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幸せはここに

親愛なる陽気を楽しむ友たちへ

ここ暫く喉の調子が悪く、声が出ない日が続きました。
声が出ても、とても低いガラガラ声しか出ず、自分が「オネエ」になったかのような気分がして「おねいかよ!」と一人ツッコミをしそうになる日々を過ごしておりました。
声が出ないと喋れないので、他の感性が鋭くなるようにも思えます。
改めて「お喋りする」というコミュニケーションの大切さを感じました。
声が出なくなっても、新たな発見があり、そんな事にも感謝です。

今日は「日常には幸せが沢山落ちている」という内容についてお話ししようと思います。

私は今の住まいは6年くらい同じ所に住んでいます。
にも関わらず、玄関から6mくらいの所にまことに美しい梅の花が咲く事を今年になって初めて気がつきました。
その梅の木は恐らく私が引っ越してくる前から存在していました。
しかし、以前の私の生活では朝、出勤する時にバタバタしていて、ゆっくり周りを見渡せる時間もなく、美しい花を愛でることができませんでした。
また、家の周りで「花を愛でる」ことができるとは思いませんでした。

私は東京のビル街の都心に住んでいます。
しかし、よく目を凝らしてみると、ひっそりと色んな植物や動物が生息しています。今まで見たこともなかった「花」を見つけることが本当に多くなりました。
東京は都会ですが、きちんと整備されていることもあって、よく周りを見渡してみるといたるところに緑やお花が植えてあります。
しかし、私は日常の忙しさにかまけて、全くその身近にある「美しさ」に気づくことができませんでした。

3月終わりから4月にかけて、木の葉っぱが枯れるのご存知ですか?
私は今年、葉っぱが枯れていることに気がつき、大変びっくりしました。
種類にはよりますが、一度、春に枯れて新しい葉が生えてくるんですね。
その為、7月頃には青青した緑に覆われます。

このように少しゆとりを持って日常を見渡してみると美しいものに溢れています。
・風が強い日は、葉っぱ同士がお喋りして揺れて笑っています
・小さなお花が一斉に力いっぱい咲いて、私たちに笑顔を振りまいてくれています
・冬の間、桜の木は一人で寒さに耐えて、春にいっぱい私たちを喜ばせようと頑張ってくれています。
・紅葉は秋だけじゃなく、春も美しい紅葉を見せてくれます
・アスファルトの間から、勇敢な木はすくすく成長して生命力を見せてくれています

こんな姿を見せてくれて、私は心にポッと幸せのハートマークが浮かび上がってきます。
小さな小さな生命も私たちを癒すために精一杯生きているのです。

こんな小さな喜び、「幸せ」と呼んではいけないでしょうか?

これが幸せなのです。日常に小さな幸せを見つけられる事じたいが「幸せ」
なのです。幸せは他人ありきではありません。
幸せは自分の心の中からいつでも、出入り自由な存在なのです。
それに気が付かないだけなのです。

これが私の「上機嫌生活」をはじめて発見した
極上の「幸せ」になります。

今日も友たちに喜びの天使が舞い降りますように。
おわり

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