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Thomas Mann"Der Tod in Venedig"「ヴェニスに死す」高橋義孝訳③

 何故だろう?「ヴェニスに死す」を何回読み直してもまだ足りない。文章をたどる度に、その楽しみに時間を忘れる。その都度新しい気付きがある。これは原作のせいか、高橋先生の訳が素晴らしいからなのか。中編小説を読み直すなど、わたしにとって滅多にないことだ。

 まあしかし、とにかく無理にでも記録を終えないと先に進めない。
 タジオがいかに美しく魅惑的か、アッシェンバッハがどのようにして深みにはまっていくか。ヴェニスの美しさといかがわしさ。それらをすべて抜き書きしていたら切りがないので、特に印象に残った部分と息絶えたアッシェンバッハが最後に見たものを書き留めておくこととする。

 タドゥツィオは濃紺の短い水兵外套の金ボタンを締めて、頭には服とお揃いの縁なし帽子をかぶっている。太陽も潮風も少年の肌をやきはしなかった。肌は最初の頃と変わらず大理石の黄色味を帯びたままだった。しかしその晩は、涼しすぎたせいか、外套の月光に似た青白い光のせいか、いつもより蒼ざめて見えた。平らな眉毛はいつもよりくっきりとして、目にはいつもより深々とした色があった。なんともいいようのない美しさだった。言語は感性的な美をほめ讃えることのみなしえて、よくこれを写しえないということをアシェンバハは今また身にしみて感ずるのであった。
 彼はこの突然の心楽しい出現を予期していなかった。それはあまり思いがけなかったので、自分の表情を落着かせ、威厳を保つ暇がなかった彼と少年との視線がぶつかり合ったときには、彼の顔にはよろこびと驚きと讃嘆とがはっきりと現れていたにちがいない。ーそしてこのときにタドゥツィオがほほえんで見せたのだ。話しかけるように、親しく、愛らしく、はっきりと、微笑しつつ徐々に開いていく唇で笑いかけたのである。それは水に映った自分の姿の方へ屈み込むナルキッソスの微笑であった。われとわが美しい影に腕を差し伸べる、あの深刻な、うっとりした、誘い寄せられたような微笑であった。
・・・略・・・なまめいて物珍しげな、かすかに苦痛の色を浮かべた、うっとりとした、人の心をまどわせる微笑であった。
 この微笑を享けた男は、禍多き贈り物をでも受け取ったように、倉皇としてそこを立ち去った。・・・略・・・慌てふためいた歩き方でホテルのうしろの公園の闇を求めたほどに、ひどいショックを受けたのだ。・・・略・・・
「お前はそんなふうに笑ってはならないのだ。いいかね、誰にだってそんなふうにほほえみかけてはならないのだよ」彼はベンチに身を投げかけた。
・・・略・・・滑稽で、しかも神聖な、とはいえこんな場合にもやはり荘重なきまり文句、「己はお前を愛するのだ」を。

 言葉で表すのは難しい・・・とおっしゃっても、マン様!高橋先生!読んでいるだけでタジオに狂う気持ちがわかります~♡


 今までいっぱしの芸術家として地位も名誉も得ていたというのに、やはり神の手による美を体現したかのような存在には屈服せざるを得なかったのだ。そんなタジオと親しくなりたいとひたすら妄想するアッシェンバッハ。その様はまるでストーカー並みだ。
 それなのに・・ああ・・それなのに、いざタジオに微笑みかけられると、神聖で完璧な美たる存在が穢されたように感じてしまうのだね。
 この部分は一読しただけで最も印象に残ったところだ。

 さてラストシーンだ。
 伝染病の蔓延で観光客の多くが立ち去り、閑散となり始めたヴェニスのビーチでタジオを見つめるアッシェンバッハ。(この頃にはかなり体調が悪かったのにヴェニスを離れられなかったのだ。)

 模糊として煙る果てしない海を背景に、・・・略・・・と、突然、ふと何事かを思い出したかのように、ふとある衝動を感じたかのように、一方の手を腰に当てて、美しいからだの線をなよやかに崩し、肩越しに岸辺を振返った。岸辺にあって少年を見守っていた男は、最初その砂洲から送られてきた灰色に曇った視線を受けとめたときは、もとの通り椅子に坐ったままだった。椅子の背にもたれていた頭は、ゆっくりと、海の中を歩いて行く少年の動きを追っていた。ところが今、彼は少年の視線に応じ答えるように、頭を起こした。と、頭はがくりと垂れた。・・・略・・・彼の顔は、深い眠りの、ぐったりとした、昏々とわれを忘れている表情を示していた
けれども彼自身は、海の中にいる蒼白い愛らしい魂の導き手が自分にほほ笑みかけ、合図しているような気がした。少年が、腰から手を離しながら遠くのほうを指し示して、希望に溢れた、際限のない世界の中に漂い浮かんでいるような気がした。すると、いつもと同じように、アシェンバハは立ち上がって、少年のあとを追おうとした

 ここで確信した。アッシェンバッハの魂は救われたに違いない。
 高橋義孝先生は、感性、陶酔、美をもとめる心のために敗北して死んだとおっしゃっているけど、トーマス・マンはどう考えてこのラストにしたのだろう。

 肉体は滅びるがその最後に魂が救われる。
 魂は彷徨うが命は長らえる。

どうなんだろうね・・・と思った。