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祈りについて

日記代わりのnote 3日目
以前、沖縄 久高島 の“祈り”について知った時、涙が止まらなくなったことがあります。神職であるノロが御嶽で祈りを捧げること、それも365日毎日。世界の平和の為に祈りを捧げているというお話に、なんて尊いんだろうと感じ、心が震えました。
それで、今年元旦にあった北陸の地震をきっかけに私が出来る事は祈る事くらいしか出来ないなあ、とノロさん達のようにはいかないけれど、祈ってみようとはじめてみました。
3日目だけど、祈る行為を通して色々考えます。
家のどこで祈る?
どこに向かって祈る?
何に対して祈る?
何を祈る?
祈りの言葉は?
自分なりに考えて、祈りを捧げているけれど、私は特定の信仰もないので、こういう時に信じるものがあると良いのかなとか、仏教のお経の意味を紐解いてみたいな、と思ったり。
ただ、世界にはほんとうに困難な状況にある方々が沢山いて、ただただ、その方々が少しでも安心して眠ることが出来る事、苦痛が少しでも和らぐことを祈るしかないな、と今は思っています。
そして、なぜか祈りの最後には今の自分の状況への感謝と涙が溢れるのです。ありがたいな、という気持ちが湧いてくる。
こう考えると、祈るって、自分の為にしているのかな?
うーん。私の祈りは自己満足なのかな?

まだまだよく分からないけど、始めてみると興味深い発見があります。

祈りって深いな。

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あ、あと今日、999って数字を2回も見ました。
すこし調べたら、9は完了の数字。
1に向けて、新たになにかスタートを切ってもいいというサインかな。
ここに書き留めておこう。


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