紫式部日記第23話例の、渡殿より見やれば、

(原文)
例の、渡殿より見やれば、妻戸の前に、宮の大夫、春宮の大夫など、さらぬ上達部もあまたさぶらひたまふ。
殿、出でさせたまひて、日ごろ埋もれつる遣水つくろはせたまふ。
人びとの御けしきども心地よげなり。
心の内に思ふことあらむ人も、ただ今は紛れぬべき世のけはひなるうちにも、宮の大夫、ことさらにも笑みほこりたまはねど、人よりまさるうれしさの、おのづから色に出づるぞことわりなる。
右の宰相中将は権中納言とたはぶれして、対の簀子にゐたまへり。

※渡殿:建物と建物をつなぐ渡り廊下の戸口の前に、紫式部の局(部屋)がある。
※宮の大夫:中宮職長官。藤原斉信。
※春宮の大夫:東宮坊の長官。藤原懐平。
※右の宰相中将:参議、右近衛中将藤原兼隆。
※権中納言:藤原隆家。故関白道隆の息男。皇后定子の弟。

(舞夢訳)
いつものように、渡殿の局から見ておりますと、妻戸の前には、中宮の大夫や東宮の大夫など、その他の公卿たちが大勢控えておられます。
そこに道長様がお出ましになられ、この数日間、埋もれてしまっていた遣水の掃除をおさせになられます。
公卿たちのお顔はみな、実に満足げな様子です。
たとえ、心の中には、思うことがあったとしても、今この時に限れば、この晴れがましい雰囲気の中で、それは紛れてしまいそうです。
中でも、中宮の大夫は、それほどに得意がって微笑んでいるわけではないけれど、人一倍喜ぶ心が、自然に顔に現れるのは仕方がありません。
右の宰相の中将は、権中納言と冗談を言いながら、対屋の簀子に座っておられました。

中宮彰子が、無事に男の皇子をご出産。
それにより、道長家の栄光の時代が確実なものとなる。
そうなれば、この道長邸に詰めかけた人々も、その恩恵を受けるのは約束されている。
道長をはじめとして、屋敷全体に、ますます晴れがましい雰囲気が満ちるのも当然である。
ただ、権中納言藤原隆家は、故関白道隆の息男で、故皇后定子の弟。
その遺児で一条天皇の長男で、姉定子が生んだ敦康親王を支えるべき立場。
彰子の皇子出産には、やや複雑なものがあったと思われる。

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