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くらい、うたう、ときどきわらう

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マガジン

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最近の記事

旅の記録

深刻なことばかり聞いたり話したりしていると、心がざわざわしてくると思うので。。! 時々うたをうたったり、カメラを持って出かけたりしながら過ごしています。 そんな私の旅の記録を少し載せたいと思います。 今からいちばん遠い季節の写真たちです。

    • ひとり親家庭になってから〜小学生〜

      (読んでいただきありがとうございます。 気持ちが沈むようなお話なので、もし避けた方がよい方はブラウザバックをお願いいたします。。!) ありがたいことに、周りの先生方にとても恵まれた小学生時代でした。 父が私たちより先に家を出た日、鍵が見当たらず、登校できずにいた日がありました。 その日自分で小学校に連絡を入れたかどうか、定かではありませんが、先生が様子を見に来てくださったのを思い出します。 担任の先生も、熱心な方で、いつも心に寄り添ってもらいました。 変わらず学童も楽しく通

      • なぜひとり親家庭になったのか②

        なぜ母が入院しているのか、本当の理由は隠されていました。 父からは、体が悪くて入院していると説明されていました。 うっすらと思い出せるのは、面会したときのこと。 机を挟んで母が座り、隣に妹がいる空間です。病室ではなかったような、、。 入院して、母の状態は良くなっていったようです。 しかし、パニック障害という病気は、回復に向かい、自分の置かれている状況を感じられるようになったときが危険なようで、 「家事育児なにもせず、入院までして家族に迷惑をかけている」と思ってしまった母は、

        • なぜひとり親家庭になったのか

          みなさんは幼少期のことを覚えていますか? 私は思い出せないことが多いです。母と過ごした時間は特に。 小学4年生の5月、母が他界しました。 死因は自殺でした。 母は几帳面で心配性、柔軟なタイプではなかったようです。 私が小学1年生の頃、パニック障害を発症しました。 当時、父は亭主関白で、仕事熱心。子育ては母のワンオペ、しかし母の実家は電車で1時間の距離。父方祖父母も亡くなっていたので、誰も頼ることが出来なかったのだと思います。 小学2年生の頃、母の実家へ母と一つ下の妹、私

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        記事

          アラサー元ヤングケアラーの話

          はじめまして。 私はその辺で普通に生活してるアラサーです。 小さい頃は、本を読むのが好きで、言葉を綴るのも好きでした。 年々文字から離れていくのが少し寂しくなったので、思い立って日々の思いを綴ってみようと思います。 私は10歳で母を亡くしました。父と妹との3人暮らしでは、いわゆるヤングケアラーとして育ってきました。 大人になった今、苦しくて消えたくて死にたかったときの自分を包みこむような気持ちで、どうすれば同じような立場にいる子どもたちの力になれるかなあと考えながら生活して

          アラサー元ヤングケアラーの話