら、やがてその世界観に馴染んでいく。

現実がどんどん、薄れて、やがて感じなくなる。


「お食事、いかがですか?」

と、ウエイトレスに声をかけられた。

コンマ数秒、ここがどこなのか分からなかった。
それほどまでに読書に夢中になっていた。

腕時計を見ると、11時半。
少し早いかなとも思ったが、まあイイかと、ナシゴレンを頼んだ。

やがて、ナシゴレンとビールがサイドテーブルに置かれ、そのナシゴレンを食べ始めたタイミングで、プールサイドに隊長を見つけた。

穏やかな幸せが、激しい幸せに変わる。

隊長が近づき、

「こんにちは」
「なにされているんですか?」
と聞いた。

「こんにちは」
「何もしない、をしているんです」
と答えた。


隊長は、ビキニの水着姿。
上は、薄いパーカーを羽織っているのだが、それでも祖父江は目のやり場に困ってしまった。

「何もしない …って、何ですか?」と、隊長が聞いてくる。

説明が長くなると思い、「読書とうたた寝を楽しんでいます」と説明し直した。

「隊長は、ココで泳ぐのですか?」と聞くと、

「泳ぎませんよ~」
「メンバーの皆さんをお誘いする、企画を考えるのです」

そう言って、ノートとペンを見せてヒラヒラさせた。

「自由参加ですけどね」
「ビーチがにぎやか過ぎたので、こっちに移動したんです」

「こっちはきっと、ず~っとガラガラですよ」
「となり、空いていますよ」


「……ほかのメンバーに見られたら、誤解されそうですから」

「あ、そうか。そう、ですよね」


「なので、アッチに行きますね」

「あ、はい」


「それは、なんですか?」

「ナシゴレンです」


「美味しそうですね。私も、食事しようかな」
「ではでは、失礼しました~。ごゆっくり~」

「あ、はい」


隊長は、そんな遠くまで?という、祖父江の位置から最も遠い、屋上の対角線上の位置まで移動した。

プールを斜めにはさんで、さらにその奥の奥。どうやらそのサマーベッドに座るみたいだった。


祖父江は、読書を再開した。
少し、うたた寝もした。

しばらくしてウエイトレスが「飲み物はいかがですか?」と聞きに来た。
祖父江はビールを注文した。

ついでに、パラソルを微調整する。

遠くで、隊長が手を振っているのが見えた。
祖父江も手を振り返した。


隊長が会釈して、いなくなった。

「隊長、脚、長いなぁ…」

頬が、カーッと熱くなった。

「冷静になろう」と、あえて声に出して言った。

読みかけの『ノルウェーの森』を閉じ、西村京太郎のミステリーを手にしてみたが、祖父江はしばらく本を読まなかった。

脳内の妄想を楽しみ、いつしか、うたた寝していた。
寝顔はニタニタと、かなり気色悪く、ウエイトレスが声をかけるのをやめるほどだった。


* * *


夜、iPhoneにメールが届いた。

【隊ゆ会】のコンサルを無料で行なってくれている、佐々木からのメールだった。件名に『メルマガの件』とある。

ひがちゃんは、佐々木の活動をヒントに、【隊ゆ会】のメンバーにメールマガジンの発行を行なうと決めていた。

佐々木を思い出し、田辺のことを思い出した。

(もし、あと3ヶ月の命なら…)
(私は、どうする?)
(私の望みは?)
(本当の望みは?)
(私も、女だったみたい……)
(でも、「掟を守る」、これも私の望み)
(田辺さんなら、なんって言うだろうか?)

「田辺さんなら、『ひがちゃんの思うとおりに』って、言うよね~」
声に出ていた。


「2つの望みが、真逆なら、どうしたらイイの?」

中森明菜の語尾よりも、もっと小さな語尾になっていた。


バリ島旅行、4日目


祖父江は、今日は丸1日、島内観光をする。
昨夜、現地案内人のナルマールに、ドライバー兼ガイドを依頼したが、
「私は、できません」と断られた。

代わりにと、20代前半くらいの青年を紹介するという。

「彼は、明後日のマリンスポーツの、ビーチまでの送迎も担当します」
「運転の腕はナンバーワンです。安全運転のナンバーワンです」
「日本語も、上手です」

ナルマールは真顔で、その青年のセールスポイントを、いつものように、噛んで含めるように丁寧に説明してくれた。


朝、待ち合わせ時間にロビーへ行くと、ドライバー兼ガイドの青年が迎え入れてくれた。
ホテルのドアマンが、少し困った顔をしている。

青年は、「バリノ、カスガデス」と名乗った。
よくよく聞くと、日本のお笑い芸人に似ていると言われるので、そう名乗っているのだということだった。

「バリノ、あ、バリのカスガ。春日、ああ、ホンの少し似ているね」

「ホントウですか? ウレシイです」
「トゥース!」


「ああ、おお~」

「ボク、日本に、カノジョいます」


「え?」

「日本人のカノジョです」
「ワラビって、知っていますか? 東京にチカイ、言ってイマシタ」


「あ、埼玉県の蕨市のことかな」
「それなら知っているよ」

「カノジョは、1年に1回、バリにキマス。多いと、2回キマス」
「それしかアエナイから、ボクは、サビシイです」


訊ねてもいないのに、カスガくんは、どんどん身の上話をしてくる。人懐っこさが物凄い。
祖父江は、彼の本名を聞きそびれたが、(カスガくんと呼ぼう)と決めた。なにせ本人が「バリの春日」と名乗ったのだから、それで問題はないだろう。

観光地も、食事も休憩も、コースも、何もかもをカスガくんに任せた。
夕方の4時半までに、ホテルに戻れればいい。

条件はそれだけ。

カスガくんは、ウブド方面へ行くという。
おしゃべりなので、祖父江が退屈することはなかった。

意外にも雑学が豊富で、じゃべりも上手い。バリ島の歴史的なことや宗教的な情報を、折に触れて語ってくれて、その内容はスゴク興味深かった。


車は、高地へ向かっている。
道路はキレイに舗装されていて、ゆるやかなカーブが続く。

大きな木の実が見えた。

「カスガくん、あの木はなに? ほら、あの大きな木の実の生なっている木」と、祖父江は聞いた。

「ああ~。アレは~、ウ~ン、ナンカの木です」とカスガくんが答えた。


レストランでの昼食の締めは、フルーツバイキングだった。
見たことのないフルーツがある。

「これは何?」

「コレは、ナンカのミです」


「なんかの実、名前の分からないフルーツ?」
「ん?」
「もしかして、ナンカ、っていう名前?」

「ハイ、コレは、ナンカというフルーツです」


「ハハハ~!」
「それでも、分からないのか、忘れたのかみたいに聞こえる~!」
「オモシロ~い!」

「ナンカは、オモシロイ? オイシイですよ~」


この勘違いを、語って教えたい。そして、一緒に笑いたい。
祖父江はそう思った。

頭に浮かんでいるのは、隊長のひがちゃんだった。

ビーチの散歩中に会えたなら、さっそく話そうと、そう思った。


* * *


夕方、18時にあと10分を切った。
今日は、ひがちゃんが考えた企画の実行日。

『ビーチで世界一美しい夕陽を見てから、久しぶりに日本食を食べよう』という企画。
18時になったなら、ビーチへの散歩を開始する。

事前に参加表明のあった隊員は、2組の4名だけだった。
もう、4人ともそろっているが、時間ギリギリまで参加を認めるつもりで待っていた。

しかし、飛び入り参加者はいないようだ。


「さあ、18時です。まずは、世界一の夕日を見に行きましょう!」

ひがちゃんは先頭を歩き、ビーチへ向かう。
あと10分と少しで太陽は沈む。

美しいサンセットビーチ。
今が正に、世界一美しいサンセットだ。

50代の須藤夫妻と、同じく50代の園田夫妻が、それぞれ仲睦まじく歩く。

背が高くスレンダーな須藤夫人の、ワンピースのシルエットが美しい。
園田夫妻も仲睦まじく、肩を寄せ合い夕日に見入っている。黒い影なのに、影がラブラブだ。

みんなが、美しい景色の一部になった。


沖縄の夕日より、少し大きく感じる。

何も語らず、何も考えず、ただ、この景色を感じる。
ひがちゃんは、iPhoneで写真を撮ることをやめた。

眼に、心に焼き付けようと、思い直したのだ。


誰もが、余計なことを言わなくなった。

よく見ると、思っている以上に太陽の移動は速い。
もし、少し理屈っぽい祖父江が隣りにいたならば、

「あの太陽のスピードは、実は、地球の自転の速さです」

なんて、そう言ったかもしれない。


太陽が見えなくなっても、オレンジの光の余韻は、空や海に残っていた。

それでも、少し、周りが暗くなった気がする。


「太陽って、こんなに早い時間に沈んでいたのですね」

須藤夫妻が近づいてきて言った。

園田夫妻が、「ホテルに戻ってタクシーを使うのを、やめませんか?」と提案する。
「このままビーチを歩いて、向こうから街に出て歩けば、たぶん15分くらいでレストランに着きますよ」

それならば予約時間に、充分に間に合うので、「歩こう」となった。


ビーチでは、定期的に声がかかる。

「ミツアミ~、どう~?」
「オトシタヨ~」
「アシアトネ~」

ひがちゃんは、つい、笑顔になってしまう。
あたたかい気持ちになる。


やがて、ビーチから街へ出た。
舗装された道路の歩道を歩く。

「あら~、園田さんに須藤さん。あ、隊長も~」

「あら~、菅澤さん~」


「サンセットを見て、これから夕食なんですよ。蕎麦やラーメンやカレーもある、日本料理のお店です」

「ええ~、そうなんですか~。それって、私たちも合流できませんか?」


「隊長、合流ってできますか?」

「ええ、問題ないですよ~。大きいお店だし、少々人数が増えても大丈夫です~」


「大丈夫ですってよ、菅澤さん」

「あなたイイでしょ? 祖父江さんもそこに行きましょう」


「あら、祖父江さんも一緒だったの?」

「そうなの~。今夜は街で食事するってロビーで聞いたから、じゃあ一緒に食事しましょうって、主人が誘ったの~」
「祖父江くんが、街まで歩くというんでね。それでず~っと歩いてきたんだけど~、ま~、祖父江くんの歩くのが、遅いこと遅いこと、すんごい遅い」


「す、すみません。つい…」

「ハハハ~、まあ、遅いのはイイんだけどねぇ~」
「祖父江さん、つい、物売りの人と会話するのよねぇ~」
「それで遅くなるのよ~」
「流せばいいのに、イチイチ『本物?』とか聞くから~」


「わ~、そりゃあ遅くなっちゃうわ~」

「相変わらずだね~。いっぱい買っちゃったんじゃない?」


「あ、は、はい」

「ハハハハ~!」
「なにそれ~! 大量に買っているじゃない~!」


* * *


一行は、8人でレストランに入った。

日本人をターゲットとしたお店で、しかし、和食のお店ではない。
メニューを見ると、うどんや蕎麦よりも、らーめん、カレーライス、オムライス、ナポリタンスパゲティーなどが目立っている。
かつ丼や中華丼などもある。

高級店でないことは一目瞭然。それでもみな、ナシゴレンにあきあきしていたからか、少しテンションが上がっている。

味も、中の中だった。もしくは中の下。
らーめんは、うどんの人が食べ終わってから、さらに5分後に届けられた。つまり、サービスも洗練などされていない。

にもかかわらず、一行の座ったテーブル2席は、笑い声が絶えなかった。

ウエイトレスの女の子が話し好きだったのだ。日本語学校に通っていると言っていて、日本人8人に対する興味津々を隠そうとしない。
日本の言葉や文化など、とにかく日本のことを知ろうとする。


園田夫人が言った。

「バリ人の方々の、日本語の上手なことには、ホント、関心するわ~」

菅澤夫人が続く。

「私が、もっとバリの言葉が分かったなら、きっとこの旅行がより楽しくなるのよね~」

ウエイトレスの女の子が、「それは、ドウシテですか?」と聞いた。


「だって、より詳しい会話や、より正確なニュアンスも含めた、そんな意思の交換ができるでしょ~」

「ワカリマシタ。ならば、先生を。ちょっとマッテテください」

そう言ってウエイトレスは、ホールから姿を消した。


「どういうことだろう?」

「日本語学校の先生でも呼びに行ったとか?」

「ま、まさか~」


そうこう話していると、エプロンを外した彼女がやってきた。

2つのテーブルの真ん中に立ち、姿勢を正す。
一行を見回した。

「ドウゾ…」と言う。


沈黙となった。
一行は、意味をつかめない。


「ドウゾ。バリの言葉、なんでもオシエマス」


彼女は、自分がバリ語の先生をしてあげます、と言いたいようだ。

そう感じとって、みんなが質問をし出す。

「日本人を『カワイイネ~』って褒めるけど、バリ語なら何って言うの?」

「チャン ティック、デス」


「じゃあ、キレイは? 同じかな?」

「人のことと、たとえばオンナの人と、それと花の『キレイ』とは、バリ語はチガイマス。ベツベツのことばデス~」
「シリタイのは、オンナの人の『キレイ』ですか?」


こうして、無料のバリ語レクチャーが15分くらい開催されたのだった。


* * *


帰りは、ホテルまでタクシーに乗った。

レストランのすぐ近くに、小さなロータリーがあって、そこはタクシーのたまり場だった。

運転手は、観光客にドンドン声をかけている。
順番がまだまだ先の運転手たちは、車から降りてイスに座って、本格的な暇つぶしをしている。

そのタクシー運転手の数人に、男性陣が交渉をおこなって、話が成立したのだった。

4台のタクシーが準備され、一列に並んだ。
隊長とゆかいな仲間たち隊員は、2人ずつ、後部座席に乗り込んでホテルに向かった。

自然に、最後は、祖父江とひがちゃんが残った。

運転手が、休憩中の仲間たちに冷やかされる。
「日本人だから、さては高値の、イイ仕事なんだろ~」という冷やかしに、ひがちゃんは感じた。

ひがちゃんたちのタクシーの運転手は、彼の顔の前で大きく手を振った。

「ぜんぜ~ん! ちゃんと値切られたよ~」と、そう言っているとわかる。
現地の言葉だから、まったく聞き取れないのだが、動きや表情からして、そうとしか考えられなかった。


車を10メートル走らせると、運転手は言った。

「ハネムーン?」

祖父江が「ち、ちがいます」と言う。


ひがちゃんは、菅澤さんたちメンバーに、気を使われたなぁと思った。

祖父江が、
「さっきのウエイトレスさんも、この運転手さんも…」
「イイですよね」

と話し出した。

「みんな純粋です」
「ウエイトレスさんが、次のレベルの日本語学校費用の、その約1万円が払えず、1年間アルバイトをするって言っていたじゃないですか」

「ええ」


「僕は一瞬、1万円札、渡しそうになっちゃったんです」

「・・・」


「その僕の行為のせいで、彼女が”お金目当て”を覚えて・・・」
「同じ話を、日本人観光客に繰り返す・・・」
「そう変わってしまう可能性が、ホンの少し、あると思ったのです」
「日本人観光客のためというよりは・・・」
「それよりも、彼女の、純粋な心を変えたくない」
「咄嗟にそう思って」
「それで、お金をを引っ込めちゃった・・・」
「考えすぎだったのかなぁ」
「・・・」
「隊長は、どう思いますか?」

「う~ん。分からないですね~」
「でも・・・」
「でも、そう考える祖父江さんのことは、ステキだなって思います」


ホテルの正面玄関が見えた。
タクシーは、もう、ホテルについてしまう。

ひがちゃんは、「掟おきてなんてどうでもいい」と思っているもう1人の自分に、ハッキリと気づいた。


バリ島旅行、5日目


バリ島ツアーも、残り2日と半日。

半日と言っても、最終日は午前10時ごろホテルをチェックアウトして空港に向かうだけだ。
だから事実上は、今日と明日で終わる。


今日は、マリンスポーツ三昧のオプショナルツアーに申し込んであった。
丸1日、ただただマリンスポーツ。

スキューバダイビング、パラセイリング、バナナボート、水上バイク、シュノーケリング、サーフィン、ウェイクボードというスノーボードのような板を履いて、水上バイクに引っ張られるアクティビティもある。

祖父江がロビーに着くと、時間までまだ10分以上あるのに、カスガくんがすでに待っていた。

マリンスポーツのオプショナルツアー参加者は、結婚間近カップルの2名と祖父江だけの、たったの3名。


時刻ちょうどに、若者2人がロビーに現れた。
みんなで、カスガくんの車に乗り込む。祖父江は2人に気を使って、あえて助手席に座った。

結婚間近のカップルは、互いだけを見つめ合い、祖父江のこともカスガくんのことも目に入っていない。

カスガくんが運転しながらも、後ろの2人に話しかけた。

「フタリは、ハネムーン?」

「いや。結婚はまだだよ」と男性が言う。
「そのうちね~」と女性が続く。

女性は、彼氏の顔しか見ていない。


「ボク、日本にカノジョ、います」

「へ~」


「でもボク、バリにもカノジョいま~す」

「へ~、え? ええ~?」


「これは、日本のジョセイは、イヤ、ですか?」

「どうなの?」
「そんなの嫌だよ~! 嫌に決まってんじゃん~!」


「そう、そうナンデスカ~」

「ダメよ、浮気はダメ~!」


祖父江は、カスガくんが昨日言った、「サビシイ」という発言を思い出した。

カスガくんの本命は、日本人の彼女なのかもしれない。
しかし、会えない。
年間52週のうち、51週間会えない。

淋しくて、バリの女性と交際を始めた。
カスガくんは、日本の彼女を裏切っている自覚があり、それで苦しいのかもしれない。

祖父江が、そんなことを考えたとき、車はビーチへ到着した。


* * *


カスガくんの身内のような集団が、向かい入れてくれた。

ビーチは、すごく広い。
しかし、自分たち以外に人はいない。まるで、極上のプライベートビーチじゃないか。

スタッフは男性が5人くらいと、女性が7人くらい。
離れたところには、老人や子供もいるみたいだった。

建物は、小上がりのない、大きな”海の家”という感じだ。
小上がりの代わりに、サマーベッドやパラソルが大量にある。

おそらくは、スタッフや客が日差しから逃れられるようにと造られた、柱と屋根だけの建物だ。
壁は、海と逆側の1面にしかない。
長方形で、横にすごく長い。その4面中、3つの面には壁がないのだ。

メインの建物の横に、小屋がある。
更衣室だ。

その更衣室のドアは、パタパタ開閉する西部劇の扉で、もちろん鍵などはない。
壁の板も、すき間だらけで、中で着替えるのは男性の祖父江でも抵抗を感じた。女性は、かなり不安だろう。

案の定、カップルの女性がワーワーぼやくのが聞こえる。

更衣室内にあるロッカーは、日本の居酒屋の下駄箱の、縦に細長い形をしている。木製のロッカーだ。
鍵は渡され、その『鍵』という機能はあるものの、意味は全くない。
なぜなら、かなり年季が入っていて、そのロッカーは祖父江でも簡単に壊せそうなのだ。

鍵をかけたところで、ドアを引けば鍵の受けごと外れてしまうだろう。


「キチョウヒンはココね」
と、カスガくんに説明を受けた。
「ココ」とは、そのロッカーのこと。

「まず、スキューバダイビングね~。ウェットスーツにキガエテください」と言われた。
前もって伝えてあったサイズの、レンタルのウェットスーツが手渡される。


着替えを済ませた。
貴重品を入れたロッカーの鍵は、”海の家”の中央にある、銭湯の番台的なカウンターに持って行った。

鍵を、中年オジサンに渡す。
鍵は、カウンター横にあるL字フックに、ただぶら下げられただけだった。

カウンターの前からでも、手を伸ばせば、誰でも鍵をゲットできる。
そこに、鍵がぶら下げられているのは、ここのみんなが知っている。
カウンターには誰でも入れる。
ロッカーには現金などの貴重品が入っている。

おそらくは、世界最低水準のセキュリティーだろう。
若い2人のカップルは、かなり不安そうな、複雑な表情をしていた。

祖父江は、(そりゃあ、そうだよなぁ)と思う。
祖父江自身は、マネークリップに多少のルピアと千円札を数枚はさみ、それをポケットに入れてきた。
他は文庫本3冊しか持ってきていない。

もちろん、マネークリップや現金、そして文庫本もロッカーの中だ。

最悪、その全てを失ってもあきらめがつく。
祖父江は、そう思った。


* * *


バリ島のスタンダードなのか、それとも彼らだけなのか?

とにもかくにも、スキューバダイビングのレクチャーが、アバウトすぎる。
オプショナルツアーの説明書には、浅瀬でレクチャーとあったが、それを省略された。

カスガくんが、

「いつもはヤルけど、キョウハみんな、ワカイし~」
「ダイジョウブだから、アサセのレクチャーは、ヤメま~す」

と言い放った。

結果、スポットに向かう船上での、言葉だけのレクチャーのみ。
実践練習は、実践の最初に行なうという。

「だから、OKね~」と、そうカスガくんは軽い。

耳抜きを、丁寧に解説してくれた。
上がる、下がる(潜る)のサイン。
息の吸い方や吐き方。
酸素ボンベの特徴。
水中マスクの水抜きの方法。
ガラスが曇らない方法。
サンゴでケガしないように、膝を曲げるな。

などなど、けっこう大事なことを、10分語って終わりにされた。


ビビりな祖父江は、今は、スキューバダイビングをキャンセルしたくなっている。

熱帯魚とたわむれたい。
ウミガメが現れたら最高だ。
なんならマンタが見れるかも。
スキューバダイビングを体験せずには死ねない。

そう思ってオプショナルツアーに申し込んだ。
しかし、気が変わっていた。

考えてみたら、映画『ジョーズ』が好きすぎて、シリーズ全作品をそれぞれ何度も繰り返し観た。
似た系統の映画もたくさん観た。

結果、祖父江は、海中で発生するパニックをかなり鮮明にイメージできてしまう。

ウミガメを見たならサメが近くにいる場合が多いとか、パニックになると酸素ボンベが上手く吸えなくなるとか、今は不要な雑学が、どんどん思い出される。

妄想も止まらない。

サンゴで膝を切る。
血が出る。
サメが近づく。


若い2人のカップルは、一切、なんの心配もしていない。
そもそも、カスガくんの説明を、半分も聞いていない。イチャイチャしてばかりだ。


ダイビングポイントに船が着き、みんなで潜ることになった。
1つのペアに1人のインストラクター付くという。

祖父江には、カスガくんがマンツーマンで付いた。


何度トライしても、サメが襲ってくるイメージが消えず、祖父江は船に上がった。
カスガくんに、『上がる』のサインを何十回と出して、「モグロー」というカスガくんの説得を無視して、やっと上がったのだ。

若い2人は、それはそれは本当に楽しそうに、ボンベの酸素がなくなるまでの30分間、フルに潜って遊んでいた。

カスガくんは、その若者たちと潜った。
途中、何度も海面に顔を出しては、

「モグローよ~」
「イコーよ~」

と、祖父江を誘ったが、祖父江は頑なに、首を左右に振り続けた。


バナナボートでは祖父江もそれなりに楽しんだが、絶対に落ちないと決め、バーを渾身の力で握りしめた。

最後は、全員がふるい落とされる。
祖父江もアッサリとふるい落とされていた。

握力の限界に挑んだせいか、身体がこわばっていたせいなのか、原因は分からないが、祖父江は背中を痛めていた。


水上バイクも、絶対に落ちたくないので、超~安全運転を貫いた。
カスガくんに冷やかされても、祖父江は意に介さなかった。


海に落ちることが決まっているパラセイリングを、祖父江は辞退した。

いちいち辞退するのも面倒だと考え直して、シュノーケリングなども含め、このあとの全てのアクティビティを、

「僕は、全てやらない」

と、カスガくんに伝えた。


気が楽になった。

(あとは、ビーチで読書しよう)
(文庫本を持ってきて正解だった)

マリンスポーツを『堪能した』とは言えなくても、間違いなく体験した。
それで良しと、祖父江は自身を慰める。

若い2人は、祖父江のことなど眼中にない。
それは、かえってありがたかった。

ふと、(隊長と一緒だったなら?)と、祖父江は考えた。
それなら、怖いアクティビティも、怖いながらも楽しいような気がする。

しかし、今は1人だ。
サマーベッドのあるエリアに向かって歩く。

パラソルが見えているのに、なかなか近づかない。
このビーチは見た目以上に広いということが、歩くことで明確になった。


* * *


このコミュニティーは、のんびりしていた。

男性たちは、昼食後少しの時間だけ、ブラックジャックという賭け事で遊んでいた。ギラついた空気が一切ないので、おそらくは、もの凄く小さな金額しか賭けていないのだろう。

その賭け事を、奥さんたち女性陣が一切止めない。
むしろ一緒になって笑っている。これも、賭ける金額が可愛い証拠だろう。

女性たちは、のんびり、かつ、ず~っとオシャベリしている。
女性がおしゃべりを楽しむのは、どうやら、世界共通なのだな。
祖父江は、そう思った。


祖父江は、サマーベッドに横になり本を読む。
パラソルの位置も整えた。サイドテーブルには、注文したドリンクがある。

ちゃんと時間を計ったワケではないが、おおよそ15分に1度、女性陣の誰かしらが、

「マッサージ~?」

と、祖父江に声をかけ、勧誘した。


祖父江は笑顔で、クビを左右に軽く振る。

彼女たちは、それ以上しつこく勧誘しない。
でも、あきらめもしない。

思い出したように、「マッサージ~?」と声をかける。

何度断っても、彼女たちは笑顔だった。
しかめっ面にならない。
しかめっ面を見たことがない。
「チェッ」という表情を見たことがない。

祖父江は、そのバリ人の、陽気な心に感心した。
明るい。
屈託がない。

ステキな文化で、ステキな人間性だと思う。


カスガくんが、祖父江の近くにやって来た。
マリンスポーツへの勧誘ではなさそうだ。イスに座ってのんびりしている。
女性たちと、二言三言ふたことみこと話しして、やがて祖父江に身体を向けた。

そして、小声で言った。

「日本のジョセイは、コッチにカノジョがいると、オコルかな?」

また、例のことだ。
カスガくんの頭の中には、日本の彼女のことしかないようだ。


「ううん。怒るんじゃなく、悲しむと思う」

「カナシム…。カナシイ?」


「うん・・・」
「だから、本当のことは、日本の彼女には言わない方がイイ」

「ウン・・・」
「デモ、ボク、ウソつきになる」


「カスガくん、日本の彼女、スキでしょ?」

「ウン、モチロンね」


「スキな彼女と会えなくて淋しい」
「淋しくて淋しくて淋しい。だから、仕方ないよ」

「シカタナイ?」


「うん。仕方ないさ」

「シカタナイ…」


『仕方ない』の意味が通じたのか、祖父江には分からない。
でも、カスガくんの顔が、少しだけ明るくなった。


* * *


少しだけ、うたた寝したようだ。
周りが賑やかになり、祖父江は目を覚ました。

カスガくんが車から下りて、こちらへ歩いてくる。
その隣には、隊長が歩いている。


「祖父江さ~ん。マリンスポーツ、楽しんでいますか~?」

明るく大きな声だ。

やがて、祖父江のサマーベッド近くのデッキチェアに、隊長は座った。

「マリンスポーツ三昧ざんまい、いかがですか?」

「ええ、楽しんでいますよ」


「ゼンゼン、ウソですよ~!」
「このヒト、スキューバダイビング、『コワイ』『コワイ』で、ぜんぜんモグラナカッタ~」

バリの女性陣が、大爆笑した。
隊長のひがちゃんは、少し驚いている。

カスガくんは、ウケたからなのか、はたまたいつもなのか、とにかく調子に乗って語り出した。

『コワイ、コワイ』と、祖父江の恐怖の表情をマネて見せている。

「ボクが、『イコー』ってイッテモ・・・」
「このヒトは、『コワイ!』」

ここで、恐怖の顔を作り、首を左右に振る。

また、みんなが大笑いした。
隊長も笑っている。
祖父江も苦笑いするしかない。

祖父江は、恥ずかしさを誤魔化すために、

「マッサージ、頼むよ」

と女性陣に声をかけた。
千円札を1枚、リーダーっぽい女性に渡す。

「タレマカシー」と女性は、ごく普通に受け取る。
数人の女性が一斉に、「タレマカシー」と言った。

祖父江を、マッサージ用のベッドへと、手招きでうながす。

「あ、僕じゃなくて、隊長をお願いします」
「隊長、きっと疲れているから」

「え? わ、わたし~?」

ひがちゃんの可否など聞きもしないで、女性陣は6人がかりで、まるで拉致でもするかのように、ベッドにひがちゃんを移動させた。

そして、そのまま6人がかりでマッサージを始めたのだ。

右腕を担当する人は、ず~っと右腕。
左脚の人は、ず~っ左脚。
背中の人は背中。
肩の人は、ず~っと肩だ。

担当する場所が、固定される方針らしい。

「わ~、めっちゃキモチイイ~」

ひがちゃんは目を閉じて、本当に心地よさそうだった。


* * *


カスガくんの運転で、全員無事に、ホテルまで帰ってきた。
カスガくんとはロビーで解散した。

オプショナルツアーのお迎えを行なうだけが、まさかマッサージを堪能することになるとは。

思い出すと、ついニヤニヤしてしまう、そんなサプライズだった。


ロビーで、あらためてオプショナルツアーの感想を、参加者に伺った。

若い2人は、「楽しかった」の連呼。
ボキャブラリーは少ないが、その表情から、楽しかったことにウソはない。そうハッキリと分かるほどの、満面の笑みだ。

ひがちゃんは、自分まで楽しくなった。

カップルの女性が、「更衣室やロッカーは、もう少しチャントしてて欲しい」と言った。
彼氏も、「あそこに貴重品を置くの、ちょっと怖かったね」と付け足した。

ひがちゃんはメモを取った。
そして祖父江に聞いた。
「祖父江さんは、更衣室やロッカーは、どう思いましたか?」

「僕は・・・」
「僕は、バリだから安心でした」


「え? それは、どういう意味ですか?」

「設備は不安でも・・・」
「でも、あのビーチには、不安にさせる人間が、1人もいなかったから」


カップルの男性が、
「確かに! あの人たち、メッチャいい人だった!」と言って、
彼女の方も、
「最初は警戒したけど~」
「途中から、警戒しているのがなんか、恥ずかしくなっちゃったよね~」
と続けた。


祖父江が、「バリ島の魅力って、1番は、バリ人なのかも」とつぶやいた。

そして、ひがちゃんに、

「もしかして、隊長の故郷の沖縄も同じですか?」
「沖縄の最大の魅力って、沖縄の海や山という自然よりも」
「それ以上に、沖縄県人なんじゃないかなぁ」
「沖縄県人って、なんって言うんでしたっけ?」
「うちなーんちゅ、だったかな?」


ひがちゃんの瞳から、涙が「ぶわっ」っと、一気にあふれ出た。
こらえる間がなかったのだ。

うれしい言葉だった。

そして、忘れていた。
沖縄の、自然の素晴らしさ以上に、うちなーんちゅの素晴らしさ。

そうなの。
うちなーんちゅって、最高なの。

言葉にならない言葉があふれる。


「隊長、どうしたんですか?」と彼氏くん。
「祖父江さんが泣かした?」と彼女さん。
「あ、いやいやいや」と、あわてふためく祖父江さん。


「だ、大丈夫です。ちょっと感動したんです」
「皆さんが、本当に楽しんでくださって、嬉しかったんです~」

ひがちゃんは、ペンを走らせた。
ノートに、「人の魅力」「うちなーんちゅの魅力」と書き加えた。


* * *


「もしもし」

「ああ、元気?」


「あ、はい。元気です」

「で、何があったの?」


バリ島と日本は、時差はほとんどない。
そこでひがちゃんは、メールで相談をしたのだが、佐々木からの返信メールには、「コレクトコールで電話して(経費で落ちるから配慮無用)」とあったのだ。


「佐々木さん、まったく反対のことで悩んだらどうしますか?」
「教えて欲しいのです。私、わからなくって~」

「ふ~む」
「もう少し詳しい事情を聞きたいところだけど、でも、詳しい事情は話したくなさそうだね」


「あ、はい」

「まあ、それはイイとしよう」


「す、すみません」

「あやまる必要なんかないよ」
「で、『まったくの反対で悩んでいる』と、そういう状況なんだね」


「はい・・・」

「神さまの言うとおりで決めたら? コインの裏表でもイイ」


「ええ~、そんな、ふざけないで下さいよ~」

「ぜんぜん、ふざけてなんかいないよ」
「ひがちゃんのような行動力のある人間が悩んでいるんだ。それは、どっちを選んでも正解ってことさ」


「どっちでも正解~?」

「そうさ。そうじゃないのなら君は悩まない。どっちでも正解さ」
「でも決められない。そういうことなんでしょ?」


「はい、自分では決められなくて・・・」

「だから、神さまの言うとおりさ。もしくはコインを放る」


「コインを・・・」

「コインに決めてもらえばイイ」
「コインが嫌なら、何か、別のことに賭けてもイイかもね」


「賭けてもイイ?」

「うん。『明日、雨ならAにする』とか『最初に会うのが女性ならAにする』とか、そういう賭けさ。分かる?」


「わかります」
「でも、そんなので決めてイイのかなぁ」

「考えて答えが出るのなら、もちろん、考えた方がイイ」
「でも、答えが出ないのなら、何かに賭けるしかないかもね」
「何かに託してもイイんだよ」


「託す・・・」

「何かに託してもイイほど、ひがちゃんは悩み、そして考えたハズだ」
「そうじゃなかったら、僕にメールなんかしてこない」


「・・・」

「僕なら、こうした方がイイという考えが浮かぶかもしれないが・・・」
「それは、僕は、絶対に言わないよ」
「だって・・・」


「私の人生だから、ですね?」

「その通り!」
「ひがちゃんの人生の選択や決断を、ひがちゃん以外が行なってはダメだ」
「これまで、何度も言ってきたよね」


「はい」

「だから、自分で決めな」
「決められないなら、コインにでも任せちゃいな」


「佐々木さん、ありがとう」
「わたし、何に託すか、それを考えてみるわ」

「君の決断は、常に僕が、100%肯定する」


「ありがとう」
「佐々木さん、お父さんみたいさー」

「お父さん? オレ、そんな歳じゃないからさ~」
「せめて、『お兄さん』って言ってくれないかなぁ」


「ハハハ、ありがとう。少し元気出ました」

「良かった。じゃあ、またね」


ひがちゃんは電話を切った。

「賭けかぁ~」

声に出して言ってみた。


部屋の机の上には、書類が散乱している。その中の1枚を手にした。
明日の企画への参加者リストだ。

祖父江の名前もある。
明日は事実上の最終日だからか、2組のペアを除いて参加表明があった。

喜んでもらえるだろうか?

そう考えると、ちむどんどんする。
やはり、この仕事は自分の天職なのだなあと、ひがちゃんはそう思った。


バリ島旅行、6日目


夜。
ホテルのレストランで、隊長とゆかいな仲間たちはディナーを楽しんだ。
隊長の企画だった。

隊長の企画といっても、ホテルがオススメするディナーショーに、
「みんなで参加しませんか?」というシンプルなもの。

食事を終えたあと、ホテルのプライベートビーチにて、ケチャックダンスが鑑賞できる。
この手のショーは、普通はディナーが後だ。しかし、今回のケチャックダンスは、夜、しっかりと暗くなってからショーを始めるというこだわりがあるらしい。

ビーチへ行くと、テーブルやイスがセッティングしてあった。
テーブルの明かりも、全て蝋燭になっている。

ケチャックダンスの、舞台の明かりは篝火かがりび。

ホテル側を振り返らない限り、人口の明かりは一切ない。
静寂な空気が、辺りに漂っている。

祖父江は、ケチャックダンスを始めて観る。
簡単なストーリーは、食事中にチラシを読んで理解した。でも、それだけだった。


若く、鍛え上げられた肉体のダンサーがビーチに現れた。
ショーが、いつの間にか始まっている。

「ケチャッ! ケチャッ!」

想像の数倍のボリューム。
圧倒されるほどの迫力。

よく理解できないのに、なぜか目が離せない。

「チャッ、チャッ、チャッ」という掛け声が、幾重にも重なる。

ダンサーの数も想像より遥かに多い。50人以上いるような気がする。


篝火が風に揺れる。

その炎はみな本物なのだ。
本物の炎だ。

シータ姫の艶やかな衣装や踊り、魔王ラワナの威厳ある姿。

祖父江はまばたきを忘れた。
その世界に嵌はまってしまった。

トランス状態になったのかもしれない。

ダンサーもトランス状態なのだろうか?
炎の上を歩き、走り、踊る。

火の上だ。
炎の上だ。
本物の炎なのだ。

夢を見ているのか?

マジックなのか?
そうとは思えない。

かなりの数の客が観ているはずなのに、ダンサーの声しか聞こえない。


ふと、波の音が聞こえた。
いつの間にか始まったケチャックダンスは、いつの間にか終わっていた。


祖父江は、しばし放心した。


レストランやホテルのスタッフが、会場に声をかけ始めた。

「どうぞ、レストランの中にお入りください」
「フルーツとドリンクを、ご用意してあります」


祖父江は、レストランの席についても、まだ頭がボーッとした。
さっき観たものは、夢だったような気がする。

途中、うたた寝をしたのだろうか。

同じテーブルの菅澤夫妻の感想を聞いてみたい。
菅澤夫妻は、普通に会話しているように見える。

自分の感想を話したなら、笑われてしまいそうな気がする。
そして、自分の感想を上手く語る、その自信がまったくない。

飲み物は、バリコピのホットを頼んだ。
フルーツには手を伸ばさない。


「どうでしたか~?」

隊長が、各テーブルを廻って感想を聞いている。
そして、となりのテーブルに来ていた。


「菅澤さん、奥さん、それに祖父江さん」
「ケチャックダンス、いかがでしたか~?」

祖父江の近くに隊長が来た。

バン。
という音が聞こえた気がした。

真っ暗だ。
鼻をつままれても分からないほどの暗闇。

祖父江は緊張した。
祖父江の右の肩に、手のひらが添えられた。

たぶん隊長だ。

「停電ですね~」
「ホテルには自家発電設備がありますので、まもなく明るくなりま~す」
「動かないでくださ~い」

耳元でもう一度、「動かないでくださ~い」という隊長の、ごく小さな声が聞こえた。


唇に何かが触れた。

……?

唇……?


離れた。
同時に、肩に添えられていた手のひらも離れた。


それから少しして、レストランは明るくなった。
隊長は、菅澤夫妻の後ろの方に立っていた。

(今のも、夢だろうか?)

祖父江のトランス状態は、部屋へ帰っても続いていた。
眠りにつくまで、夢と現実が曖昧だった。


バリ島旅行、最終日


朝のロビーに、まだ、ガムラン音楽は流れていない。
しかし、人影があった。

隊長だった。

「スラマッ パギ」

「スラマッ パギ」

バリ語で挨拶をした。
自然に2人、ビーチへ向かった。

朝の散歩だ。


隊長が、歩きながら、「私、祖父江さんが好き」と言った。


「その先は、僕に言わせてください」

「祖父江さん……。最後まで聞いて欲しいの」


チラと、隊長は祖父江を見たが、すぐに前を向く。

「私、祖父江さんが好き」
「でも、あなたとお付き合いすることは、私はできない」
「私は、結婚などしていない、正真正銘の独身よ」
「でも……」
「私、プロなんです」
「プロの、ツアーコンダクターで、この仕事に誇りを持っているの」
「このツアーで初めてプロ失格だって、そう思うことがあったんです……」
「私、プロだから、お客さんとは、お付き合いは、できないんです」
「祖父江さんのこと、大好きなんですけど」


そう言って、隊長は笑顔を自分に向けてくれた。
登ったばかりの朝日を浴びて、その笑顔はまぶしかった。

しばらく無言で歩いた。
2人は、寄り添いながら歩いた。


「僕は、告白するまえにフラれたんですね」

隊長は何も言わない。

祖父江は立ち止まった。
いつもなら、折り返す辺りまで歩いてきていた。

隊長も立ち止まる。

隊長が、ホテルに身体を向けた。


「今日は僕、もう少し歩きます」

祖父江は、そう言うのが精いっぱいだった。


* * *


「言ってくれなかった」

ひがちゃんはつぶやいた。


真面目な祖父江が、そんなことを言うとは思えなかった。

でも、そこに賭けた。
だから、そこに賭けた。


「結婚してください」


そう言ってくれたなら、祖父江の胸に飛び込むつもりだった。


「賭けに、負けちゃった・・・」

中森明菜の語尾より小さい。


「ミツアミ~?」

女性のバリ人が声をかけてきたが、ひがちゃんはなんの反応もしなかった。
ひがちゃんには、声が届いていない。


「ア、オトシタヨ!」

今度は届いた。
ひがちゃんが振り返る。

女性は、ギョッとした。
ひがちゃんの顔が、涙と鼻水でグチャグチャだった。


「アシ、アト、ネ~」

条件反射で、そう言ったようだった。


「あなたもプロね」

そう言った瞬間に、ブワっと、ひがちゃんの涙が2倍になった。


◆ひたすらと、優しさと、純粋無垢と…


2022年、3月。
ピンチヒッターでバリ島に行ってから、あっという間に10年以上の歳月が流れた。

今年は、平年より早く、ソメイヨシノが開花したという。

そんな日の夜。
ひがちゃんは、行きつけの店で飲んでいる。

飲んでいるのはウーロン茶。少し前に、お酒をやめたのだった。


「沖縄に帰るって、決めたのね」

「女将さん。・・・今までありがとう」


「なにいってるの。こっちこそ、ありがとう」

「女将さんが沖縄に来るときは、私が案内するからね」


「で、いつ引越すの?」

「4月1日。3月31日までは、こっちにいるわ」


「ええ~! もう2週間ないのね~。あっという間じゃない」

「そうですね」


デンモクで選曲中だった志村が、顔を上げて口をはさんだ。

「沖縄での仕事は決まっているの?」

「うん。旅行社を立ち上げたのよ。『沖縄レトロ旅行社』って名前なの」


「ん。ってことは、ひがちゃんは社長さんか?」

「まあ、社長っていうか、個人事業主? そういう感じ」


「なるほど~。ツアーコンダクター時代のノウハウを活かすわけか~」

「はい、そういう計画です」


「その旅行社には、なんか特徴があるのかい?」

「もちろんです! 地元の人間にしか分からない、観光ガイドなんかには乗っていない、本当の沖縄の魅力を伝える旅行社なんです」


「ほ~。ただホテルに泊まってマリンスポーツして国際通りを歩いて帰る、そんな沖縄旅行ではないと。そういうことかな?」

「さすが志村さん。その通りです。沖縄のイイところって、うちなーんちゅには分からなかったりするんです。うちなーんちゅには当たり前すぎて。そういうのって、内地にいた私にはデ~ジよく分かるので、もう、頭の中にはアイディアが、いっぱい詰まってるんですよ~」


「なるほど。それじゃあ、僕が沖縄行くときも、ぜひ、ひがちゃんにお願いしなくっちゃ~」

「任せてください。地元の人間しか知らない、最高のビーチだってあるんですから。そして沖縄の最高の魅力は、うちなーんちゅです。うちなーんちゅの、ひたすらと、優しさと、純粋無垢とを、バッチリ、体感してもらいますからね~」


「篠原涼子っぽかったね。今の」

「は? なんですって?」


「なんだ、自覚なかったのか。なら、それはイイ。で、うちなーんちゅって、沖縄県人のことだよね?」

「そうです。うちなーんちゅが最高の財産。観光客という内地の方と、うちなーんちゅの、その懸け橋に私がなるんです! うちなーんちゅの子供たちにも、内地の、正しい情報を伝えたいし!」


「正しい情報・・・?」

「うちなーんちゅには、まだまだ内地は怖いとか、内地の人は悪い人という、そんな間違った情報を信じている人が多いんですよ~」


「まあ、田舎あるあるだなぁ」

「私は、そういうのも、ちゃんと正したいと思っているんです」


「それ、ひがちゃん、・・・前から言ってたもんね~」と女将さんが、小鉢のゆずだいこんを出しながら言う。

「かなり長く、あたためてしまった、私の夢です。
わっ! 女将さん、このダイコン、めっちゃ美味しい!」

「ありがとう」と女将さん。


「沖縄に帰る、なんか、キッカケでもあったの?」
と志村。

「うん。1番は、母かな」


「お母さん?」

「うちの母はデヴィ夫人にそっくりで、メッチャ元気なんですけど。でも、この前、コロナでお友だちが天国に行っちゃって……。なんか、珍しく不安になった感じだったんです」


「ほ~」

「母は言葉にはしなかったけど、私に『帰ってきてほしい』って思ってる。そう感じちゃったワケなの~。そう感じちゃったからさ~、この感じを無視して、それで万が一、何かがあったらイヤでしょう~?」


「ああ、そうだね~。なんであの時帰らなかったんだ、って思うもんね~」

「そ~なの~。それが、キッカケでした。あと、私のモットーかな」


「モットー?」

「もし、あと3か月の命なら何をするか。これ、私の判断基準の柱なんです!」


「でも、帰省でも良くないかい?」

「最初から帰る計画だったんですよ。親友のメーグーと、沖縄で一緒にビジネスしようって、そう決めてたから~」


「決めてたって、いつ決めてたの?」

「沖縄出るときよ」


「へ~! こっちに来るとき~? 乙女だったころかい?」
「それなのにま~ぁ、ドえらい長くコッチにいたもんだな~」

「そ~なのよ~。こんなにも長く、東京にいることになるとは、ぜんぜん考えていなかったさ~」


「その、メーグーって親友も、よく待ってくれたね~」

「私もメーグーも、うら若き乙女だったのにね~。もう、オバちゃんになっちゃったわ~」


「いや、ひがちゃんはオバちゃんではない。乙女でイケる!」

「志村さん、シンケン~? 私が乙女~?」


「う~ん、・・・レディーだな、やっぱ」

「ハハハハ~! 急に正直になっちゃって~。まあ、さすがに乙女はムリだよね~」


「沖縄に戻ったら、さっさと結婚しなよ」

「ホント、そうよ。ひがちゃんがずっと1人なんて、もったいない!」と、女将さんも声を大きくした。


「また、その話~。結婚は考えられないさ~。絶対に、今まで以上に忙しくなるもん。タイミングを逃した感が、否めないなぁ~」

「なに言ってんの! ドラマのナギサさん観なかったの?」と、女将さんは食い下がる。


「ナギサさん? 観てないわ。どんなドラマなの?」

「ナギサさんは、男性で家政夫なの。家政夫の『ふ』は夫の『ふ』なのよ。そして最後には、多部未華子と結婚して、ナギサさんが専業主夫になるの。奥さんの多部未華子がバリバリ働くのよ~!」


「へぇ~。男女が逆ですね~」

「そうなの! 今は、そういう時代なのよ! 女が家事をするって、そんな固定観念は古いわ。ひがちゃんは、そのままバリバリ働けばイイのよ」


「確かに。家事が好きな男が、実はケッコウいるって、何かで読んだぞ~。男の専業主夫っていうの、実際に増えているはずだ」
と志村も同意する。


「まさかや~」

「事実、オレも家事や料理、得意だし。40代50代の男は、ケッコウ家のことできるぞ~」

「ひがちゃん、志村さんの言う通りよ! 志村さん、あいみょんの『裸の心』入れて。私、歌うから。この曲、そのドラマの主題歌だったの。ひがちゃんも覚えた方がイイわよ~。イイ歌なのよ~」


ここでの、この、お節介でやさしい会話も、あと数回しかできない。
そう思いながら、あいみょんを歌う女将さんの歌声に、ひがちゃんは耳を傾けた。

いつも以上に、心を込めて聞いた。


* * *


「最後の日だから、うなぎでも取ろうか?」

「管理人さん、逆に最後の日だから、お願いがあるのです。奥さんのお味噌汁を習いたいから、一緒に作ってかまわないか、奥さんに聞いてもらえませんか?」

「へ? 味噌汁? そんなんでイイのかい?」


ひがちゃんは、管理人さんご夫婦に、ずいぶんと可愛がってもらった。

キッカケは、台風だった。

アパートの清掃道具を入れる収納スペース。その扉を管理人さんが、台風でずぶ濡れになりながら直していた。ひがちゃんはそれを手伝った。

誰かが目の前で困っている状況で、それをスルーする常識は、ひがちゃんにはない。
「濡れるから、気持ちだけで充分だ」という管理人さんに、
「私は沖縄出身だから、台風には慣れっこなんです」と言って、ひがちゃんは手伝い切った。

その台風の翌日。
管理人さんの奥さんが、お礼にと、ミカンをたくさんくれた。
そのうち夕食にも招かれるようになり、遠慮することのないひがちゃんは、何度も管理人さんのお宅で、晩ごはんをいただいた。

管理人さんは、子宝に恵まれなかったご夫婦。
ひがちゃんを、娘のように感じたのだろう。


奥さんが快諾してくれたので、晩ごはんのお味噌汁を、2人で作っている。
奥さんに教わりながら、主に、ひがちゃんが作っていた。

「奥さんのお味噌汁は、上品な、旅館の味がするんです~」

「そんな、普通のお味噌汁なのよ~」


「沖縄では鰹節だけで出汁をとるので~、イリコって、使ったことないんですよ~」

「じゃあ~、しっかりメモを取っててね。沖縄でも、チャンと作れるようにね」


管理人さんは、リビングで新聞を読んでいる。

男子厨房に入らずを地で行くタイプで、その世代の日本人男性の『普通』なのかもしれない。


「奥さん、赤味噌って、この量でイイですか~?」

「・・・」


奥さんが、ひがちゃんに背中を向けたまま返事をしない。

奥さんは泣いていた。
ひがちゃんもそれに気づき、泣きそうになる。


茶の間から、
「おい! 絶対に泣くなよって、あれほど言ったのに!」

と、管理人さんの声が飛んだ。

泣いてしまいそうだと、おとといも昨日も、そして今日も話した。
2人は、「決して泣くまい」と約束した。

ひとりで決めたのでは泣いてしまいそうだから、2人で決めたのだ。

ひがちゃんが沖縄に帰るのだから、歓迎しなければならない。
めでたい日なのだ。
しめっぽくしてはならない。

そう何度も、2人で言い聞かせたのだった。


「ったく・・・」

という管理人さんの声は、少し鼻声になっていた。
新聞を大きく広げて、管理人さんの顔は、ひがちゃんから見えない。

ひがちゃんは気づいた。
新聞紙が逆さまだ。

マンガのようなその光景に、ひがちゃんは吹き出してしまった。


「おじさ~ん、新聞、逆さまだよ~」

ひがちゃんの声は、泣き笑いの声になった。


「ん? ああ、わあ」

管理人さんが、アワアワと慌てふためいた。
その様子が可笑しくて、奥さんとひがちゃんは大笑いした。

つられて管理人さんも笑う。
3人みんなが、泣きながら笑っていた。


* * *


管理人さんは、お父さんみたいだったなぁ、とひがちゃんは思う。

実のお父さんに似ているという意味ではない。
いわゆるお父さんって、管理人さんみたいな感じかな、という意味なのだ。


ひがちゃんが1歳のときに、両親は離別した。
ひがちゃんには、お父さんの記憶がない。

お母さんや、おばぁたちの、女性のやさしさとは違う、男性特有の優しさ、というものがある。
管理人さんの、その不器用なやさしさを、しみじみと味わった。

毎度毎度、管理人さん宅の晩ごはんが、楽しくて、美味しくて・・・。
そして、とても居心地が良かったのは、私は、娘のように愛されていたからかもしれない。

(東京のお父さんとお母さんだ)
(ありがたいなぁ)


管理人さんご夫婦は、しきりにこんなことを言った。

「ひがちゃんが戻った沖縄に、絶対に行かなくっちゃなぁ~」
「沖縄に行くまでは、死ねないね~」
「沖縄旅行が、楽しみだわ~。必ず行くからね~」


ひがちゃんは、自分が新たに立ち上げた旅行社を、絶対に成功させなければと強く思った。

管理人さんや、『隊長とゆかいな仲間たち』のメンバーたちや、ツアーコンダクター時代の先輩や、行きつけの店の飲み友達など、みんなと沖縄で会うときの集合場所。
それが、沖縄レトロ旅行社になる。

(東京のお父さんお母さんが沖縄に来たときに、絶対に、大大大満足してもらうんだ!)

ひがちゃんは、その決意を、何度も何度も確かめた。
決意がより強くなるように、何度も何度も、自分に言い聞かせた。


◆エピローグ


買い換えたばかりのiPhoneをタップして、スピーカーに切り替えた。

「これから、羽田に向かうところさー」

iPhoneを、部屋の中に唯一残っているダンボール箱の上に置いて話した。
昨夜は、このダンボール箱をテーブル替わりにしたのだ。

「うん。那覇空港で待っているから」と、メーグーの声。


「待たせたね」

「ホント、どんだけ待たせるのよ~」


「ハハハ、ホントだね~。でも、東京で長く暮らしたからこそ、私には沖縄の良さが分かるの。あと、沖縄の問題点も、よ~く見える!」

「考えるのは私の得意分野で、私の担当よ~。ひがちゃんには私にはない、求心力や行動力を期待しているの」


「なんか今の言い方、ちょっとカンジ悪いけど、ま、大目に見るサ~」

「なぜか、あなたの周りには人が集まるのよね~。とにかく、待っているから気をつけて帰ってきて」


「『なぜか』って余計じゃない? あと『気を付けて』って私に言っても仕方ないサー。私の乗る飛行機のパイロットに言わないと~」

「はいはい、電話切るよ、またね」


ひがちゃんは、通話の切れたiPhoneをにらんだ。

「ハイは1回でいいの! 『はいはい』て、なんなのサー」

とぼやいて、そして、ニコッと笑った。


アパートの窓を開けて、外を見る。この部屋から見る、最後の景色だ。

小さな公園の桜の木が見えた。
満開のソメイヨシノだ。

桜吹雪がキレイに舞った。








付記
この”ぷち伝記小説”関連のリンク集です。
探さなくていいように、リンクを貼っておきます。

★いろろさんの記事
一緒にインタビューした、いろろさんの記事です。


★ひがちゃん
主人公、ひがちゃんのnoteです。


ひがちゃんの記事です。


★ぷち伝記
僕の【ぷち伝記】(マガジン)です。
小玉洋一さんと佐々木浩喜さんの2名に、インタビューを行ないました。


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※この記事は、エッセイ『妻に捧げる3650話』の第881話です
※僕は、妻のゆかりちゃんが大好きです


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