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Alejandro Jodorowsky"EL TOPO""THE HOLY MOUNTAIN"今鑑賞することの意味はあるか

 エル・トポとホーリーマウンテンを続けて観たら朦朧とする。
でも、とにかく記録して次へ進まなくちゃ・・。レビューを綴るつもりも作品論をぶちかますつもりもないので、混乱している頭の中でザルの目に引っかかっているものをチェックする。

 ひとつ目は70年代だということ。

 「エル・トポ」は1970年の作品、「ホーリー・マウンテン」は1973年の作品だから当然のことだけど、もうとにかく70年代の雰囲気がプンプン匂う。ジョン・レノンアンディ・ウォーホールなどのアーティストが絶賛したというのがとても納得できる。セックス、ドラッグ、反戦、サイケデリック、新しいアートのムーヴメント、ヒッピー、スピリチュアル・・・くらいしか思いつかないけど(笑)
 それが少々辟易するというか・・・ちょっと疲れてしまった。一つの時代の、ある信念をもった監督のアート作品として鑑賞するように心がけたつもりなんだけど・・・。
 そういえば、イヴ・サンローランが心を病んでいたのも70年代だった。とにかくリアルにその時代を生きて、その時代独自の病んだ部分を体感していなければ理解できない部分が大きいと思うのね。だから自分の中に、歴史を学んでいるみたいな冷めた感覚があった。(歴史から学べることは多いが)
 強いて言えば、今の時代に通じる部分はある。戦争、紛争、殺し合い・・・。人間は争いから逃れられず、世界中の数多の神々はいったいどうなさるおつもりか・・・。歴史から学んで知ったからと言って大きな流れを止めることはできない無力感。

 はあ~・・一番引っかかっていたところをまず吐き出した。あとは、チビチビと箇条書き。

 どちらも主役はアレハンドロ・ホドロフスキー監督その人だよ。

 「エル・トポ」では子連れのガンマン。何故か裸で馬の背に乗る息子は、まだ幼かった長男のブロンティスだ。ブロンティスは「リアリティのダンス」で共産党員の父親役だった。(インタビューで監督は父親との関係について語っていた。スキンシップなどの可愛がられた記憶がほとんどなく、それに対してのわだかまりを感じているようだった。)
 父と息子、母と息子、家族の関係について描いた部分については結構胸を打たれる部分が多い。「エル・トポ」で幼い息子は殺人を手伝わされ、亡き母親の形見と決別させられ、挙句は「父は死んだと思え」と置き去りにされた。父は女と去る。

 ホドロフスキー監督の作品では、息子たちが出演したり音楽を担当したりしている。息子は5人長男がブロンティス。一人亡くなった人がいて、悲しみに耐えて仕事をしたとどこかで読んだ。他に「サンタサングレ」で主演したアクセル(クリストバルとも言う。リアリティのダンスにも出演)「リアリティのダンス」に出演して音楽も担当したアダンがいる。あとお一人の息子さんは映画関係ではないかもしれず、調べても不明だった。

 また奥さんは(多分2番目の奥さん)衣装担当だ。一家総出で映画制作という感じだね。

 上はご夫婦で、下の右側が長男ブロンティス。

 上はクリストバル。「サンタサングレ」での美形ぶりが心に残るけど、「リアリティのダンス」では行者の役。
 下はアダン。音楽も担当した。

 「エル・トポ」では、ガンマンだった父が女と共に殺戮を繰り返した果てに、小さな女の人に助けられて愛し合うようになる姿が印象に残った。2人でパントマイムをやって稼ぐ場面があったけど、本当に笑えた。(ホドロフスキー監督はパントマイムをやるために大学を中退したそうだ)この部分は可愛らしくて、救われる気持ちになった。障害がある人達が普通に登場するホドロフスキー監督の作品。特別なことではなく、ごく当たり前の存在としてバイタリティあふれた姿で描かれていることに対して共感できる。

 「ホーリー・マウンテン」を鑑賞する頃には疲れ果てたわたし。いつもなら、ちょっとやそっとのグロな場面でもうろたえることがないのだけれど、流石に神経にこたえるようになったので、記憶から飛んでいる部分も多いかもしれない。また予告動画は閲覧注意ものなので、ここに貼り付けないことにする。でも、アート作品というか、ものすごい美術の行列なので、元気がある時にまた観ることがあるかもしれない。
 とても気に入った場面は、「カメレオンとヒキガエルのサーカス団」だ!
たまらなく私好みのシーン!夥しい数のカメレオンとヒキガエルがわやわやのしのし・・・。ところが、あっという間に爆破されてしまう( ノД`)シクシク…

 ホドロフスキー監督の作品の何が耐えがたいかというと、動物が殺されたり苦しんだりする場面だ。どんなにアートだと言われても、必然だと言われても、わたしには苦痛
 山のような死体が映画で出ても、それは作りものか演技だと思えるけど、動物たちは映画の為に本当に殺されている気がして耐えられない。
 やはり観直すことなんかできない気がする。

 肯定的なこと、否定的なことも思いつくまま記録してみた。書きながら気づいたこともある。タイトルで「今鑑賞することの意味はあるか」などと自問したが。決して無意味なことではなかったと答えることにしよう。

 ホドロフスキー監督を卒業したい気もするけれど、一つ疑問が残っている。それは「虹泥棒」でピーター・オトゥール演じる変人の甥が落としたタロットカードは何?どういう意味?ということ。
 そして、「リアリティのダンス」の続編は観たいということだ。
 御年88歳のアレハンドロ・ホドロフスキー監督!なんのかんの言っても、すごい存在感だね。