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維摩VS文殊菩薩(12)

文殊菩薩は、さらに維摩に尋ねた。
「維摩さん、病人を見舞う際の大事なことは何でしょうか」

維摩は答えた。
「確かに人間の身体は、無常の世にあり、滅びゆくものと決められています」
「しかし、それだからと言って、絶対に、その身体を厭うとか、早く死んでしまいたいと思わせてはならないのです」
「見舞う人は、結局は死ぬのだからと、言ってはなりません」
「また、病人となった人も、同じ病人に対して、憐みの心が大切なのです」
「その上で、病については、直すことに全力を傾けること」
「自ら、直そうと努力して、病の克服に専念するべきなのです」
「見舞い人の最も大切なことは、病人の心の中に、喜びの種を植え、希望を持たせてあげることなのです」

「人間は無常の世に生きているのだから、死ぬのは当たり前」
見舞客にそんなことを言われたとしたら、痛み苦しむ病人は、その冷たい言葉に、ますます痛み苦しみ、絶望さえ抱いてしまう。
人は苦しみや汚れを捨てようとしても、結局誰も捨てきれない。
だとしたら、苦しみや痛みの中にいても、希望を捨てず、前を向いて生きるべきになるし、見舞客は、それを意識して、力づけてあげることが必要となるのである。

「病になったから、痛んだから、死んでしまえ」
古来、人間社会は、こんな言葉で、病人を痛めつけ来た。
最近のウィルス騒動でも、そんな言葉がネット情報では見かけることもある。
情けないかな、人間の本質は変わらず、その口から出た言葉が自分自身を汚していることにも気がつかない。

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