第98話 珪藻土バスマット
こどもの頃、僕は父に「バスマットには、浴室で足を拭いてからのれ」と言われた。「そうすれば、次の人が冷たくない」とも言われた。
僕は、生意気な子どもだったので、言うことを聞かなかった。聞く気がなかった。
(バスマットは、濡れた足の水分をキャッチするための物だ。濡れたままでのる物だ)と思ったことを、なぜかハッキリと憶えている。
ひねくれた子どもだった。
大人になって、温泉宿に泊まったり、サウナへ行ったりするようになった。
ごくまれに、浴室の端に行き、小さいタオルで身体を拭く人を見た。
タオルを何度か絞り、よく体の水気を拭きとって、最後に足もちゃんと拭く。
そして引き戸をあけて、ざらざらの固めのバスマットに乗る。
バスタオルをとり身体を軽く拭く。念のため足もバスタオルで拭く。
ロッカーに向かう。
濡れた足あとなど、つくはずもない。
その所作を見て、僕は「美しい」と思った。
父が言いたかった根本は、これだったのか、と思った。
次の人への配慮だ。
周りの人への配慮だ。
息子よ。おまえも美しくあれ。そう教えてくれたのだ。
ほとんどの人は気づかない。ゆえに感謝もない。
バスマットは濡れて良いところと思っている。
でも、もし、みんなが身体や足を拭いてからのったなら?
快適さが増す。
不快が減る。
衛生的。
掃除をする人が助かる。
カビの発生リスクを減らせる。
父のこの教えは、家族には定着しなかった。
時に、マットに足をのせたとき「冷たい」と思うことがあり、そして、父のあとにはそれがない、と思った記憶も薄っすらと残っている。
父だけは、その美しい所作を、ひとりでひっそりと続けたのだろう。
僕は、温泉などで、ひっそりと、誰もやらないこの所作をするのが好きだ。誇らしいのだ。今では必ず行なう、僕なりの作法だ。
でも、誰にも推奨したことはない。おせっかいな僕が珍しく、誰にも言ってない。
そして、だからだろう。同じことをしている人がいると嬉しくなる。
同志に出会えた気分になる。
誰からも褒められない。でも、自分はその方が良いと思う。だからやる。そこには、損得ではなく、美醜の判断基準がある。
そうした方が、美しいと思うからやるのだ。
わが家では僕の提案で、バスマットに乗るまえに身体や足をバスタオルで拭く。
面倒がられたけど、みんな実践してくれた。
そして今、わが家のバスマットが変わった。
これまではマイクロファイバーの、ふかふかのバスマットだった。それを珪藻土のバスマットに変更したのだ。
カビのリスクが減り、ダニの住処がなくなり、物理的にも精神的にも快適である。
ところが、この珪藻土のバスマットのせいで、ゆかりちゃんが足を拭かずにマットにのるようになった。
上記の内容を、丁寧に語りたいのだが、ゆかりちゃんは僕の長い話が大っ嫌いなのだ。
そこで短めに「拭いてからのって」と言った。
「濡れたまま、のるから面白いんやて~。足あとがついて、それがドンドン消えるんやよ~」
所作の美しさ。
ちょっとしたことを自分に課す。それをひっそり守る。自分を少しだけ誇らしく思える。
言葉で伝えられなかったので、noteに書いてみた。
ゆかりちゃんの感想を予想すると「そうだったんだ~。でもめんどくさいし。あとが消えるの面白いし^^」・・・かな。
そうだとしても、僕は、そんな大らかなゆかりちゃんが大好きなのだ。
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