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『ONODA 一万夜を越えて』を見て

 第二次大戦が終わった後、フィリピンのルバング島で29年戦い続けていた故・小野田寛郎さん。先日、小野田さんの自伝を元にルバング島での29年を描いた映画『ONODA 一万夜を越えて』の試写を拝見した。キャストは全て日本人。日本語で演じられているが、監督はフランス人のアルチュール・アラリ氏。原案はフランス人作家、ベルナール・サンドロン氏によるフランスで出版された小野田寛郎さんの自伝だそうだ。フランス人の作家の方が小野田寛郎さんの研究をされていたとは、この時、初めて知った。第74回カンヌ映画祭では、日本に先駆けて発表されている。日本では今秋、公開となる。

 映画の感想の前に、少しわたしと小野田寛郎さんとの関係について、書いておきたい。
 2006年の11月のこと。生前の小野田さんに、弊社社長と共に小野田さんの生家の「宇賀部神社」に残る名草戸畔(なぐさとべ)伝承について取材をさせていただいた。名草戸畔についてはこちらの著作に詳しく書いたので、ここでは触れない。
 小野田さんの29年のことはもちろん知っていたが、子供の頃、聞いたことがある程度だった。名草戸畔の取材をする際には、わたしはルバング島については一切下調べはしなかった。ルバング島のことは嫌というほど聞かれているだろうし、名草戸畔とは直接関係のないことだったからだ。今まで調べたことをまとめて、もし名草戸畔についてご存知のことがあったら教えて欲しい、とだけファクスした。その後、奇跡的に小野田さんに会うことができた。小野田さんの有名な自伝『わがルバング島30年戦争』を読んだのは、だいぶ調べがついたあとのことだ。取材させていただいたのだから、きちんと読まないと礼を失することになる。
 自伝を読むと、あまりにも過酷な生活に圧倒されたが、大変な集中力で書かれていて、陸軍中野学校での特殊な授業やルバング島に渡ってからのジャングルの情景や、指を掠める弾丸やバナナやココナッツの素朴な食事が目に見えるようだった。数日先の食べ物を確保できなければ死んでしまうサバイバル生活で健康を損ねることも気が狂うこともなく、常に平常心で生き抜くことができた小野田さんの知性と絶妙なバランス感覚は驚嘆するものがあった。他の兵士たちは食欲や恐怖に負けて次々と死んでいったが、小野田さんは最後まで生き延びた。小野田さんは、自伝の最後の方に、「望郷の念や肉親へのなつかしさが頭をもたげるたびにそれを押さえつけた。(中略)私はまったく郷里を想わない人間になっていた。肉親の夢も一度も見なかった。任務だけが私を支えていた」と書いている。あまりに厳しい生活だったため、故郷を思う暇もなかったかもしれない。もし名草戸畔の取材の前に、この本を読んでいたら取材は諦めていたかもしれない。昔のことなど覚えているわけがないと思っただろう。しかし、自伝を読まずルバング島のことは微塵も触れないわたしに、小野田さんは名草戸畔の話を喜んでしてくださり、たくさんお手紙もいただいた。その理由は、自伝を読んで、陸軍中野学校の教育や、鈴木紀夫くんとの出会いで少し分かった気がした。わたしの印象では、小野田さんご本人は、世間でよく言われているような軍国主義の亡霊のような人ではなかった。仰ることは論理的で筋道が通っていると同時に自由快活でユーモアに溢れていた。鈴木くんの話に耳を傾けたのも、彼の冒険談などに興味を惹かれた部分もあったからだろう。少し変でも自分なりにものを考えて生きている人には好意的なのだ。
 自伝は、帰国してから半年経たずして一気に書き上げたという。記憶力が半端でない。秘密任務のため諜報活動の報告として様々な記録を取っていたせいもあるだろうが、この本はそうした報告書的なものを越えて小野田さんが記しておかなければならなかった人生の記録だったように思う。

 長々と書いてしまったが、この映画は、小野田さんの29年のエピソードを、ほとんど余すところなく描いていて、この自伝の空気感をできるだけ損なうことなく映像に再現したような作品だと思う。あくまで自伝を元にしたフィクションのため、部分的に自伝と異なる箇所もあるが、今まで文章で読んでいたジャングルでの戦闘や島田、小塚との暮らしのなどが、そのまま映像になったかのようだった。そして、小野田さんの生き抜く知恵や精神力など素晴らしい部分も、情報が断続的にしか入ってこないため戦争が終わっていることを了解できず、全てを謀略と信じ、秘密作戦を遂行していたある意味滑稽な部分も、美化することも卑下することもなく、ありのままに淡々と描いているように、わたしは感じた。29年の主要なエピソードを大幅にカットすることもなく詰め込んでいるので、フィクションであるにもかかわらず、この監督も「小野田さんの29年」を記録しておきたいと考えたのかもしれない。残さずにはいられない、そんな思いに駆られたのではないだろうか。

 部分的に違う部分は、いくつかあるが、一つは陸軍中野学校に入学した経緯である。自伝には小野田さんは入隊する前に中国の商社で働いていたため中国語ができたので秘密任務に耐える人材としてスカウトされたとある。ネタバレになるので書かないが、この部分はサンドロン氏の独自の調査の結果なのか創作なのかは不明だが、違う展開になっている。この辺りは、日本人の心性が西洋人に伝わりにくいためかもしれない。小野田さんは何の補償もなく「玉砕は許されない」秘密作戦を遂行し、大東亜共栄圏を確立を夢見てブレることなく邁進した。この精神力は西洋の方々にとっては、誠に不合理、不可解なものに映るような気がしないでもない。そのせいか分からないが、陸軍中野学校に行くことになる理由として別のシチュエーションが描かれている。他には、雨季に建てて暮らす小屋に現地人の女性が現れるシーンはない。小塚が亡くなるのはあのような武器ではない。小塚の銃が川に流されるシーンは自伝では銃ではなく上着。あくまで映画なのだから、違いも楽しんで見れば良いと思う。そのような違いがあっても、作品としては素晴らしい出来だと思う。

 小野田さんがこの30年を乗り越えて生還しなければ、名草戸畔伝承はもう覚えている人もいなく、闇に消えていた。小野田さんの素晴らしい映画を作ってくれた監督のアルチュール・アラリ氏と原作のベルナール・サンドロン氏と、日本の俳優の皆様に心より感謝申し上げます。

なかひら まい
2021.9.16

『ONODA 一万夜を越えて』2021年10月8日ロードショー
https://onoda-movie.com/#

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