第142話 鏡台
朝の6時。上の部屋の榊原さんが「ドタン、バタン」している。
今日は、大規模修繕工事の初日だ。施工業者が『不用品処分サービス』を初日に行なうのだ。
このサービスの背景には、ベランダの物を片付けてほしいという業者の思惑がある。工事するにあたって「ベランダが片付く」という業者のメリットと、「不用品を無料で処分してくれる」「大きい物も運んでくれる」「ベランダのモノ以外でもイイ」という居住者のメリットの、両方のメリットとなる素晴らしいアイディアだと思う。
60代女性で一人暮らしの榊原さんにとって、この日は、絶好のチャンスなのだ。だから、朝から「ドタン、バタン」されても、僕は微笑ましいのだ。
7時30分を過ぎ、ゆかりちゃんも目覚めた。ふたりで朝の散歩に出かけた。
マンションに戻ってくると、早くも、不用品回収のコンテナ車が到着したところだった。
わが家も、この時をチャンスと思っている。
大きな鏡台を処分する。
僕は、ゆかりちゃんに頼まれていたベランダのBSアンテナを、戻ったらすぐに外しはじめた。
◆鏡台
朝から暑く、汗だくになりながらアンテナを外した。
そして今度は、鏡台だ。
大きい。重い。
鏡がある。つまり、気をつけないと割れる。ガラスもある。つまり、気をつけないと割れる。
分解した方がイイ。
業者さんの、若いお兄さんが手伝ってくれた。
* * *
6年前。
この鏡台を持ってくと聞いて、僕は驚いた。
この鏡台以外に、大きな洋服ダンス2つ。大きな整理ダンスが1つ。要するに、婚礼家具を全部、この新居へ持っていくというのだ。
マンションは中古だが、中はフルリフォームするのだ。クローゼットだって作れるし、洗面所に大きな鏡もある。
僕の感覚では、不要なものを、わざわざ持っていくという感じなのだ。
だが、そこはゆかりちゃんの考えもあるわけだし、僕の考えを押しつけたりは一切していない。
「え? あ、持ってくの?」と、驚いただけなのだ。
これが、ゆかりちゃんの逆鱗に触れた。
「ひどい!」「これを贈った、母の気持ちは!?」「わたしの気持ちは!?」「信じられない!」と、かなりナジられた。
「化粧は、自然の光じゃないと上手くいかないものなの!!」と、ド叱られた。
あれから、6年。
鏡台で化粧したのは、最初の3回だけだ。やはりというか、そうだろうというか、ゆかりちゃんも、ふつうに洗面所で身だしなみを整える。
鏡台がなくなり空いた場所に、ゆかりちゃんは、管理組合の段ボール箱を移動しようとした。
「ビキッ!」
っとなったらしい。
「あた! ヤバい、ヤバい! あたた。ビギって言った!」
僕は、「行きつけの接骨院に行った方が良い」とすすめた。間違いなくギックリ腰だ。
ゆかりちゃんは、すぐに予約の電話をした。
◆婚礼家具
話をすこし戻す。
婚礼家具には、娘を嫁に出す【母の想い】が込められている。
ゆかりちゃんのお父さんは、病気で若くして他界し、それからはお母さんが女手一つで育ててくれたのだ。そのお母さんの想いが込められているのだ。
それを受け止めた、娘ゆかりの想いも込められているのだ。
捨てて良いものではないのだ!
そんなことを言うやつは、人でなしなのだ! 6年前は。
ここで、僕は、少し思うのだ。
(ゆかりちゃんは、「今のわたしの思考に、じょーじは、6年前に至っていたのかぁ~」と、そう思ったりはしないのかなぁ)
(「あのときはチョット、きつく言いすぎたかなぁ~」って、そうは思わないのかなぁ)
そして、思ってしまった。
(バチ、当たったん、ちゃうか)と・・・。
◆コルセット
ちょうど、まさに今も、「イタタタ・・・」と、ゆかりちゃんの声が聞こえた。
気の毒で、「バチが当たったんや」とは言えない。
書いちゃったけど。
書いちゃったから、きっと今度は僕にバチが当たるだろう。
ゆかりちゃんは、僕がMAX太っていたときのサイズの、コルセットを巻いている。バンテリンのコルセットだ。僕は椎間板ヘルニア持ちなのだ。
温泉宿に泊まったときの、浴衣の帯みたくなっている。
ふぁさ~、っと巻いている。
そのコルセットは、ギュッ!と、きつく巻くべきものなのだが、そうするとスレンダーなゆかりちゃんでは、マジックテープのところを通りこして止まらないようだ。
遅くなったけど、「神さま、どうか、ゆかりちゃんの腰の痛みをなくして下さいませ」と、僕は今祈った。
僕は、腰の痛いゆかりちゃんが、とても心配なのだ。