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村上春樹訳「Franny and Zooey」

まず「Franny」を読んでいるうちにどんどん感情移入してしまった。

レーンは、かれこれ15分かそこら会話を独占し続け、それでようやく調子が出てきて、自分の口にすることにもはや誤謬はないと決めた男のしゃべり方になっていた。・・・・・
フラニーはもう一度咳払いをした。自分に課した「純粋な聞き手としての役目を全うするべし」という刑期はすでにしっかりつとめたはずだ。
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「ある種の人たちは、私にはすぐに思い出すことができないの。・・・とくにほかのみんなと見かけが同じようで、同じようなしゃべり方をして、同じような服を着て、同じように振る舞う人たち。」・・・
そういう言い方は自分でも、いかにも狭量で意地悪く聞こえた。自己嫌悪が波のように押し寄せてきた。

わたしは嘗てフラニーみたいだったかもしれないな。
そして「Zooey」を読んで・・・
25歳の容姿端麗にして才気煥発なフラニーの兄さんズーイの言葉にしゅんとしてしまった。
引用に苦しむね。また読み返してしまう。

「・・・もし君がこの神経衰弱的な大立ち回りをなおも続けたいのであれば、大学に戻って勝手にやってもらいたい。それが僕の切に望むところだ。君が末っ子かわいがりされていないところで。君に蜜柑を持っていってやろうなんて気になる人間が一人もいないところで。・・・」

高校生の頃サリンジャーの作品を数冊読んだはずなのに、ほとんど忘れていた。「ライ麦畑でつかまえて」をはじめ、野崎孝訳だったけど。今回村上春樹訳で読み返せてよかった。野崎孝訳と比較してみたいものだけど、物置の奥深く探検する気力がないなぁ。
ということで、次はやっと「キャッチャー・ イン・ ザ・ ライ」村上春樹訳で読む。
数年前に話題になったけど、流行にちょっと後れて手を出すのがいつものパターンだから。

話はそれるけど、「火花」をご近所のスーパーの雑誌売り場で見つけた時は唖然としたよ。そろそろ古書で探してみようかな。