見出し画像

第257話 姉の洗脳①「私たちは運動神経が悪い」


僕の姉は、学校の成績はオール5だった。めっちゃ成績優秀だった。

「オール5」と書いたが、体育だけは2だった。(ならば「オール5」ちゃうやん)

こう書くと、「頭が良い」と思うかもしれないが、それ以上に、勉強に対する【努力量】が半端なかった。

その姉が、口癖のように「私たちは運動神経が悪い」と言った。

成績の良い姉の言葉なので、それは説得力があった。


◆今の僕が分析すると

僕たちは5人兄弟で、確かに、運動神経は平均以下かもしれない。

次男と三男は、平均レベルだったのではないかな。

僕は、パワー系がメッチャ劣っていた。でも、その代わりに器用ではあった。マット運動なら、平均以上だった。

つまり、超、絶望的な運動オンチではなかった。

お姉ちゃんだって、中学時代テニス部で、たしかに上手ではなかったが、それでも、アメトーークの運動神経悪い芸人と比べたら、「運動神経イイ!」と言われてしまうだろう。

小中学生時代が、あまりにも同級生の人数が少なすぎた。田舎過ぎたのだ。

お姉ちゃんの学年は30人ちょっとで、女子は約15人。おそらく、お姉ちゃんは、13位か14位の運動神経だった。

お姉ちゃんの思考は、

①運動神経が良い 5人

②普通 5人

③悪い 5人

とかだったんじゃないか。

3段階くらいに分類し、自身は確実に「悪い」に該当すると思ったのだろう。

もし、広い世の中を知っていたなら、正しくは、

①超絶良い(プロやオリンピックレベル)

②凄く良い(①の予備軍)

③良い(田舎の中学校のスター)

④やや良い

⑤普通

⑥やや劣る

⑦劣る

⑧凄く劣る(アメトーークで大爆笑)

と、もっと分類は多くなっただろう。

お姉ちゃんは、⑥のやや劣るか、⑦の劣るの、間くらいだったハズだ。もし、運動にも勉強の10分の1でも努力したなら、確実に⑥のレベルにはなっただろう。

僕は、⑥だったはずだ。パワー系は⑦で、テクニック系は⑤だったはずだ。総合で⑥だ。

これは、今の知識・見識で、当時を分析している。

僕もお姉ちゃんも、田舎育ちゆえに、もっと運動神経の良い人を知らなかったし、もっと運動神経の悪い人も知らなかった。

想像も、できてなかった。


◆「運動神経が悪い」と定義した姉の根拠

「私たちは運動神経が悪い」と宣言したお姉ちゃんの、その根拠は、まずは【足が遅い】、ということだったはずだ。

2つ目の根拠は、【遺伝】だろう。

母ちゃんは小太りで、間違いなく運動オンチだ。「自転車に乗れる」と言ってまたがって、結局、乗れなかった。あれは、たぶん母ちゃんが、36歳くらいのことだ。

スマートで背の高い父ちゃんは、女の子走りだ。とびっきりの運動オンチではないだろうが、運動神経抜群ということは絶対にない。

頭のイイお姉ちゃんは、『この2人から運動神経の良い子は生まれない』と思い込んだに違いない。

僕も、父ちゃんの走る姿を見て、「ああ、ダメだ」と悟った過去がある。

この記事の後半に書いた。


◆洗脳された、当時の僕を分析

今思うと、「運動神経が悪い」という決めつけは、ある意味、僕にとって都合が良かったのだろう。

小学生で1度、中学生でも1度、朝、自主トレを始めたことがある。

「走って鍛える」という発想だ。

2度とも、見事なまでの3日坊主で終わった。

努力を試みる。でも継続できない。自分は根性もない。いや、そもそも、僕は【運動神経が悪い】のだ。だから、努力しても、きっと、そんなには変わりはしない。(当時の僕の深層心理)

努力しない自分を正当化するのに、お姉ちゃんが言った、『私たちは運動神経が悪い』は、僕にとって都合が良かったのだ。

長距離を走ってキツイときも、本当はまだ頑張れるのに、この思考を悪用して、僕は歩いた。

本当は、まだ、力を振り絞ってなどいなかった。それを、もう一人の僕は、ちゃんと知っていた。


◆早生まれなのも原因

僕は2月生まれだ。

ついこのまえも、TVで観た。スポーツ解説者が「スター選手は圧倒的に、4月、5月生まれが多い」と。

「スター選手は何月生まれが多いか?」 というクイズの解答・解説だった。

答えも解説も僕には分かっていて、スポーツ解説者の言葉は、僕にとっては確認作業に過ぎなかった。

小学生のときの、約1年の差は大きい。

特に、身体能力の差は大きい。

それを、誰も解説してくれないから、「僕は劣っている」と、どうしても思ってしまう。逆に、4月生まれの同級生は「オレってイケてる」「オレは、上手い(速い、強い)」と、その日常で、常に自信を増していく。

これの、残酷な点は、【挑戦する心】【努力する心】にまで、影響を及ぼすという点だ。

それが、何年も続くのだ。


◆歩行器

赤ちゃん用の歩行器って、ご存じだろうか。

画像1


こんなヤツだ。


僕の赤ちゃんのときの写真は、僕はコイツに乗っていた。そんな写真が何枚もあったのだ。

母ちゃんにしてみれば、まだお姉ちゃんも幼く、僕をこの歩行器に入れておくと、便利だったのだろう。

ぶつかってもガードしてくれるし、転ばないし、動き回って楽しそうだしと。


そして、大人になって、TVを観た人から教わった。

【赤ちゃんのときに歩行器を使うと致命的だとTVで観た】

【赤ちゃん時代の『はいはい』は重要】

【『はいはい』で腕力と脚力の土台が鍛えられる】

【『はいはい』をさせない歩行器は最悪】

【赤ちゃんのときに鍛えられなかった『土台の筋力』は、その後に鍛えることは不可能】

【その後のトレーニングは『土台の筋力が足らない』に対しての掛け算になる】

などなど。

赤ちゃんのときに作られる『土台の筋力』×その後の『トレーニングで作られる筋力』=筋力

という説なのだ。

2×10は20だ。

もし赤ちゃんのときに、5になっていたら、5×10は50だ。もしくは5×4でも20だ。

その情報を僕に教えてくれた知人も、自身の赤ちゃんのときの写真を、語った。彼は「僕は腕力がない。腕立て伏せが苦手なことに、このTVを観て合点が行った」とも言った。

僕も同感だった。

諸説あるとは思うが、少なくとも3人。スポーツ解説者と、僕の知人と、僕。この3人は、その説を「正しい」と思っている。


◆〆

僕は、社会人になって、『努力で結果は変わる』と信じられるようになった。

確信さえしている。

そして僕は僕自身のことを、「努力できる人間だ」と思っている。

でも、『努力で結果は変わる』というセリフは、中学生の僕には刺さらない。

きっと、信じてもらえない。

きれいごとを言っていると思われるだけだろうし、この言葉を信じると、努力する羽目になる。

当時の、口だけで行動の伴わない僕は、この『努力で結果は変わる』という言葉は、信じない方が都合が良かったのだ。

それよりも、お姉ちゃんが言った「私たちは運動神経が悪い」という言葉を信じた方が、その方がメリットが大きかったのだ。

当時の僕には。


もちろん、お姉ちゃんに悪気など無かった。

洗脳する気も無かった。

今、僕は、お姉ちゃんのせいにする気など、全く無い。

お姉ちゃんが言わなかったとしても、努力をしなくて済むように、当時の僕は、いつかはどこかで、同じような思考を仕入れたハズだ。


でも思春期に、もっとスポーツを楽しめたと思うと、少し、残念だ。


ゆかりちゃんは、まあまあ運動神経が良い方だったのだろう。

でも、ちなみに、ゆかりちゃんは踊れない。

踊りなら、僕の方がマシに踊れる。

いつかは、ゆかりちゃんの踊りを録画して、動画をアップしたいものだ。

絶対に許可は出ないなぁ。

昨日のスクショも、かるく怒ってたしなぁ。


僕は、「踊れないゆかりちゃん」も、「スクショのアップに怒るゆかりちゃん」も、「それを怒ってないことにしてあげる優しいゆかりちゃん」も、全部ひっくるめて、そんなゆかりちゃんが大好きなのだ。




コメントしていただけると、めっちゃ嬉しいです!😆 サポートしていただけると、凄く励みになります!😆