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年齢を重ねると
30歳を越すと

「お子様は?」と言われることが多くなる。


主人と私の間にも子供は宿った。

しかし、5回の流産で
亡くしてしまったのだ。



そして、そのことを正直に話したときに
「聞いてごめん」「あっそうなんだ」と
気を遣われることが辛すぎて
自分からは話さなくなった。


同年代の友人の間では
妊娠ラッシュ、出産ラッシュ、ドンピシャの年齢。


子供ができた、生まれたことで幸せな人の前で
自分の悲しい話をして
場の空気を暗くしてしまうことに気が引けて
自然に距離をとるようにもなった。


流産の回数を重ねるごとに
トラウマとなり
妊婦さんを見たり
新生児を見ると
過呼吸になってしまったときもあった。


本来なら妊娠は嬉しいことなのに
「今回は生き続けてくれるだろうか」
「死んでないだろうか」
1日1日無事でいることを願い続けて
精神的に参ってしまい
必ず胃腸炎になる。


そう。
私達にとって妊娠は
「試練の始まり」なのだ。


母体というのは不思議なもので
寝ている間に「あっ。今息が止まったかも」
と嫌な予感がして起きて
次の日に産婦人科に行くと

心拍が止まっている。


母と子はつながっているんだ。
本当は幸せな瞬間で感じたいが

悲しいことに
私は「死」によって実感している。

何よりも
主人が辛かったと思う。
私は自分の身体の中で起きているため
手術や感覚で実感をしやすい。

しかし
主人の場合は自分の身体で起きていないため
わからない。


「変わってあげられるなら変わりたい」
と言ってくれたその一言が
主人の正直な精一杯の気持ちだったのだと思う。

流産最初の数回は
「何で私だけ痛い思いをしなきゃいけないんだ」
と心の中で嘆いていたけど
本当は主人も悲しいし、悔しいし
“支えなきゃ”と苦しかったんだと思う。


乗り越えたか?と言われると
乗り越えていないと思う。


乗り越えられることはできないから
悲しみでいっぱいの心の引き出しに鍵をして開かないようにしている。


いつか
鍵を開けて振り返ることができる日まで。



この経験は
いい意味で「原動力」にもなった。


色々な葛藤を
気持ちが落ち着いているときに
備忘録として時々記していこうと思う。

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