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石仏の話(30)飢饉と妾奉公

江戸時代の東北の藩の話。
飢饉が発生し、年貢を収められなかった村から、一人の娘が犠牲となって代官の屋敷に妾奉公をすることになった。
餓死者が出るほどの飢饉でも、厳しい年貢の取り立てや、収められない場合の妾奉公を強制したらしい。
しかし、その娘としては、それを気に病み、自殺をしてしまったという。
その後、その娘の供養として石造地蔵尊を建立し、今も現存するという。

それに対して、飢饉の際に厳しい取り立てや、妾奉公を強制した藩主の墓地は荒廃したままらしい。

御仏の目からみれば、どれも悲しむべきこと。

ただし、庶民の実状を顧みず、酷な為政を行った藩主一族には一定の断罪があるのだろうか。

これも、後世の人々への御仏の「教育」なのだろうか。

まずは、哀れな村娘と飢饉と酷政に苦しめられた人に、手を合わせる。

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