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柿本朝臣人麻呂 石見相聞歌(2)

反歌二首

石見のや 高角山の 木の間より 我が振る袖を 妹見つらむか
                         (万葉集巻2-132)
笹の葉は み山もさやに さやげども 我は妹思ふ 別れ来ぬれば
                         (万葉集巻2-133)

長歌の反歌二首

石見の国の高角山の木の間から、私が振る袖を、妻は見てくれているのだろうか

笹の葉は、この山のどこでも、さやさやと風にそよいでいるけれど、私は妻のことしか思わない、別れて来たので

この高角山を越えると、もはや妻の里ではない。
そうした境の地で見えるはずもない相手に向かって袖を振る行為は、相手の魂を迎えて旅中の安全を祈る一種の手向けの呪術だったのかもしれない。

笹の葉が全山をあげて音を立てる「さやさや」という擬音は、古代においては、不穏なざわめきの音だった。
その不穏なざわめきの音に包まれながら、たった一人で山道を歩く。
普通なら、怖くて心が落ち着かない。
しかし、人麻呂の心中は、石見に置いて来てしまった愛する妻のことしかない。
不穏とか不安などは、どうでもかまわない。
山道で人に襲われようが、獣に襲われようが、置きざりにした、別れて来た妻の事しか、考えられないと歌う。

当時の石見は、中央から片道15日もかかるような、本州の最果ての地、
そんな最果ての地から、愛しい現地の妻と別れ、男が延々と寂しい思いだけを抱え、とぼとぼと歩く。


妻との幸せな生活への想いと失った悲しみが、実は不穏を忘れさせ、不安を打ち消す、旅中最強のお守りになったのかもしれない。

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