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ばあちゃんありがとう。気持ちをアウトプットして1歩前へ

※このnoteは、2017年5月に父方の祖母が亡くなったとき、気持ちの整理のために書いたブログ記事を一部手直ししたものです。昨日、お盆に関するnoteを書いていたら、ばあちゃんのことがとても懐かしくなり、過去記事を読んでいたら、どちかというとブログよりnoteに残しておきたくなりました。祖母が亡くなった当時、私は二男の育休中。ちょうど職場復帰する直前のことでした。


4月(2017年)のおわりに、父方の祖母が天国へ旅立ってしまいました。

気持ちの整理

GWは実家の茨城に帰っていました。

実家でばあちゃんに対面しても、お葬式に参列しても、なんだか実感がわかず…。92歳と高齢だったし、年末から意識がない状態でずっと入院していたのもあり、心のどこかで覚悟していたのもあったのかもしれません。

それに、喪主である父はじめ家族みんな大忙しで、それをサポートしたり、幼い子どもたちも連れて行ったのでなんとか無事に葬儀を終えることに精一杯だったりで、じっくりと考える余裕がありませんでした。

葬儀関連でバタバタと過ごし、つい先日、自宅に帰ってきたばかり。

ここで気持ちがぷつんと切れたのか、なにもやる気がでない。ちょっとしたことで涙がでる。(撮りダメしてた「ひよっこ」をみて号泣…茨城弁を聞いてホームシックになりました…) 

頭がはたらかない。

家事をやる元気もでないし、子どもたちに向き合う余裕もない。

そんな状態におちいっていました。

GW明けから職場復帰なので、このGWは心と体の準備をするはずだったのに…心身ともにボロボロ…。

このままじゃだめだーーー!

職場復帰しても仕事にならない…。

…と、焦りが拍車をかけ、ぼーっと情緒不安定に過ごしていました。

そんな私をみて、夫が家事や子どもたちの相手をしてくれて。ありがたいことです。

そして、「気持ちを何かに書いてみたら?」と提案してくれました。頭の中だけで考えていると、ぐるぐる堂々巡りしてしまうのは私の癖です。考えを形にすることで、ちょっと前に進めるかも…。


伝えたいこと…ありがとうとごめんね

ばあちゃんに伝えたいのは、やっぱり、ありがとう!という感謝の気持ち。

共働きの両親に代わって、学校から帰ってくると迎えてくれたのが同居していた祖父母でした。

何をして遊んでいたのかな?

どうやって過ごしていたのかな?

今となっては、断片的にしか思い出せないけれど。

ばあちゃんがいてくれたから、さみしくなかった。たのしかった。大変だったと思うけど、私と弟を育ててくれて、ありがとね。


大学に入って、私は家をでました。

ばあちゃんは、とても自然体で、いい意味で欲がないひと。だから、直接聞いたわけじゃないんだけれど、本当は、私に家を出てってほしくなかったみたいです。

「優秀にならなくていい。みんなでてってしまうから」

と、母に言っていたようです。(私は優秀なわけじゃなく、ただ田舎がいやで…都会にあこがれて出ていっただけなんだけど。)


社会人になって、母になって、今はばあちゃんの気持ちがよくわかる。

さみしい思い、させてごめんね。

もっとたくさん帰って、もっとたくさんばあちゃんと話せばよかった。意識がなくなる前に、もっとお見舞いにいってあげればよかった。

そしたら、もしかしたら、脳梗塞にもならなかった?…後悔しても遅いんだけれど。

意識がなくなる前にお見舞いに行ったとき、ひさしぶりに手を握って帰りました。そのときの手の感触をずーーっと忘れずにいよう。

ずっと野良仕事をしてきたごつごつの手。働き者の、かっこいい手。

そして、私の手、ばあちゃんに似てるってそのとき初めて気づきました。私の手の中に、心の中に、ばあちゃんは生きてる。


緑と生きる

ばあちゃんは、花や植物が大好きなひとでした。

農業ってすごく大変だと思うけれど、ばあちゃんの口癖は、

「畑に遊びにいってんだ~おら~のんきだから~」

とても楽しそうに世話していました。

そんなばあちゃんだから、花や緑ががいっぱいのこの季節を選んで旅立っていったのかもしれません。


とっても不思議なことがあって。

ばあちゃんが40年くらい前にどこかからもらってきたバラが実家の庭にあるんだけど、今年はそのバラが、どのバラよりも早く咲いたそう。

まるで、ばあちゃんの旅立ちをわかってたみたいに。

バラフリークの両親もなんという名前かわからない。


ばあちゃんはおだやかで、だれかの悪口を言ったり、愚痴ったりするのを私は聞いたことがありません。だけど、芯は強くて。

頑固者のじいちゃんと70年近く一緒にいられたのは、ばあちゃんだったからだと思う。

そんなばあちゃんの人柄を表したみたいな、やさしいピンク。

春の光にきらきら光っていました。


この1年、育休中だったのもあるけれど、私も花や植物にとても興味がわいてきて、庭にたくさん花を植えました。それも、私の中のばあちゃんDNAがそうさせてるんだとしたら、すごく不思議。

道端や畑に生える雑草や野草でさえ、愛でていたばあちゃん。世の中に、無駄なものなんてないんだ~と、いつも言っていました。

これからも、花をみるたび、花を世話するたび、ばあちゃんを思い出すんだろうな。

道端の野草の中にもばあちゃんの笑顔をみつけられるような気がする。そう思ったら、少し元気がでてきました。


ポジティブスイッチはゆっくりと確実に

私は、気持ちをポジティブに切り替える、スイッチするというのが苦手です。それを克服することが人生の目標のひとつだと考えています。

でも、大切な誰かとお別れしたときの喪失感、絶望感は、やはりそう簡単に切り替えられるものではないなと、今回あらためて思いました。


実家に帰れば、いて当たり前だったばあちゃん。

もうそれが当たり前ではなくなってしまった。

それを受け入れるには、やはり時間が必要です。どれくらい時間がかかるかわからないけど、無理せず少しずつ、進んでいきたいと思います。


でも、ばあちゃんはとても気を遣うひとで、入院中は「迷惑かけてすまねぇなぁ…」が口癖だったから、いつまでも私が立ち止まっていることを喜ばないだろうな、とも思う。

なるべく早く日常に戻って、私の場合は無事に職場復帰して。ご迷惑かけた職場のみなさんに恩返しすること、しっかり子どもたちと向き合うこと…それをばあちゃんも応援してくれてるんじゃないかな。

のこされた側の勝手な解釈かもしれないけど、それがばあちゃんへの供養になると信じて。

とりとめなく書いてしまいましたが、書いているうちに、少し気持ちがポジティブシフトしてきました。

今日は、育休最後の日。しっかり子どもたちと向き合って、職場復帰に備えたいと思います。

最後まで読んでいただいて本当にありがとうございました。

〈おわり〉

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