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石仏の話(39)拝むということ

石仏に限らず仏像やマリア像やイエスの十字架を拝む、という場合があると思う。
苦しんだり悲しんでいる時、うれしい時やお願いをする時、様々な場合がある。

「辛くて仕方がありません」
「ありがとうございました」
「何とかなりませんか」
たいていは、そんな類になると思う。

考えてみれば、素直なお願いとか、お礼の心を、それぞれの像に託しているのではないだろうか。
奇をてらったり、心をごまかす必要もないのだから。

やはり素直な心で、聖なる存在に対するということ。
それが拝むということだと思う。

心が、それで少しでも軽くなればいい。

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