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魔女裁判の実態

魔女裁判は、ローマ・カトリック教会による異端審問の一部であるため、その裁判方法は、エメリコやトルケマダにより確立された手法を遵守している。
しかし、異端審問においては、神学的な異端思想が逮捕理由であるのに対して、魔女裁判においては「魔女であること」そのものが「即火刑決定」であることから、裁判全体に大きな違いが生じた。

逮捕においては、教会法により、三種類ある。
①告発(極めて稀だった)
告発者が異端の罪を立証することを申し出た場合。
ただし、告発者による誹謗中傷目的の場合もあり、裁判官も警戒した。

②密告
誰かが、ある者の異端の罪を密告するが、その罪の立証と、事件(裁判)に関係することを望まない場合。
密告は、異端審問制の成立以来、審問官が熱心に奨励していた。
異端審問規定において、14歳以上の男子と12歳以上の女子には、異端を密告する義務があり、この義務を怠ることは「間接的異端」とされた。
実際に親子、夫婦、兄弟、師弟、主従の互いの密告例が数多い。
※エメリコ
「異端に関しては、弟が兄を、子が親を告発することは、全ての倫理学者が是認する」「父が国家の敵となった場合に、その子が父を殺すことは正しいのであるから、異端告発の場合は、その数倍正しいことになる」

③世間の噂(最多)
告発も密告もない状態で、「世間の噂」だけがある状態。
魔女裁判では、容疑者を逮捕する十分な理由であった。
ただし、極めて被告には不利な逮捕であった。
実態があやふやな「世間の噂」には、抗弁が出来なかった。
そして、裁判官は「噂の真実性」の立証には、全く尽力しなかった。

※アンリ・ボゲ(世俗裁判官)は「魔女論」(1602)の中で、語っている。
「魔女の罪は、他の犯罪と異なり、世間の噂の真実性の詮索は不必要である」
「魔女の罪は、『格別の罪』と言われる立証困難な罪であるので、証人として喚問された法律学者でも妥当な立証に苦慮するほど、難しいからである」

〇「立証も無いのに逮捕され火焙りにされる」現代日本人からすれば、信じがたいが、当時のローマ・カトリック教会、及び新教徒も、「神の正義、栄光を示す」として、何のためらいもなく、その実行に励んでいた。

異端審問官規定では、様々な罰則や特典を設定し、自首を勧めていたが、世間の噂になりながら自首しない場合は、異端の罪に加えて「強情の罪」を重ねるとされた。
そのため、噂になった容疑者は土地の教会や、役所に自ら訴え出て、身の潔白を裁いてもらうのが原則だった。
ただし、極めて自首は少なかった。
自首することで、「身の潔白」を明らかにされる望みはなかったし、身の潔白になる例もなかった。(裁判官は無理やりにでも有罪にしたため)

例)1659年、フランス、バユール町のトマ・ルタン(60歳)が魔女と疑いをかけられ自首した。
裁判官から、「無罪を立証する証拠を提出する意志」と「弁護人を依頼する希望」を尋ねられ、トマ・ルタンは「その意志はありません」と返答した。

トマ・ルタンは、
「私は、罪を犯した覚えは全くありませんが、どんな判決でも反抗せずに、受けます」
「ただし、裁判官御自身が来世で(誤審により)地獄に落ちないよう、慎重に裁判を願います」とも付け加えた。(この時点では、気丈だった)

その後、残虐な拷問が行われた。
トマ・ルタンは、痛みに耐えかねて、嘘の自白を行う以外に、拷問を終わらせる手段が無かった。
「魔女集会に参加したこと」「常に3、4人の美女を同道しその一人と性関係を持ったこと」、「悪魔から緑色の軟膏をもらいそれを塗布して空を飛んだこと」を「自白」した。

トマ・ルタンは拷問による頭部骨折のため、自白後、4日目に獄中で死亡した。

しかし、裁判官は、それでもトマ・ルタンを許さなかった。
彼女の死骸を、車で刑場に運び、公衆にさらして火刑に処した。
(第一回尋問9月21日、11月6日火刑)の短い期間で、彼女は殺されたのである。

また、村落共同体に発生した「噂」以外にも、「魔女を判定する目利き」が、諸国を渡り歩き、「魔女」を発見することもあった。
特に教会関係者でもなく、羊飼いにも、目利きは存在した。
信用と権威もあったらしく、15世紀から17世紀のフランスで活躍した目利きは、各地を歩き回り、魔女の瞳の中に、「悪魔のしるし」を見分けたと言われている。
高等法院は懐疑的であったけれど、下級裁判所は、彼らを積極的に利用した。
「目利き」の視線の網にかかった不運な女の家には、すぐに官憲が来て、「魔女容疑者」として、逮捕連行を行った。
魔女狩りに熱心だったのは、上級裁判所ではなく、下級裁判所であった。
特に中央集権化が弱く、都市や地方の自律性が強かったドイツで魔女狩りが厳しくなった一因である。

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