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石仏の話(38)大師像

弘法大師空海に関係する遺蹟として、四国八十八ヶ所の札所がある。
他には秩父あるいは都内にも、そのような巡礼場所がある。
忙しい現代人であるので、自動車あるいはバスで巡礼する人もあるとか。
徒歩が正当であるとかないとかの議論は、あまり大切ではないと思う。
空海が生きた時代と、現代では交通状況があまりにも違いすぎる。
歩くのがいいと思えば、歩けばいい。
時間も体力もない人は、「車」という「道具」を用いるだけのこと。
方法が異なるからと言って、仏の世界を目指す巡拝者には変わりがない。

ただ、自動車という速度の早い移動手段のため、どうしても見逃してしまうものが、道々に立つ大師像の石仏。
何年立っているのか、わからないけれど、石仏が立っている場所は、先人が御仏を信じて歩いた場所である。
「よくここまで」
「無理はせず、がんばって」
歩き続けて、ふと見つけた大師像に心を慰められた巡礼者は、かなり多いと思う。
そして、その慰められた人の感謝の心が、またその大師像に宿る。

そう考えると、できれば歩いたほうが、弘法大師と先人の心に触れる旅も捨てがたくなってくる。

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