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一遍上人語録 別願和讃(9)

この時極楽世界より 弥陀・観音・大勢至

無数恒沙の大聖衆 行者の前に顕現し

一時に御手を授けつつ 来迎引接いんじょうたれ給ふ

(意訳)
念仏を行った者が往生をする時には、極楽の世界より、阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩をはじめとして、ガンジス河の数限りない砂の数ほどの仏たちが、その前に現れます。
そして、一斉にその御手を差し伸べられ、極楽世界に漏れなく迎え導かれるのです。

※観音菩薩:阿弥陀如来の左の脇士にて慈悲を表す。
※勢至菩薩:阿弥陀如来の右の脇士にて智慧を表す。

一遍上人在世時の旧来仏教の主張は、非常に厳しい仏道修行を完遂し、また多額な布施をしたものだけが、極楽往生できるということ。

それに対して、法然からはじまる親鸞や一遍などの浄土の教えは、ただ南無阿弥陀仏と称えるだけで、極楽往生ができるとして、仏道修行も完遂できず高額な布施など無理な庶民にまで信仰を広げた。

確かに「できないことをやれ」と言われても、無力感と落胆しか発生しない。
簡単なことで幸せが保証されるならば、その方に人は動く。

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